第15話 祈りよ届いて!

 碧じゃありませんように、と祈ると同時に、もし仮に碧だったとしてもそれがこの村の人達にバレませんようにと強く願う。


 村の人達は、碧はいまも変わらず神様と共にこの村を守っていると思っているはずだ。とはいえ、碧が神様の花嫁に選ばれたのは事実だが、結婚した後もずっとこの村にとどまり続けるとは言っていないんだけど。

 ――というのは屁理屈だが、決して間違いではない。湖の神様の花嫁としてこの家の巫女が選ばれた、としか公表してないからだ。私だってまさか螺旋様が元々は王都の神様だなんて知らなかったし。


 だから当然のように湖の中か、あるいは神殿に籠っていると思っているだろう。いずれにしても、神様の花嫁となったからにはそう簡単に人前に出て来るわけがない。


 それにまぁ、神様ご自身はなんていうか……出戻りっていうのかな……まぁお戻りになられたからこの村にいるのは確かなわけで……。いまは湖の中ではなく私の首に巻き付いているけど。問題は、その、花嫁として選ばれていたはずの巫女が、実は現在、、ということである。


 例え、巫女側が神様との縁談を断ったのだとしても、神様の方から婚約を破棄なさったのだとしても、だからといって王の妾になり、民を苦しめるほどの浪費に明け暮れて良いわけがない。この村における『巫女』というのは、民のために身を粉にして働き、祈りを捧げるものと決まっている。私もそういう母の背中を見て育ってきた。碧だって神様の花嫁になんて選ばれていなければ私と同じ生活をしていたはずなのだ。


「茶助さんは、その、お妾さんの姿を見たりは……?」


 そう尋ねる声が震える。どうした、具合でも悪いのか? 顔色が悪いぞ、と心配してくれる村人の声に「私は大丈夫です」と返した。


「んなわけないだろ、妾だぞ? 表に出て来られるわけがないって。王妃様とは違うんだから」

「そ、そうですよね……」


 そもそも本来は、お妾さんなんて大っぴらに公表すべきものではない。ひっそりと囲って然るべきものなのだ。にもかかわらず、どこから漏れたのか、その『とんでもない浪費家の愛妾』の存在は王都の民の間で話題になっているらしい。


「とまぁそんなわけで、戻って来たってわけだ。幸い、俺は職人だし、どこでもやっていけるしな。いやぁ、ウチの村は変わってなくて良かった。田舎万歳!」


 あっはっは、と茶助さんが笑うので、釣られて愛想笑いを返しつつも、背中は汗でびっしょりだ。

 

 違う。

 絶対に碧じゃない。

 そんな浪費癖なんてあるわけがないもの。

 

「翠殿、顔色が優れぬようですが」

「えっ」

「疲れが出たのでしょう。皆さん、申し訳ありませんが、陸巫女は本日のところは引き上げさせていただきます」

「映心様、私なら全然大丈夫ですから。それにまだ御用聞きが」


 終わってなくて、と続けようとしたところで、きゅ、と軽く首を絞められた。螺旋様だ。加減をわかっているから良いようなものの、この大きさの蛇に同じことをされたら確実に締め落とされるやつである。大丈夫、私も慣れてる。そして、私にしか聞こえないくらいのうんと小声で「駄目だ。戻る」と囁かれた。さすがに村人達の前で蛇がぺらぺらとしゃべるところを見せるわけにはいかない。


「あ、えと、すみません、ちょっと今日は、これで」


 もごもごとそう言って、ぺこりと一礼をし、くるりと向きを変えたとことで、ぐらりと足元がふらつく。何度も「絶対に碧じゃない」と言い聞かせたものの、どうしてもその考えが拭いきれず、動揺が足に現れたのだろう。


 と。


「ひょあああ」


 歩き出そうと一歩踏み出したその足をひょいと持ち上げられ、横抱きにされた。映心様に、だ。


「危なっかしくて見ていられません。このまま運びます」

「い、いや! 下ろしてください! あの、歩けますから、私!」


 私の声を一切無視し、映心様は涼しい顔をしてすたすたと歩く。いや、あの、私だってそれなりに重さはあるんですけど?


 ていうか、こんなことしたら――。


「ぐぬぬ、おのれ映心め……」


 ほらぁ――――!


 映心様、映心様、あの、聞こえます?

 あのですね、私にはしっかり聞こえてるんですよ。あの、わかります? シャーって蛇の威嚇音です。あの、私の耳元ですんごいシャーシャー言ってるんです、あの、螺旋様が! お怒りのご様子ですっ!


