沈黙と枷

愚痴が嫌いだ。自分の汚い部分を曝け出す行為に、ストレスしか感じない。相手が近しい人物であればあるほど、嫌悪感は増す。

だからと言って、他人の愚痴が嫌かと問われれば、そうでもない。母の仕事の愚痴、友人の失敗談、将来への不安、最近の悩み。それらを聞くことは全く苦ではない。寧ろ、そういった話を聞くことは好きだ。

同じ「愚痴」でも、自分が愚痴を溢すことと、相手の愚痴を拾うことはまったく別のものだ。感覚としては、楽器や絵画に似ている。自分で演奏したり絵を描いたりすることと、鑑賞することは違う。自分の感性のままに受け止められる鑑賞と違って、自己表現には訓練が必要だ。殊更会話に関して、私は自己表現が苦手だ。より正確に言うのならば、負の感情を表すことが苦手だ。



愚痴は自己表現でもあり、ある種の自己に対する許容でもある。


自分はこんな失敗をした、自分はこんなことをされた。その結果こう思った。

そんなことがあったんだね、それは辛かったね。それはあなたが悪いよ。それはどうしようもできないね。


会話であれ文章であれ、他者からの反応をもとに自分の中で思いを消化していく。その消化の過程の中で相手を、時には自分を許すのだ。

私はこの、自分を許すというのがひどく苦手らしい。



私は自分が醜い人間だと思う。傲慢で見栄っ張りで、愚かな人間だとも思う。同時に、恵まれた人間だと思う。それこそが、私の苦しみの原因であるとも思う。

いわゆる貧困家庭に生まれたわけでもない。生まれてこの方、衣食住に困ったこともない。体はいたって健康。いじめられたこともない。愛を受けて育った。友人もいる。私の周りには、助けてくれる人がいる。


ただ少し、朝起きるのが苦しいだけ。朝、泣きたくなるだけ。外出しようとして、最寄りの駅のトイレの中で気絶したように眠るだけ。時には涙を流してしまうだけ。誰もいない家の中でいつ首を吊ろうかとぼんやり考えるだけ。

ほんの少し、体が動かないだけ。何も考えられない時があるだけ。

ずっと、死にたいだけ。


それを、こんなにも恵まれた私がどうして他人に相談できようか。他人に相談したところで相手を心配させるか、またかと呆れさせるだけだ。

私は恵まれている。だから、死のうとしても踏ん切りがつかずいつもすんでのところでやめてしまうし、そうして、三、四時間を無為に過ごす。なんの解決にもならない時間を過ごす。自傷癖もない。痛いのは怖い。死にたいと願うばかりで行動に移すこともできない臆病者が、辛いと口に出すなんて許されない。

本当に、心の底からそう思う。



母から、一時期通っていた心療内科への受診を再度勧められた。私が断ると、母はなら自分でどうにかするしかないと言った。私にはどうにもできないからと。音を立てて閉められる扉をみて、返答を間違えたと悟った。


受診はしたくない。するべきだとは思うが、どうしてもしたくない。怖いからだ。

前回通院していたころ、私の状態には特段名前が付けられなかった。しいて言えば、抑うつ状態だという。いくつかの薬を処方されて、特に変わりなく生活していた。変わらずずっと、死にたいまま。

病ではない。それは、私の状態が私自身の問題であることを示していた。私はそういう人間なのだ。常に死にたがり、何もせず泣き暮らすことしかできない人間なのだ。

この涙が私の弱さゆえであると、すべては私が無能であることが原因であると断定されるのが恐ろしくて、一歩を踏み出せずにいる。


母はこうも言った。

「いつまでもそうして黙っているようじゃこの先生きていけない。これからどうするんだ。」

わかっている。そんなことは。このままでは生きていけないと、身震いするほど実感したから死にたいのだ。この先一生辛さを抱えて生きていくのなら、今ここで死んでしまいたいと、そう思うから泣いているのだ。

口答えはできない。ただ、黙って嵐が過ぎ去るのを待つ。

黙っているのは意地でもなんでもない。ただ体を動かせないから、声が出ないから、何も考えられないから黙っているのだと知る人は、きっと少ない。



ここまで書いて、分かった。私にとって愚痴は口答えだ。恵まれた環境に対する口答えだ。こんなに恵まれた環境で生まれ育ったくせに不満を持つ自分への罪悪感と不快感だ。

バカみたいだ。生きていれば迷うことも悩むことも不満を持つこともあると頭では分かっているのに、自分を責めることをやめられない。そんなことに時間を使って、自分の思いを消化しきれずに死にたくなって何もできなくなる。

生きていくことが下手なのだ。きっと。



私が愚痴を聞くのが好きなのは、自分が言えないからかもしれない。実際他人の愚痴を聞くときは、偉いなぁと思う。自分の辛いことや苦しいことをきちんと他人に相談できている証だから。他の人のことはわからない。だから、相手にとってはただの日常会話の一環に過ぎないかもしれない。でも、それでも私は話してくれたことが嬉しいと思う。相手の相談を、できるだけ受け止めたいと思う。

私がそうして欲しかったから。

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呼吸を許さないで 佐渡 要 @wakaba_kochi

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