15話 北の森へ

 アーヴィンと会うなら確かにあの場所は打ってつけだ。しかし逆に言うと、アーヴィンと会うからこそあの場所は絶対に嫌だった。

 そしてもちろんローゼが避けていると分かっているからこそ、アーヴィンは敢えてあの場所を選んだような気がする。


 ローゼは六年前から、というより、アーヴィンがこの地へ来てから北の森には行っていない。それに関してはアーヴィンも気にしていたのだろう、最近では精霊の本を片手に書庫から出てきたローゼへ「久しぶりに北の森へ行ってみてはどうか」と声をかけることもあった。

 もちろんローゼはそのたびに「絶対に行かない」と答えていたのだが。


「だからって! こういう大事な時に! わざわざあそこを選ぶ? アーヴィンの馬鹿! 意地悪! 大っ嫌い!」


 枕に顔を押し付けながらくぐもった声で叫び、寝台をばふばふと叩いていると、背後からはフェリシアの不思議そうな声が聞こえた。


「では行かなくてよろしいんですの? お会いできるのはきっとこの一回きりですわ。一度抜けだしてしまうと監視の目は厳しくなりますもの」

「ううううううう」


 枕に顔をうずめながらローゼは苦悩した。


 北の森、特に一番東の小屋には一生近寄りたくない。

 しかし行かなければ行かないで、『聖剣』に関する情報が手に入らず困ることとなる。それこそ、ローゼの一生を左右する大事な出来事だ。


 激しい葛藤の末、ローゼはのろのろと頭を起こした。


「……行く」


 フェリシアはにっこりと微笑んだ。


「変装の準備が出来るまでお待ちしていますわね」


 しかし変装と言われてもどうしたら良いか分からないし、さほど時間も無い。仕方なくローゼは背格好が似ている下の弟、テオの服を借りることにした。

 一応は階下に向かって「テオ!」と呼びかけてみるが、どうやら家の中にはいないようだ。


(イレーネが気を利かせて追い出したのね)


 ローゼの部屋を覗こうとする男ふたりを妹が理由をつけて家から追い出す、その姿を思い浮かべながら「はいるねー」と意味の無い声を出したローゼは、テオの部屋から素早く服を取り出す。

 部屋に戻って着替え、くるくると髪をまとめて帽子をかぶると、ローゼは一応は男性に見えるはずだ。

 自身の“薄めの体形”がここで役に立つとは思わなかった。少々複雑な気分で胸元を押さえてから今まで着ていた服をしまうと、ローゼは微笑んだまま座るフェリシアを振り返る。


「どうしてそんな薄い服だけしか着てないの?」

「王都ではこのくらいの服で十分なんですの」


 道中の寒さは神殿騎士の装束であるマントでなんとかなったらしいが、確かに『友達の家へ遊びに来た女の子』を装うのに神殿騎士の装束を着るわけにはいかない。


 本で読んでいたからローゼも国内の気温差は知っていた。しかし実際に他の地域から来た人をこうして目の当たりにしたり話を聞いたりすると、より一層の実感が湧く。


(地図で見たことはあったけど、アストラン王国って広いのね)


 グラス村でフェリシアのような格好ができるのは最低でも来月だ。


「そんな服装で寒くないの?」

「少し肌寒いですけれど、大丈夫ですわ。鍛えてますもの」


 フェリシアはそう言って胸の前でこぶしを握るが、鍛えていたら寒くないというわけでもないだろう。


「良かったらこれ着る?」


 ローゼが上着を差し出すと、フェリシアは大きな瞳を瞬かせた。


「……よろしいんですの?」

「別にいいよ」


 ローゼの言葉を聞いたフェリシアはとても嬉しそうな笑顔を見せて立ち上がり、まるでそこにあるのが宝物かのような手つきでローゼの上着を受け取った。くたびれた上着をそんな風に扱われて、ローゼの方が少々気恥ずかしい。

 小柄なフェリシアが羽織ると、ローゼの上着は予想通り少し大きかった。年齢差があるからだろうか。


「そういえばあなたって、歳、いくつ?」

「十六ですわ」

「えっ」


 二つ三つ下かと思っていたが、どうやら一つしか違わなかったらしい。

 上着を着たフェリシアは腕を曲げたり伸ばしたり、くるくる回ったりと楽しそうだったが、彼女を見つめるローゼの視線に気づいたのだろう。ハッとした表情を浮かべると、照れたように笑って「行きましょうか」と促した。

 朝靄の中を歩く男装ローゼとフェリシアは、恋人同士ということにしてある。せっかくだからそれらしく手を繋ごうかと言うと、顔を輝かせたフェリシアは何度も何度もうなずいた。


 グラス村の人々は農業を中心として生活しているので、この時間だと畑に行く人々で往来は多くなる。ローゼはなるべく人目につかない場所を選んで歩きながら村の出口を目指す。

 境界の石壁が徐々に近づいてきたところで、フェリシアがローゼの耳に手を当てて囁いた。


「ひとり、尾行が来てますわ」


 思わず顔の強張るローゼだが、フェリシアは変わらずにこにことしている。


(そ、そうね。あたしは今、彼女と楽しく散歩してる男の子よ)


 引き攣る頬をむりやり動かし、ローゼもなんとかもう一度笑みを作る。そのローゼの手に、フェリシアがそっと小さな包みを渡してきた。


「これは何?」

「とても大事なもの。神官の身分証ですわ」

「……もしかしてアーヴィンの?」

「ええ。その身分証は本当に大事なものですの。ちゃんと届けてくださいませね」


 村の門が見える辺りでそう言って立ち止まり、フェリシアはローゼと向かい合う。


「ここでお別れです。今いる尾行は、わたくしにお任せくださいませ」

「うん、ありがとう」

「上着は必ずお返しいたします」


 そう言ったあとのフェリシアの笑みが寂しそうに見えた。ローゼは何かを言おうと思ったが、その前にフェリシアは大きく息を吸って、


「酷いですわ!」


 と叫んだかと思うと身を翻し、来た方向へ小走りに戻って行く。唖然とするローゼが見守る中、小柄な体は途中で道を逸れて木の陰に入った。続いて「うわっ!」という男性の声が響いたので、おそらくそこに尾行がいたのだろう。

 言い合う声を聞きながらローゼも駆け出す。門の脇にある建物で老衛兵がのんびりと茶をすすっている姿を横目で確認しながら北出口を抜け、六年ぶりの北の森へ入った。


 途端に足取りが重くなる。


 森の中なのだから平地と同じようには走れないのは当然だが、もしここが平地であっても同じだったはず。これはローゼの気持ちの問題だ。

 他の場所なら何も考えずに行けるのだが、北の森という場所、しかも待ち合わせ場所が『最も東側にある小屋』なのが悪い。更に待ち合わせの相手はアーヴィンとなればローゼにとって最悪の組み合わせだった。


 小さく呻きながらローゼは止まりそうになる足を叱咤する。

 鬱蒼とした木の中にちらつくのは、六年前の自分とアーヴィンの幻だ。

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