第12話 私は選ばれてません!

「神様、それで、嫁巫女様は」


 話がだいぶ逸れてしまったことを気にしてだろう、映心様が空になった螺旋様の湯呑にお代わりを注ぎながら尋ねる。すると螺旋様は、ああそうそう、と思い出したように膝を叩いた。


「まぁ、結局婚姻の儀を行っていないから嫁ではないのだがな」


 そんな前置きをした上で、中断してしまっていた王都へ着いてからの話をし始めた。


 螺旋様が向かったのは、王様の住まうお城だった。

 一応、挨拶くらいはした方が良いだろうと思ったのだそうだ。正直なところ、螺旋様の方が王様よりも格上なのだから、何の断りもなく湖に向かえば良かったのだが、それでも一応、巫女を連れて戻って来たと、その報告くらいはしてやろうと思ったらしい。


 が。


「これはこれは神様。せっかくお戻りになられたところ誠に申し訳ないのですが、現在、民はあなたを必要としておりません」


 即位したばかりの若い王は、螺旋様に対し、そう言い放ったのだとか。


「王曰く、民は『たくましく』なったのだそうだ。おれに救いを求めずとも、己の力で対処し、道を切り開けるようになった、と」

「そんな」

「それでその、王自身が神としての力を得たという話をされたわけだ。で、そのまま隠居なされてはどうか、と勧められた」

「力を得たといっても、元々は神様の御力でしょうに……」


 嘆かわしい、と映心様が眉にしわを寄せる。


「それで、王の言う通り、戻って来られたと、そういうわけですか。いくら王と言えど、所詮は人間。神様の御力の足元にも及びませんのに」

「そうなんだけどさ。まぁ、そこまで言われてしまったらなぁ。やってみれば? って思ってな。それじゃ、ゆっくりさせてもらうわ、ってことで、またここに戻ろうとしたんだ。そしたら――」



「またあの村に戻るのですか? あの寂れた田舎に? そんなのは嫌です」


 姉がそう言ったらしい。

 

「これからは王都で暮らすと言っていたではありませんか。いくら不自由ない生活が出来ると言っても、あんな何もない村の湖で一生を終えるのなんて嫌です! せっかく華やかな生活が出来ると思ったのに!」


 なおもそう叫んだらしい。


 やれやれと肩を竦めて螺旋様は疲れたように笑った。


「も、申し訳ございません! あ、姉が、ご無礼を!」


 慌てて数歩分下がり、平伏する。これはもう今度こそ私が代わりに喉でも腹でも切って詫びるしかないかもしれない。


「いや、気にしてないが」

「え」

「何度も言うがな。おれはお前が良いんだ」

「へ。いやいやいやいや! ですから選ばれたのは」

「その時はその時、いまはいまだ。碧を選んだのだとすれば、その時のおれはたぶん目が濁ってたんだろう。うん、そうだ。そうに決まってる。おれは真実の愛を見つけた。本当の嫁を見つけたのだ。それは、翠、お前だ」

「そ、そそそそそそんなことを申されましても! だって花嫁は姉の碧と――」

「式挙げてないから大丈夫。碧は、王が妾にするって言ったら二つ返事だったしな。向こうも願ったり叶ったりなんだろ。何せ、一応はおれの花嫁候補だった巫女だ。それを侍らせられるとなれば、箔もつくだろうしな」


 ということで、利害関係が一致したから置いてきた。


 そう言って、螺旋様はあっけらかんと笑った。


「わ……笑いごと、なんでしょうか」


 映心様に尋ねると。


「笑いごとなのでしょう、神様にしてみれば」

「さっきも言ったろ。お前達は我が子のようなものだと。だからいわゆる『反抗期』というやつだな。あるだろお前達、そういうの。のありがたみ、偉大さに気付くまで存分に好き放題やると良い」

「反抗期……」


 自身を神格化し、神を追い出すなどといった、まさに神をも恐れぬ所業を『反抗期』の一言で片付けるなんてなんと寛大な。……寛大で良いのかな。


「ただ一応、釘は刺しておいた。この村に累が及ぶようなことがあれば、その時は容赦せぬと」


 大雨を降らせてこの都をすっかり洗い流すか、季節外れの大雪を降らせて大地を凍らせるか、灼熱の炎でお前達を焼き焦がすか、それはその時のおれの気分次第。悪い子にはお仕置きをせんとな、と。


