16話 ★“あのとき”の出来事
今から七年ほど前、グラス村で神官の任に当たっていたのは年配の女性だった。
三十年近く村にいた彼女は「ここに骨を
強大な魔物が出た際に彼女は大怪我を負い、王都の大神殿へ戻ることになってしまったのだ。
新しい神官が来る、と連絡があったのは
どんな人物なのかと村の皆がそわそわしていたが、しかし彼は村へ到着する予定の時刻を過ぎても姿を見せなかった。
初めは「少しくらい遅れることもあるだろう」とのんびり構えていた村人たちだが、神官は夜になっても現れず、翌日の朝を迎えてもまだ来ない。途中の町からの連絡時期から考えるとこんなに遅れるはずはなく、ようやく村人たちも焦りを見せ始める。
数日前には村の付近で魔物が出たばかりだったこともあり、もしかしたら神官に何かあったのでは、という話まで持ち上がった。
それを聞きつけた村の子どもたちの中で「神官様を自分たちで見つけよう」と最初に言い出したのは誰だったか。
ほとんどの子が「大人たちよりも先に見つけられたら自慢になる」というわくわくした気持ちを持っていて、それはローゼも例外ではなかった。魔物が出たばかりだったので少し怖かったが、面白そうだという気持ちには勝てず、神官を探しに出かけたのだ。
《挿絵》
https://kakuyomu.jp/users/Ak_kishi001/news/16818093079486911479
それが間違いだった。
もしもローゼがあの頃に戻れたとしたら「絶対に探しに行っては駄目! どうしても行きたいなら北の森以外にしなさい!」と自分にきつく言い聞かせただろう。
しかし何も知らない十一歳のローゼは神官を探すために北の森へ行ってしまったのだ。
(あのときも……)
薄暗い森を歯を食いしばって歩きながら、ローゼは思う。
六年前のあのときにローゼが北の森へ来たときも、今と同じくらいの時間で、今と同じように薄暗かった。
そうしてそれが原因で、ローゼは『最も東側にある小屋』の横から現れた人影を魔物と勘違いし、恐怖で腰を抜かして――あろうことか、“小さいほう”を漏らしてしまったのだ。
恐慌状態に陥った自分を辛抱強く宥め、落ち着かせてくれたのは、当の“人影”だった。
それが若い男性で、なおかつ新しい神官だったと知った時のローゼの気持ちは、「恥ずかしい」「みっともない」「悔しい」などという言葉をいくら並べても足りない。
真っ赤になって、うつむいて、座り込んだまま何も言わずに顔を覆うローゼ見た神官は、ありがたいことに深く追求してこなかった。
そうして彼はローゼの気を楽にさせようと考えたのだろう、村へ来る道中のことを話しながら、立てないローゼを抱き上げて小屋の中へ入れてくれた。ローゼが汚れた服を脱ぎ終わると、外で待っていてくれた彼は「これにくるまって待っているといいよ」と言い、自分が羽織っていたマントを渡してくれた。
それだけでもありがたいのに、彼はローゼの家まで行ってくれたらしく、汚れ一つない服まで持ってきてくれた。
なのにあろうことかローゼは、服を着た後に黙って帰ってしまったのだ。
汚れた自分を抱えたせいで神官服に染みが付いたのをローゼは見ている。
つまりローゼはみっともない姿を晒し、神官服を汚し、なのに謝罪も礼も言わず黙って立ち去ってしまったことになる。
なんて礼儀知らずな娘だろう。
分かっていても漏らしたことの方が恥ずかしくて、家へ向かうローゼの足は止まらなかった。一方で、とても申し訳なかったのも事実だ。
二つの気持ちが整理のつかないまま頭の中でぐるぐる回り続けたせいで、ローゼは家に帰ってすぐに熱を出して倒れてしまった。これによって『神官が神殿でおこなった初めての挨拶』にすら行かないという大失態まで犯し、ますます神官に謝罪と礼を述べる機会は遠のいてしまった。
もしも神官が汚れた服のまま皆の前に姿を現していたら、ローゼは恥ずかしさのあまり死んでいたかもしれない。さすがに汚れた服は着替えたようで、父から「神官様の服はどこも汚れてなかった」と聞いたときはほっとしたが。
(だけど、あの時のあたしったら最低。……本っ当に、最っ低よ……)
結局、ローゼが恥ずかしさを乗り越えて新しい神官に会えるまでには、半年ほどかかった。アーヴィンの側から歩み寄ってくれなければもっと時間が必要だったかもしれない。生きていれば神殿に関わらずに済むわけはないのだから、半年で済んだのはとてもありがたいことだ。
ただし北の森や、『最も東側にある小屋』には行けなくても人生に支障はない。だからずっと避けていたというのに。
(まさかこんな理由で行くことになるなんて!)
帰ってしまおうかと何度も思ったが、手の中にあるアーヴィンの身分証が回れ右を許さない。
仕方がないのでなるべく小屋を見ないよう顔を下へ向け、何度も自分を鼓舞し、ゆっくりとではあるが着実に前進したローゼは、実に六年ぶりに小屋へ到着した。
肩で息をしながら勢いをつけ、一気に扉を開く。
中には誰もいなかった。
(……うそ……)
脱力しそうになるのをこらえて扉を閉めようとしたとき、
「来てくれて良かった」
「っ!」
後ろから声が聞こえたのでローゼは文字通り飛び上がる。
長い褐色の髪を揺らして立っているのはアーヴィンだった。
彼は昨日と同じ青い神官服を着ている。
「なっ、なんでっ?」
「私もちょうど来たところなんだよ。偶然だね」
穏やかに言って中へ入るアーヴィンだが、なんとなく「ちょうど来たところ」というのは違う気がして仕方がない。
(本当は、近くであたしの様子を見てたんでしょ!)
言ったところでアーヴィンは否定するだろう。しかしローゼには自分の考えが間違っていないという確信があった。
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