20話 やれと言われたら

 大神官の気持ちになって考えてみるのなら、二回目の状況だってさほど悪くなかったはずだとローゼは思う。


 やってきた娘はおどおどとしていて声が小さく、きっと外には聞こえない。

 十中八九「聖剣の主をやらない」という返事だろうが、もし「やる」と言い出しても、また丸め込むことができるだろう。


(なんて考えてたのかもしれないけど、ふふふ、残念でした!)


 天幕の素材は薄い。ローゼが大声で宣言した内容は周囲の野次馬たちの耳に充分届いているはず。ローゼが聖剣の主を受けたという話はすぐ草原中に知れ渡るだろう。そうでないと困る。この天幕の周囲に人を集めるため、ローゼはわざとあちこち歩いたのだから。


「それで? 私はこの後どのようにしたらよろしいですか、大神官様?」


 ローゼがにっこりと笑いかけると、アレン大神官は苦いものを噛んだような表情を浮かべ、背を向ける。


「明日の昼過ぎに出発する」


 彼の発した言葉は敬語ですらなかった。


「明日ですか?」

「左様。無理なら諦めるのだな」

「いいえ、諦めません。必ず来ます」


 もう一度「昼過ぎだ」と繰り返す言葉を聞きながら、ローゼは天幕を退出する。途端に周りの人々が何食わぬ顔で謎の作業を始めるのだが、元はと言えばこの天幕の周辺でこんなに人が必要なはずはない。


(みんな! あたしのために集まってくれてありがとう!)


 内心で礼を述べたローゼが近くの神官にアーヴィンの居場所を尋ねると、彼は「あそこにいる」と離れた天幕を示したあとで、しまったと言いたげな表情を浮かべる。


「……いや、だけど、会わせたらいけないと言われてるのは答えを出す前で……出したあとなんだから、大丈夫だよな……」


 ブツブツと呟きながら連れて行ってくれるが、中には誰もいない。通りかかった神官が「レスター神官なら町へ行くと言って朝早くにここを発ちましたよ」と教えてくれると、ローゼと一緒にいた神官が目を剥いた。


「おい、大神官様がレスター神官には謹慎の処分を下していただろうが」

「そうでしたっけ?」

「忘れたのか? ほら、身分証紛失の件で」

「あれはもうお許しが出たって聞きましたけど」

「出てないぞ!」


 情報が錯綜しているのは、アレン大神官側とそうでない側との連携が取れていない証拠だろうか。


「ええと、いないならいいです。ありがとうございました」


 言い合いをしているふたりの神官にそう言って背を向け、ローゼは草原を後にする。荷馬車の列を避けて再び大きく迂回し、向かったのはディアナの家だ。


「待ってたわ。決めたの? 結局どうするつもり?」


 ローゼを自室に通して問いかけてくるディアナには焦りと不安が見えた。椅子に座り、ローゼはディアナから視線を外しつつ答える。


「明日、出かけることになっちゃった」


 小さな悲鳴が聞こえる。


「受けちゃったの? 本当に聖剣の主様になるつもり?」

「なれるかどうかは分からないよ。聖剣をもらい行く途中で何かあるかもしれないし」

「嫌なこと言わないで。……だけど行くってことは、なるつもりがあるってことでしょ? あんた、本当にやれると思ってるの? 訓練で剣を握った時だってあんなに腰が引けてたのに」

「それを言っちゃう?」

「言うわよ。だって聖剣の主って魔物と戦うのよ。剣を振るうのが日常のことになるの。分かってる?」

「うーん、まあ」

「まあ、じゃないわよ……」


 そこへ使用人がやってきた。お茶を受け取ってため息をつくディアナの背に、ローゼは声をかける。


「とりあえず、まずは神様に会ってみるつもり」

「……なによ、それ」


 ディアナが振り返ってお茶のカップを渡してくれる。ふんわりと良い香りが立ち上る向こうに泣きそうな顔がある。


「あのね、ディアナ。あたしには聖剣の主として選ばれる資質なんてないでしょう?」


 ローゼはただの村人だ。秀でた能力があるわけでもなく、剣の名手という訳でもない。こればかりはアレン大神官の言う通りだ。ローゼには聖剣の主なんて荷が重い。


「だけど選ばれたからには理由があるはずよね。だからまずは神様に会って、どうしてあたしを選んだのか、本当にあたしにやらせる気があるのか、その辺りを確認しようと思うの」

「それで神が『やりなさい』っておっしゃったらどうするつもり」

「しょうがないから、やるかもね」

「やっぱりやるんじゃないの」


 ディアナはそう言って視線を落とす。

 以降の彼女は言葉少なになってしまったので、ローゼは気まずいままお茶を飲み終えて村長の家を後にした。


 確かに世間を知らない自分が聖剣の主になるなんて無謀だ。ディアナの言い分も良く分かる。本音を言えばローゼもまだ迷っているので、今なら草原に戻って先ほどの言葉を取り消すことも出来るのではないかという思いもあった。


(……だけど、あたし。一度きりでも構わないから、村の外へ出て、いつもと違う場所を見てみたいの)


 これがきっと最初で最後の機会だ。神に「お前は不要だ」と告げられても構わない。そうしたら古の聖崫への旅を思い出にし、村へ戻って一生を静かに暮らす。だけど神に「やれ」と言われたのなら、一生をかけて役目を果たしてみせる。


 問題は、今回の出発があまりに急なことだ。

 果たして夕方までに家族への良い言い訳が思いつくだろうか。

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