7話 草原

 集落をぐるりと取り囲む高い壁は聖なる祈りを込めた石でつくられており、結界の役目も果たしている。内にある神殿の日々の祈りを受け止め、内へ戻すことにより、内に住む人々を守っているのだ。この石壁さえあれば、よほどのことがない限り集落の中に魔物が出ることはない。


 だけど壁の外は話が別だ。地の底から現れる魔物たちとは、いつ、どこで、会うか分からない。よって人々は壁の外へ出る用事があるとき、守りの力を持つ札を神殿で買うのが一般的だった。今日のローゼは札を持っていないが、魔物に対抗できる力を持つ神官が一緒にいるのだから安全だ。


 その頼りになる神官、アーヴィンと並んで村の外を歩いているうち、ローゼは見知らぬ場所を目にして首を傾げる。


(……ここ、草原だったよね? アーヴィンも大神官様は草原で待ってるって言ってたのに、変だな。こんな場所が村の近くにあったっけ……)


 心の中で呟いたローゼは目をすがめ、息をのみ、足を止めた。

 そこが草原だと分からなかったのは、色が違っていたからだ。


 草原は普段なら緑が広がる。たまに家畜が放牧されて違う色がまざることはあるけれど、基本の緑は変わらない。

 しかし夕の光に照らされる草原は、草が目立たなくなるほど別の色で溢れている。

 主に、青と、白。神殿の基調色だ。


「ア、アーヴィン。あれって……」


 声は震えていた。しかしアーヴィンはローゼの言葉に、


「ローゼはさっき、会うって言ったね?」


 とだけ言い、背にまわしてきた手に力をこめる。強いわけではないのだが、立っているのもやっとのローゼの足は抵抗できない。よろめくようにして前へ進む。


「待って。ねえ、だって」


 言いながら幾度か押されて移動するうち、向こう側でもローゼに気づいたらしい。誰かの合図を機に人々が一斉に動いて列を形成する。洗練された見事な動きだ。そしてその先頭へ恰幅の良い男性が悠々と現れ出る。


 彼が着ているものは、今のアーヴィンとよく似た神官服だ。しかしアーヴィンの鮮やかな青とは違って色は黒に近い紺。後ろにも同じような衣装の人々はいるが、先頭の男性よりも濃い色の服を着ている人はいないように見えるので、もしかすると神殿では身分が高い人物ほど濃い色の服になるのかもしれない。

 青い服の人々の後ろには白い色が見え隠れしているが、これがどういうものなのかは分からない。分かるのは、パッと見ただけでは把握できないほどの人数がいるということだけだ。


(どうなってるの!?)


 ただならぬ雰囲気を感じたローゼの足がまた止まる。


「――落ち着いて」


 今度は低い声で言ってから、アーヴィンが手にそっと力を籠めた。ローゼはぎこちない足取りのまま歩き出し、よく分からないまま集団の先頭にたどり着く。

 ローゼは先頭の男性と向き合う形になった。痺れたような頭のどこかで「彼の胸元にある黄金の刺繍はアーヴィンのものよりずっと豪華だな」などと考える。

 その男性がローゼを見た。表情は厳めしく、眼光は鋭い。彼の視線に嫌なものを感じて思わず後ずさりそうになったが、背中を支えていてくれた手があったおかげでローゼはなんとか場にとどまれた。


 そのまま軽く二、三度ローゼの背を叩いてアーヴィンは離れ、男性の前に立つと恭しく一礼する。


「アレン大神官様。ローゼ・ファラー様をお連れ致しました」


(ローゼ・ファラー……さま?)


 アーヴィンがローゼに敬称をつけて呼んだことなどない。むしろ本来はローゼが神官に敬称を付けなくてはならない立場だ。しかしアレン大神官はそれに対して眉を顰めることもなく、


「ご苦労」


 とだけ言う。

 アーヴィンはさらに一礼して、並んでいた人々の中へ入っていく。

 彼を呼び止めたくなる気持ちを堪えながら目の端で後ろ姿を追っていたローゼはふと、いつの間にか大神官が更に近くへ来ていることに気が付いた。


 アレン大神官の年齢は六十歳といったところか。生え際の薄茶色は少々後退しているが、後ろ髪はきちんと肩より下に伸ばしている。これは神殿所属の人物のきまりだから当然だ。

 そうして彼はローゼと向かい合い、髪とよく似た色の瞳でジロジロとローゼのことを見ていたが、ややあって足を引き、長い裾をうまくさばきながら膝を折った。それを合図にして後ろの人たちも大神官にならう。

 立っているのはローゼだけとなったところで、ようやくこの場の全容が分かった。


 手前の方にいるのは青い神官服を着た人々だ。五十名ほどはいるように見える。その後ろには白い鎧の人々が、神官と同じくらいか、もしかしたら少し多いくらい。

 さらに後ろには馬車が置かれている。人を乗せると思しき馬車の中には一台だけ豪華なものがあり、荷運び用であろう馬車もあるが、馬の姿は見えない。近くの林にでも繋いでいるのだろうか。


 すっかり様変わりした草原を見てローゼは呆然とする。

 本当に、どういうことなのだろう。

 そしてなぜ全員が、それこそ大神官までが、ただの村娘である自分に向かって膝をついているのだろう。

 ずらりと並んだ人々を前にして何が起きているのかも分からないローゼは、ただおろおろと視線を彷徨わせるばかりだ。

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