第16話 お力を貸してください!

 映心様がお茶を用意するまでの間、それはそれは気まずい思いで私はじっと座っていた。目の前にはやけに機嫌の良い螺旋様がいる。


 私がついうっかり「蛇は可愛い」などと口を滑らせてしまったからだ。いや、それ自体は間違いではないんだけど、でも決して蛇のお姿になった螺旋様を可愛いと言ったわけではない。むしろ螺旋様は『可愛い』よりも『神秘的』とか『神々しい』とか、そういう感じというか……。いや、神様だし、神秘的で神々しいのは当たり前なんだけど。


 それで。


「ちなみに」


 機嫌よくにこにこと左右に揺れながら私を眺めていた螺旋様が思い出したように口を開く。


「何でしょう」

「さっき茶助とかいう男が言っていた王の愛妾だが」

「え、あ、はい。あの――」

「あれは間違いなく碧だ」

「え」


 いや、まさかそんな。


「思い当たる節はないか? あいつは、おれの花嫁になるにあたって、どんな生活を送りたいと言っていた?」

「それは、その――」


 一番きれいなところで、一番きれいな恰好をして、何不自由なく幸せに暮らすのだと、姉は常々言っていた。


「信じたくない気持ちもわかる。だが、あれは碧だ。王の妾は一人しかいないし、おれが実際に見たから間違いない。正妻である王妃への対抗心もあるんだろうが、それはそれは見事な散財っぷりだったぞ」

「そんな。それを王様はすべて叶えたのですか?」

「そういうことになるだろうな」


 そんな、とその場にへたり込む。大丈夫か、と螺旋様が駆け寄って、背中を支えて下さった。


「なんてことを。王都の人々になんとお詫びしたら良いのか……」

「翠が詫びる必要などないだろ。碧をつけ上がらせたのは王だ」

「かもしれませんが、私の姉です。姉妹なんですから、責任を感じて当たり前です」

「そういうものか……。まさか翠がここまで心を傷めるとはなぁ……」


 腕を組み、「ふむ」と少し悩むような素振りを見せる。


 そこへ。


「神様、これはもう累が及んでいると見てよろしいのでは? 翠殿はこの村の象徴とでも言うべき存在ですし」


 その言葉と共に映心様が戻って来た。盆の上には、ほわほわと湯気の上がる湯呑が三つ。それと、甘味が盛られた鉢が乗せられている。


「る、累、が」


 そこで思い出す。

 そうだ、螺旋様は王様にこうおっしゃっていたのだ。


「この村に累が及ぶようなことがあれば、その時は容赦せぬ」


 と。


 大雨を降らせるだの、季節外れの大雪を降らせるの、灼熱の炎で焼き焦がすだの、と。どれになるかは螺旋様の気分次第だけど、とにかく、悪い子にはお仕置きをする、と。


「それもそうだな」


 いやいやいやいや! 私別にこの村の象徴でも何でもありませんっ!


「さて、どうしてくれよう、あの馬鹿王。おれの翠にこんな憂い顔をさせるとは」

「許せませんね」

「許せんな。とりあえず、考え着く限りの仕置き法を紙に書いて一枚引くか」

「くじですか。それは名案でございますね」

「せっかくだから映心、お前もなんか書け」

「私もよろしいのですか」

「構わん。お前だって腹立つだろ。見ろ、あの翠の青い顔を」

「ああ、いけませんね。では、僭越ながら」

「お待ちくださ――――いっ!」

 

 どこから出したのか、紙やら筆やら硯やらを用意し、「いざ」と書き始めた二人の間に割って入る。


「どうした翠。お前は茶でも飲んでゆっくりしてろ」

「そうですよ、翠殿。ちなみにそちらの甘味、海の向こうの国で流行っている新作だそうです」

「ゆっくりなんてしていられません! そのような恐ろしいくじの作成はおやめくださいっ!」

「何で?」

「何でもですっ! 私はこの村の象徴でも何でもありません! ただの巫女です! まだこの村に累は及んでいませんっ!」

「でもお前がそんな顔をするから」

「顔色もすぐれませんしねぇ」

「それはどちらかと言えば、お二人のその恐ろしいくじのせいですっ!」

「何だと?! おい映心、おれ達のせいみたいだぞ」

「そのようですね。なんということでしょう」


 とりあえず、片付けますか、と映心様が紙やら筆やらをいそいそと片付ける。それで、まずは一旦落ち着きましょう、ということになり、用意してもらったお茶とお菓子をいただくことになった。せっかくの上等なお茶と珍しいお菓子なのに、美味しく感じられないのはなぜだろう。いやもう、原因なんてわかりきってますけどね?! なんかもう、イチイチ心臓に悪すぎる!


