30話 旅の途中
アレン大神官と一緒にグラス村へ来たのは、神官が五十名と神殿騎士六十名だった。
この中でまず、三十名の神殿騎士が先頭を行く。その後ろを大神官の乗る馬車と五十名の神官たちが進み、さらに後ろは残り三十名の神殿騎士が続く形だった。
ローゼが入れてもらうことになったのは、後ろ側の神殿騎士三十名の中だ。
日中は食事と休憩以外は基本的に先を進み、夕刻近くに集落があればそこが宿泊地になる。
大神官は町の中に泊まることが多く、その他の人物は皆、集落近くの開けた場所で天幕を張って休んだ。
食事も朝や昼は携帯食ばかり。夜は簡易的に設えたカマドで簡単な煮込みは作られるが、大して美味しいものではない。ジェラルド曰く、「まともな食事」をしたのは、グラス村付近に滞在していた数日くらいだという話だった。
「まあ、アレン大神官はちゃんとしたものを食ってるんだろうけどよ」
「そうですか……」
ローゼは少し残念に思う。
たくさんの人と一緒に干し肉や硬いパンをかじるのも初めてなので興味深くはあるが、できれば見かけた町や村の食事もとってみたかった。駄目ならば、せめて建物を見てみたかった。
今しがた通りかかった集落の壁を未練がましく振り返っていると、ローゼの右横で馬を並べて進むジェラルドが笑いまじりの声で言う。
「よっぽど気になるみたいだな、ローゼちゃん」
「ええと……はい」
周りから自分がどう見えているのか分かって、ローゼは照れ笑いを浮かべながらセラータに座り直す。
「ローゼ様は村を出たのが初めてでいらっしゃいますのよね。仕方ありませんわ」
左側にいるフェリシアが慰めるようにそう言ってくれるが、ローゼが村を出たのは厳密に言えば今回が初めてではない。
最初に他の集落へ行ったのはまだ子どもの頃。行先は、祖母の故郷でもある隣の村だった。祖母が何かの折りに帰省することになった際「初孫を親戚に披露したい」という理由でローゼを連れて行ったのだったと思う。それでその日、ローゼはグラス村の家で朝食を摂ってから馬車に揺られ、少し遅い昼食を祖母の実家でごちそうになった。
隣村は海に面していて、漁で生計をたてていた。農業中心のグラス村とは違うことが多くて、とても驚いたことをローゼは覚えている。
ならばもっと遠くへ行ったのならどれほど景色は違うだろう。人々はどのような建物の中に住んで、どのようなものを食べているのだろうかと、ローゼはずっと気になっていたのだ。
「でしたら集落が少しも見られないのはガッカリですわよね」
「そうなの。だけど景色だけだって意外と楽しめるなあ、とは思うのよね」
見たことのない山や川などは興味深いし、例え村で見た木や花であっても並びや生え方が違うだけでずいぶん印象が変わる。これだけでも旅の気分が味わえるものだと言うと、フェリシアはほんのりと笑った。そこには経験を持つ者特有の余裕が垣間見えて、ローゼはなんだか羨ましくなる。
「フェリシアはいろんな景色を見たことがあるんだね」
「はい。と、申し上げたいところですけれど、実際には、いいえ、ですわ。訓練で王都周辺を巡ったことはありますけれど、こんなに遠くに来たのは初めてですもの」
「そっかあ」
考えてみるとローゼは神殿騎士についてさほど知っているわけではない。もちろん本や記録では読んだので神殿騎士たちの活躍や苦労は知っているが、それだけだ。
周りを囲む白い鎧の人々を見ながら、ローゼはこっそりと左側に体を傾ける。
「ね、フェリシア。神殿騎士って普段はどこにいるの? 神官とは違って決まった拠点にしかいないんでしょ?」
「ええ。神殿騎士の部隊は王都の大神殿と、アストラン国内の五つの都市に駐留しております。もしも魔物が出た時は大神殿の要請に従って他の地域にも討伐へ向かいますわよ」
「じゃあフェリシアもいつかは神殿騎士になって、魔物と戦うんだね」
「ふふふ」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアは意味深な笑みをもらす。
「わたくしが神殿騎士になれるのはあと二年後ですけれど、魔物とは既に戦ったことがございますわよ」
そう言ってフェリシアは黒い馬の背で胸を張った。小さな声だったのは、周りにいるのが魔物との戦闘経験を持つ神殿騎士ばかりだからだろう。それが分かってローゼも小さく笑った。
この辺りまではローゼに物見遊山の気持ちがあったことは否定しない。それがいかに甘い気持ちだったかと思い知ったのは翌日のことだ。
昼を目前とした頃、後方で騒ぎが起きた。ローゼの右横を進むジェラルドがさっと表情を引き締め、周囲の神殿騎士たちの気配が一斉に緊張を帯びる。
「……なに?」
ローゼが戸惑いの声を上げる頃になると、神殿騎士たちは掛け声を合図に隊列を組み、後方へ馬を走らせていた。
前方の神官たちが列を止めて「何事か!」と叫ぶ。ひとりの神殿騎士が「魔物だ」と言い、続けて別のひとりが「だが問題ない、小鬼だ」とさらにつけ加えた。
小鬼とは大して強くない魔物たちの総称だ。よく姿を見る代わりに、神に仕える者でなくとも倒せる程度の力しか持っていない。神殿騎士たちの敵ではないと頭では分かっているものの、こうして間近に醜悪な小さい顔を見てしまうと、体が震えてしまう。
それでもローゼは聖剣の主として選ばれた者だ。汗ばむ右手を腰へ移動させ、冷たい剣の柄を握ったとき、横のフェリシアがやんわり手を重ねてきた。
「出たのは小鬼ですし、周囲にいるのは手練れの神殿騎士たちばかりですわ。ご心配に及びません」
「……うん」
それでほっと肩の力を抜いたローゼは、代わりに戦闘風景を目に焼き付ける。
今回の小鬼はとても素早い種類のようで、神殿騎士の刃は幾度も空を切る。
しかし誰かが聖なる言葉を唱え終わった途端に小鬼の動きが鈍った。その機を逃さず別の神殿騎士が刃を叩きつける。鋭い爪の一部が手から離れて宙に舞った。次の神殿騎士がさらに足へ切りつけ、よろめく小鬼へ複数の神殿騎士が切りかかる。こうして小鬼はついに塵となって消えた。鮮やかな連携だった。
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