17話 最も東側の小屋

 さすがに小屋の内部の様子は記憶と違っていたのでローゼはホッとする。その安心感のおかげだろうか、中に入っても取り乱すようなことはなかった。

 明り取りから入るうっすらとした光を頼りに周囲を見渡し、ローゼは木の箱に腰かける。その正面には椅子もあるのだが、あれは綺麗な青い衣を着たままのアーヴィンに譲った方がいい。


「昨日は、アーヴィンも大変だったんでしょう?」


 箱の上のローゼが足をぶらぶらさせながら声をかけると、立ったままぼんやりとしていたらしいアーヴィンは、ハッとしたようにローゼを見る。


「え? ああ、ごめん。私の方は大丈夫だよ」


 そんなことはないはずだ。きっと大神官から八つ当たりなどされたに違いない。今だってぼんやりしていたのは、その気疲れが抜けないからだろう。

 ローゼが黙って椅子を示すと、アーヴィンは「ありがとう」と言って腰かける。


「ローゼの方がよほど疲れたろう?」

「あたしは……ううん。確かにびっくりしたけど、その……アーヴィンに、いろいろ言ってもらってたし……だから、平気……」


 照れ臭いので少しそっぽを向いたし、素直に言い出せなくて最後に付け加えた「ありがとう」は小さくなった。だけど彼に気を悪くした様子はない。声も表情もいつものように穏やかなままだ。


「そうか。さすがに申し訳なく思っていたんだけれど、少しでも役に立てたなら良かった」

「うん。でもね、今は情報がなさすぎて困ってるのよ。だから……」


 昨日のアーヴィンは、何を尋ねてもほぼ答えをくれなかった。だけど。


「……今日は、聞いたら答えてくれる?」

「私が知っていることなら」


 アーヴィンがしっかりと頷いてくれたので、ローゼは胸をなでおろした。


「良かった。じゃあ、教えて。大神官が言ってたことって、どこまで本当なの?」

「ローゼが聖剣の主として選ばれた件に関してなら、すべてが本当のことだよ」

「本当なんだ……」


 こくりと唾をのむローゼを見ながら、アーヴィンは椅子の上で居住まいを正す。


「二か月ほど前、大神殿にいる巫子全員が神によって託宣を受けた。グラス村に住むローゼ・ファラーが十一振目の聖剣の主に選ばれたと」

「大神官の言った通りなのね。……ねえ、アーヴィン。十一振目の聖剣って、なに? 他の聖剣とはどう違うの?」


 大陸にある十振の聖剣は最初に手にした者の子孫が代々の主だ。魔物に対して強力な力を発揮する聖剣、その力を扱えるのは主だけ。十一振目の聖剣も同じかたちになるのだろうか。

 ローゼの質問を受けてアーヴィンは小さく首を横に振った。


「分からない。十一振目の聖剣は血には縛られていないようだけれど、どうなるのか。……もともとこの聖剣は謎が多くてね。分かっているのは、最初に託宣を受けた人物が十年ほどあるじを務めただけで、以降四百年の間は姿を現していないということくらいだ」


 そうしてアーヴィンは少し考えて付け加える。


「……十年ほどというのを、より正確に言うのなら八年かな。八年と少し」

「そう……」


 期間は十年よりも短くなった。

 ローゼは泥汚れのついた靴に視線を落とす。


「なんでその聖剣は四百年も主がいないの?」

「分からない」

「なんで今になってまた人間に下されるの?」

「分からない」

「どういう理由であたしが主に選ばれたの?」

「分からない」

「最初の主はどんな人だったの?」

「分からない」

「最初の主が世を去った理由は?」

「分からない」

「分かんないことばっかりじゃない!」


 振っていた足は力を入れたせいで箱にぶつかる。ローゼ自身ですら思わず首をすくめるような音が響くが、アーヴィンは穏やかな態度を崩さない。


「言ったろう? この聖剣に関して分かっていることはほとんど無いんだよ。当時の記録もどうやら意図的に消されているみたいでね」

「なんで意図的に……あ、この質問は無し」

「いい判断だね。一応言っておくと、意図的に消された理由は分からない」


 ローゼは天を仰ぐ。どうやら十一振目の聖剣に関することは質問しても無駄のようだ。

 深く息を吐き、改めて座りなおす。今度は足をぶらつかせない。


「もしもあたしが聖剣の主になるって決めたら、この後はどうなるの?」

いにしえ聖窟せいくつという場所まで大神殿の一団が送り届ける。馬車もあることだし、グラス村からだと七日くらいかかるかな。そこで神から聖剣を渡されるそうだよ」

「古の聖窟……」


 言葉に覚えがあった。


「……ねえ、アーヴィン。アレン大神官様……大神官は、あたしに聖剣の主になって欲しくないの? それはあたしが、ただの村人だから? 貴族とか、そういう偉い家の生まれじゃないから?」


 アーヴィンは黙ってうなずく。そっか、とローゼは呟いた。

 最初に見た大神官の顔を思い出す、あれは、蔑みの表情だ。


『俺みたいな、貴族でも騎士でもない、剣もほとんど扱えないような奴が、聖剣の主だなんて』


 どこからか男性の声が聞こえた気がした。


「……あたしが断ったら、大神官はどうするんだろう」


 口に出したのは質問というより独り言だったのだが、アーヴィンからは答えが戻る。


「巫子を通じて神へお伺いをたてるつもりだろうね。主が断ったので別の人にしてくださいとでも言うんじゃないかな」

「そんなことができるの?」

「できなくはないよ。ただ、神がどのように答えを出すかは分からないけれどね」

「それなのに、ちゃんとあたしを古の聖窟に連れて行く? その……殺したりしない?」

「しない。今回来ている全員がアレン大神官の配下というわけではないんだ。それにあの男は悪知恵を巡らせるのは得意だけれど、自分の関与が明白な状態で聖剣の主に手を下す、というたぐいの度胸は持ち合わせていない」


 そもそも、と言ってアーヴィンは膝の上で両手を組む。


「アレン大神官は今回、自分から伝言の役目を買って出たそうだ。おそらくローゼに聖剣の主を断らせる計画に全力を注いだはずだし、本人の中では決定事項にもなっているだろうから、ローゼが受けるなんていうことは頭の片隅にもないと思う」

「……うん」


 草原でアレン大神官が言った内容を思い返すと「こんなに大変なんだぞ」と諭しているように思えたし、同時に「お前にこんな大変な役目が出来るとでも思っているのか?」と恫喝されているようにも思えた。


「あの……あのね」


 言い淀んで一度は唇を結んだが、ローゼは思い切って口を開く。


「アーヴィン。あたしに、聖剣の主なんて……出来ると思う?」


 問いかける声は、心の弱さを示すように小さい。

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