6話 与えてくれた言葉
「本当の、こと……」
ローゼは呟いてみるが、実感などまったく湧かない。
「だって、どうして? 大神官様なんて、そんな偉い人があたしなんかに……そうよ。そもそも、どうしてあたしのことを知ってるの?」
「すべて大神官様が教えてくださるはずだよ」
「アーヴィンが教えてくれたらいいじゃないの」
「申し訳ないけれど、私は何も言えない」
「そんな……」
うつむいたローゼは服の裾を握る。落としきれない泥汚れがスカートにあるのを見つけた。袖回りには、ほつれも。
(こんな状態のあたしが、偉い人の前に出なきゃいけないの?)
どんなに綺羅を纏っていてもそれがアーヴィンなら構わない。グラス村の神官であるアーヴィンは普段の村人の状況もよく分かっている。
だけどこれから会わなくてはいけないのは華やかな王都から来た大神官、ただの村娘であるローゼにしてみれば雲の上の人物だ。どのような態度で会えば良いのか分からないし、きちんとした受け答えができる自信だってない。
唇を噛んだローゼは顔を上げる。アーヴィンの灰青の瞳を見て言い切った。
「絶対に会わない」
ローゼの言葉を聞き、彼は小さく笑う。
「そう言うと思った。でも、絶対に会ってもらうよ」
アーヴィンの言葉にむっとしたローゼは、考えついた「会いたくない理由」を矢継ぎ早に述べる。
「嫌よ。だってあたし乙女の会の途中で何も言わずに抜け出してきたのよ。次に皆に会ったとき質問攻めにされるからせめて一度戻らないと。あと、もう少ししたら家の手伝いに行かなきゃいけないし、それに――」
しかしローゼがどれだけ言葉を尽くして断っても、アーヴィンは頑として会ってくれという姿勢を崩さないし、大神官が来た理由も答えない。業を煮やしたローゼが帰るそぶりを見せると、アーヴィンは回り込んで門を閉めてしまった。ならば壁をよじ登ろうと辺りをちらちら窺っていると、今度は宥めすかし、挙句には「ローゼが欲しいものがあれば、なんでも用意してあげよう。王都から本を取り寄せたって構わない」とまで言ってくる。
どうやらアーヴィンの態度から察するに、彼は大神官がこの村まで来た理由を知っている。知っているが言うつもりはない。そしてその状態のままローゼを大神官に会わせたいと考えている。
ローゼはため息をついた。
(これは『何か』あるわ……)
おそらくアーヴィンが頑なに何も言わないのは口止めされているからだろう。しかしきっとそれだけではない。
アーヴィンがこの村に赴任してきてから約六年。今まで彼と話してきた中でローゼは、彼に不思議な空気を感じたことが幾度もある。
それはしがらみや身分などにあまり囚われていないところ。
例えば神官は民から尊崇を受ける立場にあり、本来ならローゼが「アーヴィン」と名前を呼び捨てにするのはありえないことなのだが、頓着なく許しているのもその片鱗だともいえる。
今回だって例え上層部から口止めされていたとしても、言った方が良いとアーヴィンが判断したのならきっとローゼの問いに答えてくれたはず。
だけど彼は何も言わない。
ならばアーヴィンは「何も知らないまま大神官に会うのはローゼにとって必要なこと」だと判断したに違いない。
少々腹黒いところもあるアーヴィンだが、状況を考えずにただ意地悪をするわけではないことくらいローゼだって知っている。
(……会うしかないみたいね……)
諦めたローゼは、嫌々ながら首を縦に振る。
「分かった。会うわ。で? 大神官様はどちらにいらっしゃるの? 神殿?」
「いいや。村の外の草原だよ」
「草原?」
ローゼは眉をひそめる。
村の外にある草原は、ここからだとそれなりに距離のある場所だ。なぜそんな所にいるのだろうか。
尋ねてみると、これには答えがあった。
「人数が多いし、他に荷物もあるからね」
「そうなの?」
田舎だけあって、グラス村の土地は広い。
道幅もあり、それなりに舗装もされているので、馬車が通っても平気だ。家と家の間だって十分な間隔がある。
それでも村に入るのは難しいと判断したのなら、いったい何人で来たのだろうか。
(十人や二十人じゃないってことかしら)
大神官ほどの人物ともなれば護衛の数もそれなりにいるのかもしれない。
「そんなにたくさんの人を引き連れてくるなんて、大神官様って本当に偉いのね。アーヴィンがこんなすごい衣装を着てるのも、大神官様をお迎えするからなんでしょう?」
「それもあるかな」
「それも? 他にも理由があるの?」
首をかしげるローゼから視線を外し、アーヴィンは神殿の入り口を示した。
「本は神官補佐に預けておいで。持っていくわけには行かないからね」
どうやら衣装を着ている理由も答えたくないらしい。
彼の態度は不満だが、大神官に会うと決めたローゼに残された選択肢はほぼない。渋々ながらも言われたとおりにして、ローゼはアーヴィンと連れだって草原へと向かった。
道すがらローゼが質問しても、アーヴィンからの答えはほとんどなかった。会話にまったく意味を感じなくなったので、仕方なくローゼも黙って歩を進める。村人は珍しい衣装を着たアーヴィンと、そのアーヴィンと一緒にいるローゼの組み合わせに興味津々のようだったが、重い雰囲気を察したのか質問してくる人は少ない。
あとで質問攻めにあうんだろうな、と思いながら道を行き、村の内外の境である高い石壁から出た辺りでアーヴィンはふいに立ち止まる。どうしたのだろうかと見上げてみると、彼はとても真摯な面持ちをローゼに向けている。
「ローゼ。雰囲気に飲まれないように。慌てず、落ち着いて、良く考えて。そして堂々としているんだよ」
夕刻の冷たい風が、ローゼの赤い髪と、アーヴィンの褐色の髪を揺らす。
「この後のローゼがどんな選択をしても、私は必ずローゼの味方をするから」
どういう意味なのかは分からないが、おそらくこれから大神官と会うことに関係するのだろう。
考えて、ローゼはうなずく。
「……うん、分かった」
ローゼの返事を聞いたアーヴィンは雰囲気をやわらげ、いつも通りの声で促した。
「じゃあ、行こうか」
そうして微笑むが、それは多分に憂慮が感じられる笑みだった。
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