36話 到着

 昨日見たレオンの夢は今までの中で最も憂鬱なものだったので、ローゼは普段通りに振舞うよう意識する必要があった。そうでないとすぐに夢のことを考えてしまいそうだったからだ。ジェラルドとフェリシアに余計な気を使わせるわけにはいかない。


 今日は村を出て七日目、いにしえ聖窟せいくつに到着する日のはずだ。最後の出発の朝ではあったが、アレン大神官からの連絡は特になかった。だからジェラルドに、


「ずっと天気も良かったし、旅も順調だったなあ。この調子だと夕刻くらいには古の聖窟に着くと思うぜ」


 と言われて安堵する。


 ただ、山らしい山はまだ遠くにある。夕刻だとふもとまで到着できるかどうかすら怪しいくらいの距離だ。

 もしかしたら他に山があるのだろうかとローゼがきょろきょろしていると、ジェラルドは左側を指さす。


「ほら、あれが目的の山だ。あそこの中腹に古の聖窟があるぜ」

「あそこ? ……って、え……あれ……山……?」


 正直に言えば、ローゼは「嘘でしょう?」と思った。

 広々とした草地の中にぽつんとあるのは「丘」と言った方が似つかわしいのではないかと思える山だ。ほとんどが草の緑で、木すらまばらにしか生えていない。聖域だ、アストラン王国の重要な場所のひとつだ、というからもっと高い山を想像していたのだが、全くそんなことはなかった。


 山道に差し掛かる前で一団は止まり、昼の休息を取ることになった。

 セラータから降りたローゼは山を見上げる。近くで見ても威圧感を与えない、とてもなだらかな山だが、ここが目的地であることは疑いようもなかった。中腹に人工の建物のようなものが見える。あれがきっと古の聖窟の入口だ。


(そして、あそこに聖剣もある)


 そこでふと思い出し、腰から剣を外す。村を出るときにジェラルドから借りた剣だ。


「ジェラルドさん。ありがとうございました」


 ローゼが差し出すと、おう、と言ってジェラルドは片目をつぶる。


「これはもう必要ねえもんな。なんたってこの先にはローゼちゃんが本当に持つべき剣がある」


 ローゼは苦笑する。


「そうだといいんですけど」


 ここまできてもローゼは自分が聖剣を手にするという実感が湧いてない。正直に言えば、本当だとは信じられない気持ちの方が強かった。


 休息後に上り始めた道は緩やかで、しかも思いのほか幅がある。アレン大神官の乗る大きな馬車でさえゆうに通ることができたほどだ。

 代わりにその分だけ時間はかかる。目的地はさほど高くはない山の、しかも中腹の辺りだというのに、昼過ぎに出発した一団が到着したのはジェラルドが言った通り夕刻と呼べる頃合いだった。


 道の行き止まりはかなりの広さを持つ空間になっており、正面には山肌から差し掛かるようにして屋根がある。その屋根の下に設けられていたのは両開きの白い扉で、扉の左右には手を差し伸べる男神と女神の像がある。近づくにつれそれは光の十柱の主神ウォルスと、彼の妻である知恵の神ティファレトを象ったものだと分かった。


 全員が広場に到着すると号令があり、一団が中央を広く開けて左右に分かれる。ローゼも皆にならおうとしたが、フェリシアが「神々のご加護をお祈りしておりますわ」と言って列の後方へ消え、ジェラルドに「頑張ってこい」と言われたことでこの行動の理由が分かった。それで今は下馬した神官や神殿騎士が左右に並ぶ中、アレン大神官の馬車と、セラータから降りたローゼだけが中央にいる。


 馬車の扉が開いた。アレン大神官がゆっくりと降りて来て、古の聖窟に向かって聖なる印を切る。続いて頭を下げ、神々を讃える聖句を唱える。主催があのアレン大神官であるというのに、場が荘厳で神聖な空気に包まれるように思えるのは、古の聖窟の前という場所柄によるものなのかもしれない。


 そうしてアレン大神官が、


「新たな聖剣の主に祝福を」


 と述べると、場の全員が唱和し、頭を下げた。

 その中で大神官の近くにいた神官が馬車の後方にいたローゼのところまで来て、促す。


「どうぞお進みください」


 この先で何をすれば良いのか聞こうかとも思ったが止めた。これまでのことを考えれば答えを知っていてもきっと教えてくれるはずがない。それでローゼはセラータを連れ、中央の空間を扉まで進む。アレン大神官は古の聖窟の方を向いたまま微動だにしなかったが、ちらりと窺うと表情はほんの少しニヤついていたように思う。彼の今後の行動はきっと、アーヴィンが予想した通りになるのだろう。


 屋根の下に到着したローゼはセラータから荷物を外し、すべてを背負う。少し重量はあるがなんとかなりそうだ。代わって身軽になったセラータは柱に繋いだ。ただし、結びはごく緩く。ローゼが戻ってこなかったときでも、セラータが単独でどこかへ行けるように。

 神聖な場所の柱に馬を繋ぐのだから不敬だと怒られるかもしれないと思ったが、神官は特に何も言わなかった。


 改めて見上げると扉はかなり大きい。高さは人の倍以上、幅はローゼが両手を広げても届かないほど。それが石で作られているのだから、開けるにはかなりの力が必要だろう。そう予想してローゼは扉に手をかけ、全身に力を入れたが、扉は見た目よりもずっと軽くてあっさり動く。しかも片側の扉を開くだけでもう片方の扉も開いていくのだから不思議だ。これも神々の力なのかもしれない。

 扉の間にローゼひとりが入れるだけの幅ができたところで覗き込んでみると、すぐの場所は白い石づくりの広場だった。奥には同じく白い石で出来た道もあるが、先がどれほどあるのかは光が届かなくて見えない。


 ランタンは背負った荷物に括り付けてあるのですぐに点けられる。意を決して中に入ったローゼは片側の扉へ手を掛けて押した。開けたときと同じようにもう片方の扉も動くので、隙間は見る間に細くなる。それが完全に締まる直前にローゼは外の一団へ――その中でも特にふたりに向けて手を振ると、一つ息を吐いて、ぴったりと扉を閉めた。

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