第9話 監視(?)の目

 真っ青な顔でアワアワする私に向かって、映心様は「申し訳ありません。翠殿の反応が可愛らしくてつい大袈裟に言ってしまいました」と笑みを浮かべた後で、


「神様は、基本的に人間は嘘をつく生き物だと思っているので大丈夫ではないでしょうか」


 と言った。

 反応が可愛らしいとは!? 可愛いなんて言ってられる事態じゃないから!


 映心様の話では、神様にお願いをする人間達は、ほとんどの場合、自分の罪を小さく申告するらしい。その上で、いかに自分が可哀想で、みじめで、哀れで、助けを必要としているかを強調し、あるいはこれまで行って来た善行の数々を気持ち大袈裟に報告するのだとか。そうして慈悲を求めるのだ、と。だから、これまでの経験で、ある程度の嘘は聞き流すようになっているはずだし、それらにいちいち目くじらを立てるほど狭量でもない、と。


 そう言われればそうかもしれない。

 というか、もうそれを信じるしかない。


 いまの私に出来ることは、とにかく目の前の仕事を完璧にこなすことだ。そりゃもちろん謝罪に出向いた方が良いと思うけど、巫女とはいえ、そして、花嫁の妹とはいえ、私のような下々の人間がそう簡単に謁見を許されるわけがない。いままで以上に誠心誠意働き、全身全霊で祈りを捧げ、粉骨砕身で村のために動いて、万が一バレて、お怒りを買ってしまったとしても、


「普段の行いに免じてお前の命だけで許してやろう」


 で済むように。


 いや、もちろん出来れば私だって無事でいたいけど! 

 でも、冷静に考えてみたら、お祈りの際に多少盛るだけならまだしも、神様を直接騙すなんて重罪に決まってる。それがいくらその妻となる嫁巫女の頼みであっても。だから私の命一つで済めば御の字である。もう、どうして押し切られちゃったの! 私の馬鹿!


 とにもかくにもやるしかない。もしもの時のために少しでも心証を良くしておかないと!


 そう思って、それはそれは気合を入れて陸巫女業に復帰した。


 のだが。

 その翌日。


「ふむ、さすが手慣れているな」

「きょ、恐縮でございます……」

「もっと短く刈ってしまっても良いぞ。どうせすぐ伸びるんだし」

「か、かかかかしこまりました」

「しかし今日は暑いな。映心、陸巫女とおれに茶を淹れてくれ」

「は。ただいま」


 いる。

 いるのである。


 湖から上半身だけを出した神様が、先刻からずーっと、頬杖をついてこちらを見ているのである。下半身はどうなってるんだろう。大蛇のままなのかな。


 監視、ということだろうか。


 こちらを真っすぐに見つめて来るその目がどうしても、


「全部わかっているぞ。私を騙したな」


 と、訴えているように思えて、鎌を持つ手が震える。いっそこのまま喉を掻っ切って詫びた方が良いのかもしれないし、私がそうすることを期待しているのかもしれない。


 そうなると気になるのは姉だ。

 もし何もかもバレててお怒りだということであれば、姉だってただでは済まないはず。妻ということで見逃してもらえたかもしれないが、それはわからない。神様は何もおっしゃらない。ただいきなり現れて、ずっとこちらを見ているのである。


「――か、神様」

「何だ」

「あの、し、質問をお許しいただけますでしょうか」

「構わん」


 その言葉を待って、がばり、とその場に平伏する。


「あ、姉は! 姉の碧は元気に暮らしておりますでしょうかっ!」


 本当は五体満足ですか、と聞きたかったけど、まさかそんなことは聞けない。


「元気だぞ」

「ありがとうございます! 何よりでございます!」

「あとは?」

「は、あ、あと……?」

「他に何かおれに聞きたいことはないか?」

「えっ、えっと……あの、では……。あの、姉とのお式の方は、滞りなく……?」


 恐る恐るそう尋ねる。

 しかし、待てどもその返答が来ず、思わず、ちらり、とその表情を盗み見る。


 と。


 神様はものすごく悲しそうな顔で眉を寄せていた。そしてぽつりと言うのだ「お前がそれを問うのか」と。


 まずい! なんかこれ、失言でしたか?!