 もう覚悟を決めるしかない。

 私が腹をくくるしかない。


「あの、螺旋様。発言をお許しいただけますでしょうか」


 この断りももういまさらな気がするけれども、それでもこれから大それた提案をするのだから、何となく、必要な気がしたのだ。


 案の定螺旋様は、


「何だ、他人行儀な。イチイチそんな断りなどいらん。好きに話せ」


 そう返してきたけど。


「お力をお貸しいただけますでしょうか」

「ほう」


 私の言葉に、螺旋様がぴくり、と片眉を上げる。


「映心様は螺旋様がお作りになられた湖の精だとお聞きしました」

「そうだ。大事な嫁巫女の妹の負担を少しでも減らしてやろうと思ってな」

「お心遣い、本当にありがとうございます。それで、その、私の姿に似せてお作りになることは可能でしょうか?」

「造作もないが。もしや、自分の代わりにそいつを娶れとか言うまいな?」

「あっ、その方法があった! じゃなくて! 違います! そうじゃなくて!」

「いま結構しっかり口を滑らせなかったか?」

「違います違います! あの、その方を私の代わりにここへ置いていただきたいのです」

「ほう。それで、お前はどうする」

「王都に行きとうございます」

「行ってどうする」

「姉を説得します。説得して、この村に連れ戻します!」


 姉には姉の人生があるのはわかってる。姉にだって幸せになる権利はもちろんある。だけれども、民の幸せを祈る立場であるはずの巫女が、民を苦しめる存在であって良いはずがない。


「お前が説得ぅ~? 素直に聞くような女かぁ?」

「えっと……」

「汚れ仕事なんて嫌だって駄々をこねて悪濁おだくの浄化を押し付けるようなやつだぞ? お前、一度丸め込まれてるからな?」

「それは……」


 確かにそうだけど。

 でも、じゃあ他に誰がいるっていうの。母さんも連れてく? いっそ家族総出で行く!?


「おれも行く」

「え」

「おれも行く」

「いや、そこは聞き取れましたけど」

「おれも説得してやる。何なら力づくで――」

「わぁぁぁ! 駄目! それは駄目です!」

「何でだよ。一番手っ取り早い方法だろ。とりあえず王を引きずり下ろして、それから碧の首根っこを掴んで……」

「螺旋様がおっしゃると、なんて言うか、物理的にそうしそうで怖いんですけど」

「え? もちろん物理だが?」

「だ、駄目です! なおさら駄目です! 螺旋様の御力なら、首がもげます!」

「はっはっは、安心しろ、加減くらいするって。多少伸びる程度だろ」

「ひいいいい!」


 ははは、じゃないのよ! 人間の首ってそう簡単に戻らないから!


「神様、翠殿が本気で怯えています。好感度がだだ下がりでございます」

「なんだと」

「ここで強行して好感度を地に落とすより、譲歩するのが得策かと」

「一理あるな」

「とりあえず翠殿の意を汲んで好感度を上げる作戦でいかがでしょう」

「成る程、それで行こう」


 あの……全部聞こえてるんですが。


「よし、わかった。翠。とりあえず、王都行きは許可しよう。村人に巫女が不在だと気付かれぬよう、代わりもおいてやる」

「ありがとうございます!」

「ただし、おれもついて行く。村の外はお前が思っているよりも危険だ。特に女一人の旅はな。お前はもう少し危機感を持った方が良い」

「そうなのですか?」

「そうだ。だが、おれがいれば大丈夫。何も困ることはない。安心安全、そして快適な旅を約束しよう。それに、いくら実の姉といえど、王の妾だ。そう簡単に会えるわけがないしな」

「た、確かに!」

「でも、おれがいれば話は別だ。そうだろう?」


 にまー、と笑い、どうだ? と目を眇める。


「おっしゃる通りです。螺旋様がいてくださったらとても心強いです。けど、二人きりなんて……」


 何ていうか、一部安全ではない気がするというか! 主に私の身が危ないというか!


「まぁそう不安がるな。不本意ではあるが、目付け役として映心も連れて行く。それなら良いだろ?」

「映心様もいらっしゃるなら……大丈夫……かな?」

「ご安心ください、翠殿。神様が無茶をしそうになりましたら、この命に代えてでも止めてみせますから」

「いえ、あの、命は大事にしていだたいて」


 とにもかくにも、だ。

 そんなこんなで、民の生活を圧迫するほどの贅沢三昧をしている実の姉を止めるため、私の王都行きは決まったのである。

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