22話 旅に際して

 ローゼがアレン大神官の元へ行ったとき、早朝に草原を発ったというアーヴィンは不在だった。ならばローゼが聖剣の主を受けた話を聞いたのは、町から戻って来てからのはずだ。


「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」


 そう言ってくれたアーヴィンだが、実際にローゼが選択を出したあとも同じように考えていてくれているだろうか。尋ねてみようかとも思い、彼を見つめ、そこでローゼはアーヴィンの表情の硬さに気づく。


 最初に思ったのは、聖剣の主を受けたローゼに対する負の感情だ。口ではなんと言っていても、本当は受けて欲しくなかったのかもしれない。

 考えて胸の奥がずんと重くなるが、しかしよく見るとアーヴィンの表情は憂いや心配といったものではない気がする。


(迷い……かな?)


 悩んで答えを出したけれど、その答えが正しいのかどうかをまだ迷っている。今のローゼとよく似た、だけどそれよりもっと深刻な、そんな空気感。


(なにがあったの?)


 聞いてみようかと思ったが、なんだか躊躇われる。そしてアーヴィンの側も何も言わない。

 沈黙がおりる中、次に言葉を発したのはジェラルドだった。


「この馬。……まさか、北の」


 どうやらジェラルドはあまり大人しくしている性質ではないらしく、ふらふらとアーヴィンが連れている馬へ近づいて、「ほうほう」とか「なるほどなあ」などと呟いていたのだが、急に強張った声を出した。それがローゼよりほんの少し早かったのだ。


「おい。この栗毛馬、どうしたんだ?」


 アーヴィンがジェラルドを振り返る。


「黙っていてください」

「お前が乗ってるのは葦毛の馬だったよな? てことはリュシーちゃんに」

「黙っているはずでしたね、ジェラルド!」


 アーヴィンの声には有無を言わせない強さが含まれていた。

 確かに今しがたジェラルドは「しばらく黙っている」と言った。しかしアーヴィンの言葉に含まれているのはそのことなのだろうか。アーヴィンの立腹は何度も話の邪魔をされたからなのだろうか。

 ジェラルドの方へ顔を向けるアーヴィンの表情はローゼからは見えない。ただ、気圧された様子のジェラルドは横を向き、小さな声で呟く。


ーったよ」

「それでいいんです。私が紹介するときまで静かにしていてくださいね」


 村の子どもに対して諭すときと同じ調子で言ってアーヴィンはローゼに向き直る。その顔にあるのはローゼの良く知る穏やかな笑みだった。先ほどの迷いすらもう見当たらない。


「ちっとも話が進まないな。ごめん」

「ううん……」


 彼の声も、表情も、いつもと同じ。しかしそれが逆に不自然さを醸し出しているように見える。

 黙り込んだジェラルドと、戸惑いの表情を浮かべるローゼと。

 その中でひとり普段通りのアーヴィンが、自身の持っていた手綱をローゼに差し出す。意味が分からないローゼが手綱とアーヴィンの顔を交互に見つめていると、近寄ってきたアーヴィンがローゼの手を取り、手綱を握らせた。馬がローゼのすぐ目の前に来る。


 見る限り、まだ若い栗毛の馬だ。どうやら雌らしい。頭のてっぺんから足先に至るまで白いところも黒いところもなく、たてがみや尾は長い。

 優しい目をした彼女の、艶やかな毛に触れてみたくなって、今度はローゼが一歩近寄った。そこで風が吹き、ローゼは息をのむ。

 黄褐色だとばかり思っていたたてがみは宙に舞うと色が変わった。秋の夕暮れ時、海の向こうへ去りながら道に長い影を伸ばす、あの夕日と同じ色をしていたのだ。


「綺麗……!」


 風が静まってたてがみは元の位置に戻ったけれど、もう一度あの美しさが見たくてローゼはたてがみに手を這わせた。ふわりと持ち上げると、日に透けるたてがみはやはり茜の色に輝く。こんな素晴らしい毛色の馬をローゼは今まで見たことがない。


「こんにちは。あなたってとっても素敵ね。名前はなんていうの?」

「まだ無いんだよ」


 答えを返したのはもちろん馬ではなく、アーヴィンだ。

 馬に夢中で、自分のほかに人がいたことを失念していた。

 自分の言動が子どもっぽかったような気がして頬が熱くなる。


「へ、へえ、そうなの。じゃあ、この子は野生馬?」

「いや、違う。……そうだな、そういう意味では名はあるけれど、あくまで仮の名なんだ。ローゼが新しい名前を考えてあげるといい」

「なんで、あたしが?」

「この馬がローゼの馬になるからだよ。きちんと訓練された馬だから乗るに際しての心配はいらない。それに」


 続いてアーヴィンは馬に積んである荷物を示す。


「使えそうな物は入れておいた」


 ローゼは目を見開く。

 確かに何を持って行けば良いか分からないのでアーヴィンに相談してみようとは思っていたが、まさか用意されているとまでは思わなかった。


「でも、馬に荷物までなんて。あたし、そんなお金……」

「気にする必要はないよ。本来ならどれも大神殿側で用意するはずのものなんだ。ただ、アレン大神官は何も用意せずに来るだろうと思ったからね」


 アーヴィンの言う通りだ。ローゼに断らせることばかり考えていたアレン大神官が荷物を用意しているとは思えない。実際にアレン大神官はローゼに対して荷物の用意があるなんて一言も言わなかった。


「……本当に、いいの?」

「もちろんだよ。それから――ジェラルド」

「おう」


 太い声で返事をしたジェラルドがアーヴィンの横に立つ。

 ふたりの間には少しばかりぎこちない雰囲気はあったが、ローゼの眼差しを受けたジェラルドは不安を取り払うように明るく笑った。

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