19話 答え

 昨日、北の森でアーヴィンと話した時に心は決まった。決着を付けるなら今日だ。


 まだ空が暗いうちに起き出したローゼはよそいきの服を取り出す。

 このよそいきでも、いつもの服でも、大神官から見ればどちらも等しく粗末な服だろう。だが別に構わない。これは大神官のために着るのではなく、自分の気持ちのために着る服だ。


 髪を結い、帽子をかぶり、準備を終えたローゼは深呼吸をして部屋を出る。

 今日の朝から用事があることはイレーネに伝えてあった。姉の挙動がおかしいとはイレーネも気づいていたようで、「負担をかけてごめん」と言うと、イレーネは「お兄ちゃんたちに手伝ってもらう算段はできてるから平気」と答えた。相変わらず頼もしい妹だ。


 いつもなら家人が起きるのはもう少し後のはずだが、今日は裏手にある納屋の方から既に祖父母の声がする。出会うのを避けるために急いで玄関から出ようとしたローゼは、取っ手を握ったところで思い返して戻り、厨房からパンを一つだけ取る。改めてそっと玄関の扉を開き、外の風に身を震わせると、パンをかじりながら歩き出した。口の中がもそもそするが飲み物はないので仕方がない。


 今日の行先は草原、会うべき人物は大神官だ。


 この時間ならまだ人々は家の中にいるはずだが、今日の村の中の大きな道は妙に人通り、いや、荷馬車通りが多い。

 車輪の音を聞きつけるたびに身を隠すローゼが物陰からこっそり窺うと、馬車には野菜や肉などの食料が載っている。


 この村の収穫物は近くの町で買い取ってもらう。

 町へ行くのは一日がかりの大仕事となるため、朝早くに出かけるのは当たり前の話だ。しかし今朝の道行く馬車は少し雰囲気が違う。遠出をする前の覚悟といった様子が見られず、もっと気楽な様子に見える。

 なのでこれは、おそらく。


(……大神官のところへ行くつもりかな)


 ローゼの流した適当な噂を信じた村人たちは、こんなに早くから草原へ押しかけているようだ。できるだけ村人に会わないよう早めに出てきたというのにこれでは意味がない。


(予想外だったなあ。とりあえず、気を付けて進むか)


 パンの最後の一切れを口に放り込んだローゼは、細い道や、人がいないはずの場所を選びながら、草原がある東の出入口へ向かう。馬車の切れ間を縫って外へ出て、木に隠れながら少しずつ進んだ。

 おかげで空が暗い頃に出てきた割に予想以上に時間がかかってしまって、草原が見えてくるころには陽があかあかと緑の草を照らしていた。


 草原の奥にはいくつも天幕が見え、そこには大勢の神官や神殿騎士たちがいる。一方で手前の方にも神官がいるのは、村人の対応に追われているためのようだ。荷馬車の列に目を向けると、途中にはローゼの祖父母の姿もある。

 仕方なくここでも大きく迂回し、ローゼは草原の奥地へ向かった。さすがに百人からの人々がいるだけあって天幕の数は多いが、そのなかにひときわ大きく、豪華な物を見つけた。あれがきっと大神官の天幕に違いない。


 そのころになると当然ながら神官たちもローゼに気づいている。もっと早く誰何すいかの声を掛けられなかったのは、きっとローゼが『グラス村の村娘』だからだ。それでローゼは帽子を取った。髪をほどき、風になびかせると、神官たちの空気が変わるのが分かった。やはり赤い髪の娘は既にここの人々の中でも認知されているらしい。

 彼らの視線を受け、ローゼはわざとゆっくり天幕群を巡る。声を掛けられたのは目的の天幕の近くだ。


「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますね。何か御用でしょうか」


 アーヴィンのものより濃い青を着た神官に一礼し、ローゼはできるだけか細い声を出す。


「はい。ローゼ・ファラーです。大神官様にお目にかかりに来たんですけど、どちらにいらっしゃいますか」

「こちらにおいでですよ。少々お待ちください」


 神官は言い置いて天幕に入る。想像通りだ。

 待っている間に髪をなでつけるふりをして後方を確認すると、人数は想像以上だった。どうやら作戦は成功したようだと分かり、ローゼはほくそ笑む。

 ややあって入るよう促された天幕の中で、ローゼは唖然とした。


 正面には大きな椅子があって、大神官はそこにゆったりと腰かけている。

 立派な間仕切りの向こう側にも十分に空間があるようなので、この様子だと寝具などが置いてあるのかもしれない。


(これを運んできたってこと? 随分と無駄な労力ね。偉い人の考えることって分からないわ)


 呆れながら毛足の長い絨毯を踏み、ローゼはおずおずと進み出る。

 歩幅が狭すぎて演技過剰だったかとも思ったが、幸い大神官はそう思わなかったようだ。


「これはこれはローゼ様。ようこそおいで下さいました」


 アレン大神官は慈愛を感じさせる笑顔を浮かべて立ち上がり、両腕を広げる。ただ、目の奥は笑っていない。

 うっかり鼻で笑ってしまったのを浅い呼吸の連続で誤魔化しつつ、ローゼは大神官に会えて安堵したような表情を見せ――られるようになるべく努力した。


「大神官様。突然お邪魔して、本当に申し訳ありません」

「いいえ、ローゼ様でしたらいつでも歓迎いたしますよ。本日はいかがなさいましたか」

「実はあたし……いいえ、私は。先日のお返事をしに伺ったんです」


 アレン大神官の目が一瞬嫌な風に細められ、すぐに柔和な表情に戻る。


「そうでしたか。で、お返事はいかに?」

「私、ずっと考えて、それで……大神官様の、おっしゃることは……とても正しいと、思ったんです……」


 相変わらず演技は苦手で棒読みになるが、それがぼそぼそと喋るのにも役立ってくれている。


「だから私は、聖剣の主を、お受けすると、決めました……」

「そうでしょう。やはりこのような話はただの村人には荷が重いというものです。王都に戻り次第、私の方からしかるべきかたの……なんですって?」

「私、聖剣の主、やろうと思うんです」


 言って顔を上げると、アレン大神官は口を開けたまま呆然としている。正直に言えば、とても間が抜けた顔だ。

 ローゼはとっさに両手で口元を押さえた。


「あ、あれから家に帰って、大神官様の、おおお、お言葉を、考えたんです」


 声が震えるのは怖いせいではない。笑いそうなのを堪えているせいだ。


「大神官様は私に、やらなくても良いと言って下さいました。でも……でもそれはきっと、私に試練を課してくださったのだと思ったのです。だからこそ逃げてはいけないと……大神官様の御心に添わなくてはいけないと……思ったから……」


 衝撃から立ち直ったらしい大神官が焦りの見える表情になった。

 口を開いた彼が何か言葉を発する前に、ローゼは出来る限りの大声で叫ぶ。


「私は、聖剣の主になります!」


 天幕の外で大勢の気配がざわりと揺れた。

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