18話 味方

 ローゼの質問に対するアーヴィンの答えは、きっぱりとしたものだった。


「出来る。ローゼが出来ると思うのなら、きっと」


 もっともらしいことを述べて惑わしているようにも聞こえるが、そうではないとローゼは知っている。

 彼が言っているのは覚悟のことだ。ローゼが聖剣の主になるためにしなくてはならない努力はかなり多い。やると決めるのならそれも含めて考えろということ。そしてその努力をする気があるのなら、きっと出来る、と。


「じゃあ、アーヴィンは、あたしが聖剣の主にならない方がいい?」

「決めるのはローゼだよ。ローゼがしたいようにするといい」

「でも」


 アーヴィンは憂いも不安も含まれていない微笑を浮かべて告げる。


「私の考えは最初から変わっていないよ、ローゼ」


 最初から。

 つまりアーヴィンは「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」と言ってくれたあのときのままだということだ。


「……うん。分かった。ありがとう」


 アレン大神官には言外に「断れ」と言われた。

 ディアナには、はっきりと「聖剣の主になってほしくない」と言われた。

 事情を知る人に反対される中で、アーヴィンだけはローゼの味方になると言ってくれた。

 彼の言葉が震えるローゼの心に一本の芯を通す。深く息を吐くと、ローゼの肩から力が抜けた。


「質問を戻すわ。あたしが望むなら、アレン大神官はあたしをいにしえ聖窟せいくつまで送るのね?」

「送る。ただしそこまでの可能性が高い。本来なら一団を以て主を王都までお連れするはずだけど、しないと思う」

「そんなことが許されるの?」

「許されるわけではないけど、やるだろうね」


 やるということは、アレン大神官はそれがやれるということか。そうしてやるからには何か意味もある。


「古の聖窟って、近くに町とか村はある?」

「残念ながら近くにはない。古の聖窟がある場所は山の中腹なんだ。低い山だし、道は楽だけど、それでも町まで行くなら馬で半日くらいかかるかもしれない」

「そっか。どうしよう……」


 ローゼの家に馬は一頭しかいない。あれに乗って行ってしまうと家族は困るだろう。

 ううん、と唸りながら無意識に拳を握りしめたところで、ローゼは左手に包みがあるのを思い出した。フェリシアが最後に渡してくれたものだ。

 立ち上がり、ローゼはアーヴィンに包みを差し出す。


「はい、身分証。神官にとって大事なものなんでしょ?」

「そうだね。ありがとう」

「……これが無かったら来なかったのに」

「じゃあ、渡して良かったな」


 すました声を聞いてローゼは目を見張った。


「本当にアーヴィンって意地悪ね! そ、そもそも、どうしてこんなとこを待ち合わせに指定したのよ!」

「私はこの森が好きなんだ。だからローゼにも、いつまでも嫌いなままでいてほしくなかったんだよ」


 そう言って彼がとても優しい瞳で見つめるのでローゼは憎まれ口を叩けない。


「あたしには良さが分かんないわ。……アーヴィンはこの森のどこが好きなの?」

「雰囲気が、とでも言っておこうか。まさかこんな森があるなんて思わなかったから、初めてグラス村に来たときは本当に驚いたよ」


 初めて来たときとは初めて会ったときだと気がついて、ローゼの頭を恥ずかしい記憶が駆け抜けていく。


「そう? 普通の森だと思うけど。南の森だって同じ感じでしょ」


 少々上ずった声で返すと、アーヴィンは首を横に振った。


「違うんだよ」


 とても愛情にあふれた笑みを見て、ローゼは「アーヴィンって本当にこの森が好きなんだな」と思う。それがなんだか面白くなくて、だけど面白くないと思う理由がよく分からなくて、自分に少し腹が立ってローゼは眉を寄せた。

 そんなローゼに気が付いたのだろうか、アーヴィンは表情を悪戯っぽいものに変える。


「困ったことに北の森へ来るとつい長居をしてしまうんだ。それで過去には約束の時間に遅れたこともあったかな」


 言葉に詰まるローゼを見たアーヴィンは何か言いかけ、そしてふと視線を虚空へさ迷わせる。


「……ごめん、ここまでみたいだ」

「え?」

「私を探す者が近くまで来ている」


 ローゼは耳を澄ませてみるが、外からは何も聞こえない。もしかすると神に仕えるものは互いに気配でも分かるのだろうか。


「残念だけど、そろそろ行くよ」

「うん。……そういえば、あの大神官がよく外出を許してくれたね」

「これを落としたから探しに行く、と言って出てきたんだ。少し強引だったけど……まあ、見張りを途中でけたし、良かったよ」


 立ち上がったアーヴィンが見せるのは先ほどローゼが渡した身分証だ。大神官がアーヴィンを外に出してくれたのだから、身分証は神官にとってよほど大事なものらしい。


「来てくれてありがとう、ローゼ。でも、分からないことばかりで申し訳なかったね」

「ううん。『ありがとう』は、あたしが言うことよ。いろいろ分かったし……自分の気持ちもみえたもの」

「それならよかった」


 微笑むアーヴィンが扉を開く。入り込む風が緩く髪を揺らした。


「ここへは誰も来ないと思うけど、念のために少し時間をあけてから帰るんだよ」


 そう言ってアーヴィンは衣擦れの音を残し、扉の向こうへ去って行った。



   *   *   *



 アーヴィンに言われた通り、ローゼはしばらく小屋の中で時間を潰してからこっそりと家に戻った。

 幸いにも家の中には誰もいなかったので、着替えたあとに洗濯物の入った籠を持って川へ向う。中には先ほどまで着ていたテオの服も入れておいた。今日は風があるから、今ならまだ洗濯をしても乾くはずだ。


 冷たい水に顔をしかめながら洗っていると、近くに住む年配の女性がローゼを見つけ、傍へ寄って来る。


「あら、ローゼちゃん。洗濯中?」

「ええ、まあ」

「大変ね。ところで」


 女性はぐっと距離を詰めてくる。洗濯のことはただの口実で、本当は何かを話したかったらしい。


「テオ君の話、もう聞いた?」

「いいえ。何かありましたか?」

「それがね」


 女性はさらにローゼへ近づき、声をひそめる。


「女の子を泣かせてたんですって」


 ローゼの背中にじわりと嫌な汗が流れる。


「女の子は見たことのない子らしいわ。どっかの親戚の子が遊びに来てたのかしらねえ。まあ、とにかくその女の子がテオ君と喧嘩でもしたみたいで、急に泣き始めてね。走って誰かにぶつかって、どうやらその人に慰めてもらってたらしいのよ」

「……わああ、知りませんでした。でもそれは本当に、テオなんですか?」


 ローゼは棒読みで答えるが、意味深な笑顔を浮かべている彼女は気づかない。


「服がテオ君のものだったらしいし、背格好もそっくりだったからテオ君なんじゃないかって。ねえ、テオ君も隅に置けないわね。ローゼちゃんもお姉さんとして複雑な気分でしょ?」

「そ、そうですね……」


 言いながらローゼは、洗い終えたテオの服をそっと籠の奥に押し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る