第14話 数ヶ月後の王都

「心の整理か。そうか。そうだよな。いかんいかん、このおれとしたことが、少々焦りすぎたようだ」


 私の顎から手を離し、さっき下唇をなぞっていた親指をぺろりと舐める。その仕草がなんとも艶めかしい。


「え、あの」

「お前がおれの元にいる以上、荒御魂化については何も心配することがないわけだしな。よし、この村でのんびり愛を育んでいこうじゃないか」


 あっはっは、と螺旋様は笑うけれど、こっちは気が気じゃない。いや、私の力では荒御魂化を――って、そうか、また物理的に剥がせば良いのね、ってそういうことじゃなく!


 私の結婚相手は、時が来れば親が勝手に連れて来ることになっていた。だから元々、結婚なんてものに多大な期待はしていなかった。花婿は巫女業を手伝うことすら許されていないから、本当に『家を絶やさないようにする』ためだけのものだ。愛なんてあってもなくても良いし、とにかく、家が絶えぬよう、次の巫女さえ生まれれば良い。母もそういう考えだったし、父もそれで不満はないようだった。


 だから、そういうものだと思っていたのに。


 突然降って湧いた重すぎる愛に頭がついていかない。これまでの私の人生になかったもの、これからの人生にもなかったはずのものが突如現れて困惑する。


「翠、お前はお前のままで良い。おれが勝手にお前を愛でるだけだ。おれは神だし、好きにさせてもらう」

「ひ、ひえ」


 至近距離で目を合わせられると、口からいろんなものが飛び出しそうになる。主に奇声と、臓器の類だ。


「た、助けてください、映心様ぁ」


 とりあえず螺旋様の拘束から逃れたくて、近くにいた映心様に向かって手を伸ばす。


 が、どうやらこれは悪手だったらしい。


「お前のままで良いとは言ったが、おれ以外の男に色目を使って良いとは言っていない」

「ひっ……?! い、色目なんてそんな!」

「映心の方が良いか? あれが良いなら、アイツを消してあの姿になるが?」

「そういうことでは」


 ていうか、あの、簡単に消すとかおっしゃらないでください!


「そういや翠はこの姿よりも蛇の方が好きなんだったな。どれ」


 そう言うや、しゅるしゅると身体が縮み、昨夜見た小さめの蛇のお姿になる。控えめに言って大層可愛い。


「どうだ翠。これなら良かろう」

「良いかどうかは……あはは」


 でも、気持ちは幾分か楽だ。

 人の姿の螺旋様は正直心臓に悪い。蛇のお姿なら――そんな風に思うのは不敬かもだけど――ひたすら可愛いだけなのである。


「私としてはどちらの姿でも変わらないのでな。翠に気に入ってもらえるのなら、手段は選ばぬ」


 そう言って、螺旋様はそれからずっと蛇のお姿でいることになった。

 そのお姿でも、口に咥えた鎌で器用に草を刈ったり、人の姿の時と変わらぬ働きぶりで驚く。


 それに、


「この姿なら、村の方にもついていけるな」


 さすがにあの麗しすぎるお姿で村に行くわけにもいかないだろうということでお留守番をしていただく予定だったのだけど、蛇ならば問題ないだろう、という判断で、私の首に巻き付いていくこととなったのである。常に私と一緒にいられると螺旋様は上機嫌だ。


 一見、ずしりと重そうに見える蛇の螺旋様だが、そこはさすが神様、重さも自由自在のようで、「乗っかってる」という感覚こそあるものの、重さはほぼ感じられない。


 ただ、


「翠の体温を感じられて心地良い。これぞ役得」


 とか耳元で言ったり、頬擦りしてくるの、本当に勘弁していただきたいんですけどっ!


 とにもかくにも、そのような形で、湖の神様の使者である映心様と、玉虫色の不思議な蛇を首に巻いた陸巫女、という奇妙な組み合わせで村を回ることになった。映心様については以前からも村に帯同していただいていたので、いまでは多少女性達がざわつく程度だが、突然蛇を首に巻いて現れた私を見て、村人達は明らかに困惑していた。


「巫女殿、首のそれは一体……」


「絞められているのはないのか? 大丈夫か?」


「いやぁ! 毒があるんじゃないの?!」


 驚き方は多種多様だが、まぁ一通りの言葉はかけられたと思う。その度に、大丈夫です、こちらは神聖な蛇様にございまして、毒はありません、私は大丈夫ですから、と説明することになった。それについては少々面倒に思ったりもして。


 けれどそれも数日経てば慣れる。

 映心様に黄色い声をかける女性は一向に減らないが、螺旋様を恐れる声はぱたりと聞かなくなったのである。


 螺旋様は連日のように「そろそろ私と結婚したくなったのではないか」と囁き、「お前が欲しいものは何でも用意しよう。何が欲しい」、「何もせぬから床に入っても良いか」と甘い声を出してくるけれども、それらをすべてやんわりと断ること、数ヶ月。


 いつものように午前中に湖周りのあれこれとお祈り、神殿の掃除を済ませて午後から村に行くと、何やら人だかりが出来ていることに気が付いた。


「どうなさったのですか?」


 その中の一人に尋ねてみると、「こう婆のところの孫が王都から帰って来たんだけどさ」と、輪の中心にいる若者を指差した。彼は茶助ちゃすけさんといって、革職人としての腕を買われて王都で働いている。そこでお嫁さんをもらい、昨年には子どもも生まれたのだと紅婆ちゃんが嬉しそうに教えてくれたものだ。その茶助さんが、奥さんと赤ちゃんを連れて帰省しているらしい。


「――ってわけでさ、もう王都あそこには住めないな、って思って」


 こことは違う、華やかな王都の土産話でもしているのかと思いきや、そんな楽し気な内容ではなかったようである。茶助さんはそう締めて、疲れたように笑った。紅婆ちゃんはそんな孫をいたわるように背中をずっと擦っている。


 王都で一体何が起こっているのだろう。そう思っていると、既に話を聞き終えていた村人の一人が、私達が到着するまでに茶助さんが語っていた内容を教えてくれた。


 どうやら、いまの王都は物価の値上がりが異常らしく、職人である茶助さんもその煽りを受け、暮らしていけなくなったと。ざっくり言えばそういうことらしいのだけど。


「何でそんないきなり物価が?」

「多少大げさに言ってるとは思うけどねぇ。だって信じられるかい? 昨日まで普通に買えたものが、今日はその倍で売られてるなんてさ」

「茶助は昔から話を盛る癖があったからなぁ」


 そんな声が聞こえたのだろう、茶助さんが「盛ってなんかないっ!」とこちらを睨んで声を上げた。奥さんが「ちょっと落ち着いて」とそれをなだめる。 

 

「陸巫女はいま来たばかりだから聞いてなかったんだな。あのな、さっきも言ったんだけど」


 茶助さんがそう言うと、既に同じ話を聞き終えた人達が「まったく酷い話なんだよ」と合いの手を入れた。それに大きく頷いて、茶助さんは声を潜めて言った。


「いまの王様、とんでもない浪費家の妾を囲ってるらしくてさ。そいつのせいなんだよ」


 と。


 王様の妾、という言葉にぎくりとする。


 ねぇ、まさかと思うけど、碧、あなたのことじゃないわよね?

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