28話 夜が明けて

 フェリシアが姿を見せられたのも当然の話で、いつもならまだ閉じられているはずの村境の門は、既に大きく開いていた。

 本来ならこんなに早く開いているはずはないので、おそらくアーヴィンが昨日のうちにでも言っておいてくれたのだろう。


(でも、居眠りしてちゃ番兵の意味はないよねえ)


 小さな建物にいる老兵がこっくりこっくりと頭を動かしている様子を見ながら、ローゼはくすりと笑う。


(ま、うちの村だからしょうがないか)


 大神官の一行が去るのは今日だ。明日からは彼の日常も普段通りに戻るだろう。

 門を出たところでフェリシアは立ち止まり、道の脇にある林を示す。


「わたくしはこちらから戻ります」

「うん」


 フェリシアは今回来ていないはずの人物なのだから、ローゼと一緒に行動するわけにはいかない。


「ローゼ様は道を進んで、まずは大神官様のところへ行っていただきたいのですけれど……」

「心配いらないわ。ほら、あたし、昨日も大神官のところにひとりで行ったのよ。今日はセラータだっているし、それにまた後でフェリシアにも会えるんでしょう?」

「もちろんですわ! わたくし、こちらへ来るときも密かに部隊と合流しましたの。帰りだって、密かに合流しましてよ!」

「良かった。すっごく心強い」


 ローゼの答えを聞いて破顔したフェリシアは「また、後で。必ずですわよ。絶対ですわよ!」と言って林の中へ消えて行った。


(……さて)


 足に力を入れてローゼは歩き出そうとし、ふと思いついてセラータに騎乗する。

 目線が上がって視界が開けた。少しずつ明るくなっている東の空だって良く見える。今日はきっと良い天気だ。


「行こう、セラータ!」


 ローゼの合図に合わせ、セラータは足取りも軽く進み始める。先ほどまで寒く感じていた風がこんなにも気持ち良く思えるのは、セラータに初めて騎乗したローゼの気分が高揚しているからかもしれない。


 ほどなくして目に映った草原の景色は、がらりと様相を変えていた。あるいは、元に戻ったと言うべきだろうか。

 あちこちに張られていた天幕はとうに畳まれており、荷馬車の準備も終わりに近い。確かに出発までは間がなさそうだ。


 道に近い場所にいる神官がローゼに気づいた。それを始めとして辺りにざわめきが起きる。ローゼが草原に到着する頃に余波はかなり奥の方まで広がっており、多くの神官や神殿騎士たちが驚きを持ってローゼに顔を向けていたが、最初の衝撃に比べたらこの程度はものの数にも入らない。


 皆に譲られた空間の先には驚くほど豪華な馬車があった。その傍にはやはりアレン大神官がいて、周囲の神官たちになにか指示を出している。

中のひとりがローゼを認め、声をあげた。合わせて辺りの神官たちが信じられないものを見たような表情を浮かべ、ようやくアレン大神官が振り返る。


 大神官の眉間の皺の刻まれようときたら、二度と元には戻らないのではないかと思うほどだ。

 思わず上がってしまう口角をなんとか引き戻してローゼはセラータから下り、手綱を引いて大神官の前まで近寄る。


「おはようございます。出発にはうってつけの天気ですね」

「……なんでいるんだ」

「あたし……いえ、私は、旅に出るのが初めてなんです。ワクワクして眠れなくて、ついこんな時間に来てしまいました」


 言って、ローゼは辺りを見回す。


「大神官様も旅が楽しみで仕方なかったんですね。昨日はちゃんと眠れました?」


 近くの神官が吹き出す。大神官はそちらをひと睨みしてからローゼの方へ顔を戻した。


「……これから古の聖窟へ発つ。其方そなたにはここにいる神官たちと行動を共にしてもらおう」

「えっと……」

「おはようございます、アレン大神官様。それに、ローゼ様」


 突如として割って入った声がある。いかにも通りすがりといった具合の女性神官のものだ。彼女は柔らかな笑みを浮かべてローゼを見る。


「ローゼ様は旅を取りやめたとお聞きしましたが、考え直されたのですね。よろしゅうございましたわ」


 ローゼの視線を避けるように、大神官はそっぽを向いた。


「ところで今、ローゼ様がアレン大神官様のお近くの神官と動かれる旨を耳にしました。しかしローゼ様はこれから剣を扱うことになるかた。神官よりも神殿騎士たちと行動を共にした方が学ぶべきことも多いかと存じますが、いかがでしょう?」


 アレン大神官はきっと反対するだろうとローゼは思った。しかし意外にも彼は「……好きにしろ」と吐き捨てるように言っただけで反対意見は述べなかった。


「さすがはアレン大神官、賢明な判断をなさいますわ。さ、ローゼ様、神殿騎士がいるのはあちらです。お好きな部隊に参加なされませ」

「はい。……ありがとう、ございます」


 敵か味方か判断はつかないが、結果的には助かった。ローゼが礼を言うと、女性神官はにっこりと微笑んで立ち去る。どうやら大神官へ進言するためだけに来たらしい。

 その背に向けて誰かがぼそりと呟く。


「ハイドルフのいぬめ」


 それが決定的だった。


(あの人は少なくとも敵じゃない)


 確か北の森の小屋でアーヴィンと話したとき、彼は「今回来ている全員がアレン大神官の配下というわけではないんだ」と言っていた。つまりはそういうことなのだろう。


「では、神殿騎士のところにいきますね!」


 ローゼが大きな声で宣言すると、苦虫をかみつぶしたようなアレン大神官が何かを言おうとする。

 そのときだった。

 一陣の風が音を立てて通り過ぎる。顔の前に草が飛んできてローゼは目を閉じた。草を払い、頭を振って、再びアレン大神官を見ると、彼は目も口も開いたままローゼの後ろへ視線を向けて動きを止めていた。

 何があるのだろうかとローゼも振り返るが、特に何も見当たらない。あるのはせいぜい、風でなびいたセラータのたてがみと尾が元に戻っていく光景くらいだ。


「どうかしました?」


 ローゼの問いかけにも気づいた様子がない。アレン大神官はそのまましばらく動きを止めたあと、何も言わずに馬車へ乗り込んでしまった。

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