 そう伝えたいけれど、まだ村人の目がある。

 特に女性の目が怖い。

 ギラギラした目で私のこと睨みつけているのだ。

 

「映心よ、あとで覚えておれ。やはりお前を消して私がお前に成り代わるべきだったな」


 ひいいいいいいいい!

 お止め下さいお止めくださいお止めくださいいいいいい。

 誰か、螺旋様の怒りを鎮めて! 嫁巫女様ぁ! あっ、駄目だ、嫁巫女はいま王都で王様のお妾さんをやってて――って、そもそもそのせいでこんなことになってるんだから! いや、碧がその浪費家のお妾さんと決まったわけでは……! 


 駄目だ、嫁巫女にはもう頼れない。本物の花嫁と比べたら私の力なんて十分の一、いや、百分の一かもしれないけど、それでもきっと、普通の人よりはあるはず。神様のお怒りを鎮める力が! お願い、そうであって!


 胸の辺りでぎゅっと手を組み、すぅぅと大きく息を吸って、「怒りをお鎮めください、怒りをお鎮めください」とそれだけを繰り返す。


「翠、何をぶつぶつと」

「螺旋様、どうかどうか怒りをお鎮めください。映心様に酷いことをなさらないでください。どうかどうか、どうかどうか……!」


 一心不乱にそう繰り返していると、頬にひんやりとしたものが触れた。


「もう良い」

「どうかどうか……!」

「もう良い。映心には何もせん。お前の祈りが届いた。これで良いだろ」

「え、あ、は、はい! 良かったぁ。良かったですね、映心様!」

「ふふふ、翠殿のお陰で命拾いしましたね」

「お前の言い方はなんかイチイチ腹立つな」

「事実を申し上げたまでですが?」

「くそぅ……。怒りがまた……。こいつを作ったのやっぱり失敗だったか……?」

「あの、螺旋様、どうか」

「案ずるな、翠。お前の目の前で血なまぐさいことはせぬよ」

「そういう問題ではございません! 目の前じゃなくても駄目です!」 

 

 足をばたつかせて抗議する。そこまで釘を刺しておかないと本当に私の目の届かないところで映心様を始末してしまいそうで。

 

「翠殿、あまり暴れると危ないですよ。もちろん、落としたりは致しませんが、その、お召し物の裾がはだけて」


 こほん、と咳払いをし「良い眺めです」と言いながら視線をふい、と外す。そこで、裾がめくれ上がり、膝から下が露出していることに気が付く。しまった! これ以上はだけたら痣が!


「え? あ、も、申し訳ございません、映心様! お見苦しいものを!」


 慌ててそれを直すと、耳元で小さく舌打ちが聞こえる。


「見てたのに」

「螺旋様?」

「ああいや、あとで個別に見せてもらうから問題ない」

「問題大ありです!」


 などといったやり取りを経て神殿に戻ると、首に巻き付いていた螺旋様が、しゅるり、と私から降りた。床の上でとぐろを巻き、映心様を見上げて「茶を淹れろ」と言う。


「そのお姿で飲むおつもりで?」


 膝をつき、恭しく頭を垂れながらそう問うと、螺旋様は「まさか」と笑い飛ばした。そして、ふわりと宙に浮いたかと思うと、次の瞬間には人の姿になる。


「よろしいのですか、翠殿はそのお姿よりも蛇の方がお好きなようですが」

「わかっている。だが、こっちの姿にも慣れてもらわんと、色々不都合があるからな」


 不都合?

 

 そう思って首を傾げていると、私の視線に気付いたらしい螺旋様がこちらを見て、にやりと悪い笑みを浮かべる。


「さすがのおれでも、蛇と人間との間に子を作った前例はないからなぁ」

「え」

「いや、翠がどうしても蛇が良いというのならやぶさかではないし、出来るようにするが」

「い、いやいやいやいや! 無理です! さすがに無理です! 蛇は可愛いですけど! とーっても可愛いですけど、そういう対象として見たことはございませんっ!」


 かぶりを振ってそう返すと、螺旋様は一度、驚いたような顔をして映心様と目を合わせた。そして二人同時に、にま、と笑みを浮かべ、そのままそろって私を見る。


「聞いたな、映心」

「ええ、しかと」

「え、何。何がですか」

「翠がおれを可愛いと言ったぞ。なぁ、言ったな?」

「ええ、おっしゃってました。とても可愛い、と」

「これはもう結婚だな」

「間違いありません。すぐに準備を」

「まぁ焦るな。まずは翠を休ませてやらんと。茶だ」

「かしこまりました」

「ま、待って。なんか話が、あの」


 すたすたとお茶を淹れに行く映心様に手を伸ばす。この状態で螺旋様と二人になるのはすごく気まずいんですけど!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る