31話 黒く染まる
戦い終えて戻ってきた神殿騎士たちの方へ神官の一団から数人が走り寄る。神殿騎士たちが立ち止まると、手をかざした神官は聖句を唱えているようだ。
その様子を見ながらローゼはぽつりと呟く。
「すごいなあ」
村人たちが小鬼を相手にした場合はもっと時間がかかる。神殿騎士たちの手にかかるとこんなにも見事に倒せるのかと思うと、改めて「魔物と戦い続ける」ということの凄さを感じる。
(あたしもこれからは魔物とあんなふうに戦うんだ)
考えてローゼは首を横に振る。
(ううん。違う。あたしに仲間はいない。あたしは聖剣を持って、ひとりで魔物と戦わなきゃならない……)
* * *
「ローゼ様、どうかなさいまして?」
声を掛けられてローゼはハッと顔を上げる。神殿騎士見習いの証である銀色の鎧を脱ぎ終えたフェリシアが、天幕の中で不思議そうにローゼを見ていた。
夜になると大神官は集落の中へ姿を消すが、神殿騎士や神官たちは集落の近くで天幕を張って休む。各自の天幕を用意するわけではなく、少し大きめの物を張り、複数名で男女別に寝ているようだ。
最初の夜、ローゼもそこへ行くつもりだったのだがフェリシアに止められた。小ぶりの天幕をひとりで使用しているから、自分と一緒に寝ないかと誘われたのだ。
断る理由もなかったので、以降のローゼはフェリシアと一緒に寝ることにしている。ローゼも見知らぬ人たちに囲まれるよりフェリシアと一緒の方が気が楽ではあったし、当のフェリシアもこうして楽しそうにしてくれている。
「あ、ごめん。昼のことを思い出してたの。戦闘するときに神殿騎士たちが何か唱えてたなあって。あれは聖句?」
「ええ。
「瘴気、かあ。文字は本や聖典で見たことあるけど、あんまり詳しく載ってなかったな」
「必要がないので、一般の方に向けた聖典には詳細が書かれていませんのよ。――瘴気というのは、地の底に満ちている空気のようなものです。地上では神の力に阻まれて、魔物は本来の力を発揮できませんの。ですが瘴気さえあれば、魔物は地上でも地の底と同じだけの強さを持てるのだと言われていますわ」
地の底には闇の王が
魔物は『
と言っても瘴気や瘴穴は人に見えない。神の言葉として聖典に記載があるだけだ。ただし実際に地面から魔物は這い出してくるのだから、見えなくともきっとあるはずだ、とフェリシアは語った。
「じゃあ魔物がいるってことは、近くに瘴穴があるってこと?」
「いいえ、そうとも限りませんわ」
瘴穴は通常、半日も経たずに消えるといわれている。地上に満ちる神の力に負けてしまうからだ。しかし中には一か月近くも存在し、延々と魔物を出し続ける強力な瘴穴もあるらしい。しかも瘴穴が消えたからと言って魔物が消えるわけではないので、倒されなかった魔物は山や森をうろつき続けて遠くまで行く。
「なるほど。すごく厄介だね」
ローゼが呟くと、髪を
「ええ。瘴穴が近くにあるかどうか、分かれば良いのですけれど」
「他に魔物が出て来るかどうかの警戒ができるもんね」
「それだけではありませんわ。魔物と戦う者たちは特に瘴気に気をつけなくてはなりませんの。瘴気は人を魔物に変えてしまいますから」
「なにそれ!」
「これも、聖職者向けの聖典にしか書かれていないことです。――瘴気は体の中に溜まって行きますの。そしてある程度溜まると、魔物になってしまいますの」
その様子を想像し、ローゼは思わず唾を飲み込む。
「……瘴気が溜まったかどうかって、どうやって分かるの?」
「髪や目の色です。瘴気に染まると髪や目が黒くなっていきますのよ」
フェリシアは梳かしていた髪を手に取る。
「ほら。ですから神殿の関係者は、こうして髪を伸ばしますの」
「短いよりも長い方が、黒くなったかどうか分かりやすいもんね」
さらさらとなびくアーヴィンの長い褐色の髪を思い出したローゼは、同時にグラス村で読んだ本のことを思い出した。
精霊が世界から消えた理由は「魔物に変じて数を減らしたせい」なのだと書いてあったが、もしかするとそれも瘴気の影響なのかもしれない。
黒く染まったりしなければ今でもあちらこちらに精霊がいたのかと思うと、とても残念だ。
「瘴気に染められた人は元に戻せるの?」
「ええ。神官の使う神聖術で浄化できますわ。ただしある程度染まってしまうと、もう浄化はできません。魔物になってしまいます」
「……魔物になった人っているのかな」
「記録に残っていないので、きっといませんわ。だって普通の人は魔物に変わるほどの瘴気を浴びたりしませんし、神殿の関係者で神官から浄化を受けない人なんておりませんもの」
「それもそうか」
ふたりは顔を見合わせて笑い、寝袋に潜り込む。
「聖剣の主様は魔物を倒し続けますもの。瘴気の近くに行くことが多いのですから、黒く染まりやすいと聞きますわ……もちろん聖剣に守りの力がありますから、簡単には染まらないそうですけれど」
「ふうん……」
「ですから時々、神官に瘴気を浄化してもらう必要があるそうですわよ」
「へぇ……」
「もう、ローゼ様ったら、そんな他人ごとのようなお返事をなさって。今後、ローゼ様も同じことをする必要がありますのよ?」
「……うーん、本当に聖剣の主になったらね」
「きっとなりますわ」
笑うフェリシアの目がとろりとしている。
「そろそろ寝ようか。おやすみなさい、フェリシア」
「はい。おやすみなさいませ、ローゼ様」
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