32話 ★潰えた夢

「レオン、聖剣の主様は瘴気を浴びることが多いんだから、ちゃんと神殿に行って浄めてもらうのよ?」


 聖剣の主に選ばれたあのとき、俺に会いに来てくれたエルゼはそう言っていた。だけど俺は一度も浄めてもらったことなんてない。

 なにせ俺には聖剣がある。聖剣の守りの力は強いのだし、瘴気なんて平気なはずだ。実際に八年のあいだ魔物と戦い続けてるけど、俺の見た目に変化はない。



《挿絵》

https://kakuyomu.jp/users/Ak_kishi001/news/16818093080513583008



 ……きっと、黒く染まるなんていう話自体が嘘だったんだ。神殿の連中はそうやって人を脅し、金を巻き上げてるんだな。なんて汚いんだ。


 そう。神聖術をかけてもらうには金がいるんだ。神殿の思惑に乗りたくない俺はできるだけ世話にならないようにしているけど、残念ながらどうしても金を払わなくてはいけないことはある。

 神聖術が籠められた品の購入だ。

 特に薬は絶対に欠かせない。神聖術が籠められた薬には傷を即座に治す効果がある。それに加えて魔物から受ける瘴気混じりの傷は、神聖術か、あるいは神聖術が籠められた薬でないと治らない。


 そんなわけで俺は町や村の神殿には仕方なく立ち寄ることはあったが、大神殿にだけ絶対に行かなかった。

 そしてもう一か所、俺自身の故郷の村にも。

 だから俺はずっと気が付かなかったんだ。

 俺の幼馴染、赤い髪と瞳を持つエルゼが、神官になることなく大神殿から去っていたことに。


 その話が分かったのは本当に偶然だった。薬を買うため立ち寄った神殿に、たまたまエルゼと同期の女性神官がいたからだ。

 俺と彼女に面識はない。だけどそのときは腰に巻いた布が緩んでいたせいで中の聖剣が見えていた。今、聖剣を持つ若い男は俺だけだから、それですぐに分かったのだと彼女は言う。


「エルゼは元気ですか」


 問われて俺は首をかしげた。

 エルゼは十歳で大神殿に行った。神官の修行は八年だから、エルゼは今から五年も前に神官になっている。もしどこかの集落で赤い髪の女性神官を見かけたときはすぐに逃げようと俺は心に決めていたけれど、もちろんそんなことを言うわけにはいかない。


「エルゼがどの神殿に行ったのかは知らないから、元気かどうか分からない」


 とだけ答えると、神官の彼女は驚いた。


「ご存知ではなかったのですか? エルゼは神官になっていません。そのまま故郷の村へ戻りました」


 今度は俺が驚く番だった。

 どうしてエルゼが神官になっていないのか。理由を問い詰めると、彼女は人目をはばかるように辺りを見回した。そうして神殿の小部屋へ俺を案内し、重い口を開く。


「エルゼは八年のあいだずっと、同期の中で一番の成績でした。それを良く思わなかった貴族のお嬢様が、エルゼを陥れたんです」


 貴族のお嬢様とやらは「エルゼが自分の首飾りを盗んだ」と訴えた。

 上役の神官たちがエルゼの部屋を捜索すると、確かに荷物の中から首飾りが見つかった。それでろくな審議も行われないまま「庶民のエルゼが貴族の持ち物を欲しがって盗んだ」と決めつけられた。


「エルゼは否定しました。私たちも抗議したんです。……でも、無駄でした」


 結論ありきの裁判の結果、エルゼは罰として大神殿を追われた。神官になるまであと数か月という時期の出来事だったそうだ。

 彼女の話を聞く俺の手は小刻みに震えていた。必死に自分を抑えていなければ、俺は辺りのものをすべて破壊していたに違いない。


 だってこんな酷い話があるか?


 神官になるのはエルゼの夢だったんだ。魔物に両親を殺されたエルゼは、子どもの頃から「大事な人を魔物から守りたい。村を魔物から守りたい」と言い続けてた。だから十歳になってすぐ村を出て、大神殿を目指した。

 叶う直前だった夢を潰されて、エルゼはどれほど悲しんだのだろう。

 考えるだけで気が狂いそうだ。


 許さない。

 絶対に許さない。


 俺は神官の彼女から貴族の名前を聞きだすと、約八年ぶりに王都へ足を向けた。行先はもちろん例の貴族の屋敷だ。

 最初はその娘を殺してやろうと思った。

 だけどもっといい方法を思いついたんだ。


 貴族の屋敷にはあまり苦労せず入り込めた。当主もすぐに見つかったが、奴は俺の要求を断った。神官の娘に禁忌を犯させるわけにはいかないとか言ってたが、だから何だ?


「それが嫌なら一族全員の命で償わせてやる。誰に助けを求めても無駄だ。どれだけの年数をかけても、どんな手段を使ってでも、俺は必ずやり遂げてみせる」


 俺が言うと、泣き崩れた当主はついに要求を受け入れ、刻限として指定した日に約束の物を持って現れた。

 神官になるというエルゼの夢は叶えられなかったが、これなら代わりとして役に立つはずだ。


 ――故郷の村へ向かう途中、ある貴族が地位を剥奪されたらしいとの噂話が耳に入ったけど、俺にとってはどうでもいいことだった。



   *   *   *



 今日は出発してからもローゼの頭からは見た夢の内容が離れなかった。


(レオンが出てくるあの夢は、あたしの妄想だと思ってたけど……もしかして違うの?)


 ローゼの身に重要なことが起きたり、あるいは印象深いことを見たり聞いたりしたときにレオンの夢を見ているような気がする。まるでレオンがローゼをつうじ、当時の記憶を思い出しているかのようだ。


 ローゼは十一振目の聖剣の、二番目の主になる。

 一方で夢の中のレオンは十一振目の聖剣を初めて持つ人物だった。

 だとすればレオンというのは、聖剣を手にしたあとに八年と少しで世を去ったという初代主しょだいあるじなのだろうか。


 ローゼはセラータの手綱を握りしめる。

 夢はどんどん時が進んでいる。だけどレオンには幸せな未来が待っているように見えない。先を知りたくない気持ちは、先を知りたい気持ちと同じくらい大きい。

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