「あっ、あの、私ごときがお尋ねして良いことではございませんでした! 申し訳――」

「お前では」

「は、はい?」

「お前ではないのか」

「え」

「おれの花嫁はお前ではなかったか」


 その言葉にぎくりとして、慌てて身体を起こしてしまう。が、再び伏せ、地面に額を擦りつけた。神様はやはりすべてお見通しなのだ。


「っも、申し訳ございません! 申し訳ございません!」

「なぜ謝る。その必要はなかろう」

「そんなわけには参りません! 神様を騙すなど!」

「面を上げよ」


 ぴゅ、と笛のような音が聞こえたかと思うと、私の身体がふわりと浮いた。そして、ぐぐっと近くまで引き寄せられ、その場にすとんと正座させられる。近い。近すぎる。一歩下がって両手をつこうとするが、その手もあっさりと取られてしまった。


「ひえっ!?」

「なんか事情があったんだろ。おれはてっきりあの後寸劇でも始まるものかと思って待ってたんだが。まさかただ単に入れ替わっていただけとはなぁ。別にそれくらいで怒ったりはせんて。それより」

「な、なななななんでしょうか。あ、あの、い、いいいいいいますぐ喉を切ります」

「何でだよ」

「ですからどうかどうか姉と村の民はどうかどうか」

「いや、むしろお前が喉を切ったら、悲しみに任せて国ごと沈めるが?」

「ひいいいいいいいいい!」


 そんな!

 もうどうしたら!


「だから、そんなことより」


 ぐい、と掴まれたままの手を引かれる。


 ひえええええご尊顔が! 近い! 近うございますぅっ! 目が潰れそうなくらいのまばゆきご尊顔がっ!


「本当の名は何だ」

「す、すすすす翠と申しますぅ!」

「そうか。これからはそう呼ぶ。して、翠」

「な、何でございましょうかぁっ!」

「いつ戻って来る」

「へ」

「必ず戻って来ると言っただろう」

「っそ、それは! その、姉の、碧のつもりで!」

「お前は戻る気はなかったと?」

「そ、そうです。戻るのは姉の、嫁巫女という意味でして! だって私はただの陸巫女ですから!」

「いずれにしてもおれの巫女だろ」

「ですが! あの! 私は選ばれていないのです! 選ばれたのは姉の碧です!」


 どうかご勘弁を!


 と声の限りに叫ぶと、「神様」と穏やかな声が聞こえた。声の主は映心様だ。


「翠殿が怯えておられます。このままでは本当に喉を掻っ切りかねな――」


 すべてを言い終える前に、映心様の動きがぴたりと止まる。

 見れば、いつの間にか彼の首元に草刈り鎌があてられていた。一体どこから? と思ったが、すぐそこに置いてあったはずの私の鎌がない。きっとあれだろう。


「誰の許可を得てその名を呼んでいる」

「申し訳ございません」

「おれ以外の男が翠の名を呼ぶことは固く禁ずる。肝に銘じておけ。二度目はない」

「ま、まままま待ってください!」

「どうした翠」

「私です! 私がそう呼んでと言ったんです!」

「何だと」

「だって、あの、毎回『嫁巫女様の妹君』って呼ばれるのが何だかまどろっこしくて、それだったら名前で呼んでください、って……。ですから、映心様は悪くないんです!」


 お願いですからその鎌を置いてください! と手を取られたまま頭を下げる。


「ふむ。そういうことであったか。翠の希望とあらば仕方ないか。――映心、特別にお前は名を呼ぶことを許可する。だが、お前だけだ。他の男は許さん。おれの耳に届いた時点で斬首だ。村の者にもそう通達せよ」

「かしこまりました」

「ええええええ! あ、あの! か、家族は?! 父や親戚もですか?!」

「……仕方ないな、それも見逃してやる。映心」

「かしこまりました」

 

 そう言うや、早速村中に知らせに行くのだろう、映心様は深く一礼した後で行ってしまった。ああああ二人にしないでください……。でも映心様がここにいたらなんかまたちょっとしたことで斬首がどうとかって話になりそうで、それも怖い。


「さて」

「ひいっ!」

「なぜそんなにも怯える」

「な、なぜとおっしゃられましても……。あの」

「恐ろしいか」

「え、っと」

「大蛇の時は怯えなかったのに」

「それは、その」


 しょんぼりと肩を落とし、目を伏せる。ぽつりと「蛇の方が好きか? そっちの方が良かったか?」と尋ねて来る。

 

 いや、その、蛇が好きとかそういう話ではなく! いや、まぁ好きですけども!?

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