25話 旅立ちの朝

 良い具合にまだ暗いうちに目が覚めた。ローゼは枕元に置いた輝石きせきを点し、仄かな明かりの中で支度を始める。

 靴は履きなれたものにしたけれど、着るものは昨日のうちに渡してもらったものだ。

 聖剣の主になるのだから魔物と戦うことは多くなるが、ローゼは鎧を着慣れていない。それを考慮してアーヴィンが用意してくれたのが、大神殿で作られたという紺色の旅装りょそうだった。


 上は長袖チュニック、下は長ズボンというあっさりとした組み合わせの服だが、実は聖なる力が籠められた糸で作られており、魔物の攻撃をある程度防ぐ効果があるらしい。見た目は硬そうなのに不思議と肌触りはなめらかで、ごわついた服ばかりを着るローゼにとっては着慣れていなくて少しくすぐったいものだった。


(だけど夢の中のレオンはただの服を着てたっけ……)


 彼の服装は薄茶色をした厚手のシャツとズボン、その上から濃茶のマントを羽織っていただけ。やはり鎧ですらなく、旅装でもなかったが、手の甲から前腕部までは革の籠手も着用して戦闘に臨める態勢は整っていた。


 そして剣帯には、印象深い一振の剣が。


 握り部分の模様はあっさりしていたが、代わりに鍔は黄金の翼を模した豪華なものだった。

 しかも柄頭には透明の美しい玉がはめ込まれており、その中では金色の光がちらちらと瞬いていた。

 なんとも優美で、なんとも高貴な印象を見る人に与える剣。


(あれはきっと、聖剣だった……のよね?)


 ただし聖剣を得たというのに、レオン自身の表情は以前と違って暗かった。

 前に夢で見たとき――赤い髪のエルゼや村の神官様と一緒にいたときのレオンには笑顔も見られたが、今回の見た夢の中のレオンはずっと硬い表情だった。彼の旅路はどうやら良いものではなかったようだ。


(前にレオンの夢を見たのも「聖剣の主に選ばれた」と言われた翌日だったっけ)


 古の聖窟なる知らない言葉が出てきたし、知らない景色もいろいろと出てきたが、今までの本や絵で見たことがあったのだろう。頭の片隅に知識として残っていたから、きっと夢に見た。


(あれもあたしの不安が作り出した夢なんだろうなあ。……今回のあたしも、旅がどうなるか分からなくて不安なんだわ)


 だからこの出発の日に、またレオンの夢を見てしまったのだ。


 しかし夢は夢でしかない。

 頭を振ってレオンのことを追い出し、髪を結って準備を終えたローゼは荷物を持ってそっと裏口から出る。

 井戸の水を汲み、縁の欠けた木の桶に手を入れると、中の水は感覚が麻痺するほど冷たかった。顔にかけるとまだ頭に残っていた眠気がパッと去って行くのがありがたい。


 この水で顔を洗うのも、ローゼを日々迎えてくれる家に戻るのも、いつものこの道を通るのも、しばらくは先のことになる。そう考えるたびに、見知らぬ世界へ出るときめき期待の奥で、ひっそりとした痛みが湧き上がる。もしかするとこれが感傷というものかもしれない。

 なんとなく道の途中で立ち止まり、家の全容を目に焼き付ける。家族の顔を思い浮かべながら大きく手を振ったローゼは、星明かりの下、星のような輝石の光で足元を照らしながら神殿へ向かう。


 普段は夕方になると鍵を閉めている神殿の門だが、今日は一晩中開けたままにしているとアーヴィンは言っていた。

 ローゼは先ほどの水と同じくらい冷たい鉄の門を握って押す。神殿の前庭にはまだ誰もいないので、さすがにこの時間の出発はないようだ。


 仄かな花の香りに包まれながらぼんやりしていると、正面にある神殿の扉が開いた。姿を見せたのは神官服姿の男性だ。


「アーヴィン!」


 ローゼの声を聞いた彼はランタンを軽く上げた。その明かりに向かってローゼは走る。

 夜の神殿にいるのは神官だけ、つまりアーヴィンだけ。だから音を立てても他の誰かの迷惑にはならない。


「ごめんね。起こしちゃった?」

「いや、ローゼが来るかもしれないと思って今日は起きていたんだ。お入り、暖炉に火をいれてあげるよ」

「……ううん。あたし、外にいるから、いい」


 なんとなく、暖かい室内でぬくもっているより、寒くても外で景色を見ていたい気分だった。

 アーヴィンの好意を断った形になったけれど、静かに微笑む彼に気を悪くした様子はない。代わりに「暖かくするんだよ」と言って戻って行ったので、ローゼは神殿の石段を手で払って座り、旅装一式に含まれていたマントにくるまる。

 静かな空気の中、少しずつ変わる夜空を背景に村の様子を眺めていると、背後からは足音が聞こえたあとに再び扉が開いた。黙ったまま振り向くこともしないローゼの横で、コトリと小さな音がする。


「もう少しのあいだ、村と話をしておいで」


 穏やかな低い声がそう囁き、足音はまた奥へ消える。ローゼの鼻腔に芳しい香りが届くのは、アーヴィンがカップを置いて行ってくれたからだ。湯気の立つカップを冷えた手で持ち、熱を楽しんでから一口飲みこむと、じんわりとしたあたたかさが体を満たす。


「……美味しい」


 もう一口飲んで、ほっと息を吐いたローゼはまた顔を上げる。


「……村と話、か……」


 その言葉はローゼの今の気持ちを表現するのによく合っていた。

 そうしてローゼは村を見つめたままチビチビとお茶を飲む。お茶は本当に美味しかったのだけれど、ほんの少しだけ涙の味がした。

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