 そんなとんでもないことをやっぱり穏やかな笑みを湛えて言うものだから、背筋がゾッとする。王も同様だったと見えて、真っ青な顔をして、「約束しましょう」と答えたのだとか。それで、ぶらぶらとその辺を視察し、近隣の村や集落の傷んでいるところを軽く修繕したり(神様曰く「あの馬鹿の尻拭いだな」)してから戻って来たらしい。


「というわけで、おれは国神としての任を降りた。自由にやらせてもらう。手始めに、お前を娶る。問題はないな?」

「な、ない、のでしょうか」

「むしろ何が問題なんだ」

「な、何が問題なのか、なんかもうよくわからなくなってきました。えっと、私は妹の翠で、姉の碧が神様の花嫁で? でも、碧は王様のお妾になって、それで、えっと……?」


 たぶん何も問題はないのだと思う。

 というか、相手は神様なのだ。

 神様のおっしゃることは絶対なのだ。

 それはわかっている。

 わかっているのだけれども、急に切り替えられるような私ではない。

 ただでさえこんな時間だ。

 疲れから来る眠気もあるし、神様の御前という緊張も相まって、頭と視界がぐわんぐわんと揺れる。


「神様、翠殿はお疲れのようです。今日も一日中働いておりましたし、普段はもうお休みになられているお時間ですから」

「そうか、そういや人間は休息が必要なのであったな」

「そうです。お話はまた明日改めるということで今夜は――」

「わかった。気遣ってやれずすまなかった、翠」

「と、とんでもないことでございます」

「ゆっくり休め。ほら、おれに気にせず布団に入れ」


 ほらほら、と急かされて、あっという間に部屋の隅に寄せてあった布団の位置を戻され、ご丁寧に掛布団までめくられてしまう。こうなるともう、断る方が失礼では、という気になって、もぞり、と布団の中に入った。


「あ、ありがとうございま――、って、螺旋様?!」

「何だ?」

「ど、どどどどどうして螺旋様までお入りに!?」

「え? 夫婦って一緒に寝るんだろ? 大丈夫、とりあえず何もしないから。もうちょっと詰めてくれ」

「何もしないとかではなく! まだです! あの! まだ夫婦では!」

「違うのか?! あれ? 映心? そういう話になってなかったか?」

「なってませんでしたね」

「嘘ぉ。あっ、蛇なら良いとか? 映心、蛇ならどうだ。聞いてみてくれ」

「蛇でも駄目ではないでしょうか。一応確認してみますけど。あの、翠殿、蛇のお姿ならどうだと神様が」

「あの、至近距離ですから聞こえてます。なぜ一旦映心様を挟んだんですか。でも大蛇の螺旋様でも出来ればご遠慮いただきたいです……」

「何!? 蛇でも駄目なのか!? 蛇だぞ!? 何もしないし!」

「何かする以前に、大蛇あのお姿に戻られたらこの部屋が崩壊するのではないかと」

「おお……。そういうことか。そうか、そっちの心配か。何だ、良かった」


 それなら問題はない。


 そう言って、かなり小さな――というか、それでもまだ大きいんだけど――蛇のお姿になられた。


「どうだ翠。これなら問題はないな。では――」

「ちょ、ちょちょちょちょっと! あの! 神様!」

「神様だなんて水臭い。名で呼べと言ったろうに」

「螺旋様! あの! 本当にご遠慮いただきたく!」

「神様、翠殿は本気で嫌がってます、これ。引いた方が得策かと」

「何!?」

「戦略的撤退です。ここで好感度を下げると後々に響くのでは」

「成る程、仕方ない。今日のところは引くとしよう。まぁ時間はたっぷりあるわけだしな。うむ。焦りは禁物と言うし」

 

 仕方ない、朝まで付き合え映心、と言って、螺旋様は映心様の首にぐるりと巻き付いた。ぐるぐると三周ほどしているのに、それでもまだ尾が映心様の背中まで垂れている。いや、っが! 確かに湖底の時よりは小さくなったけど、それでも大蛇であることには変わりない。


 螺旋様と映心様が部屋を出ると、途端に静寂が訪れる。

 どっと疲労が押し寄せて来て、それと共に、瞼が落ちかかる。


 いまごろ碧は何をしているのだろう。

 あなた、とんでもないことしてくれたわね。

 私、選ばれてないのに神様の花嫁になりそうなんですけど!

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