第6話 姉とのお茶会
「翠、ただいま」
何度も何度も螺旋様に「戻りますからね」と念を押し、手土産の甘味を携えて、私は湖から上がり、姉がいるはずの神殿へと向かった。私と入れ替わって巫女業を行っているのだから、この時間は神殿でお祈りをしているはずである。
が。
「あれ? いない」
いないのである。
もしかして、湖の草刈りでもしてるとか?
けれど、湖の周囲の雑草は伸び放題だった。神様の御力なのか、とにかく湖周辺は生命力がみなぎっているようで、雑草がよく伸びる。なので、こまめに刈らなくてはならない。そう伝えてあったのに。姉がその手の仕事を進んでやるとは思えなかったから、ある意味想定内ではあったけど、映心様までいないとはどういうことなのだろう。
そう思って荷物を置き、湖の方へと引き返す。
脛くらいまで伸びてしまった雑草の中を歩くのは結構大変だ。ガサガサとかき分けながら探してみるも、やはりいない。じゃあ、村の御用聞きに行ったのだろうか。
じゃあ私も村に、と思ったけれど、行き違いになれば大変だ。それに、神様に嫁いだはずの嫁巫女が村をうろうろしているのが見つかればきっと厄介なことになる。白無垢姿の私が目立たないわけがない。とりあえず、いつかは戻って来るだろうから、神殿内で待つことにしよう。
と。
「あら、す――じゃなかった、碧。戻って来たのね」
神殿の裏にある休息小屋から、姉が出て来た。なお、この『休息小屋』は巫女が住む小屋だ。その名の通り、休息するための場所ということで寝床くらいしかない。生活の大半は神殿か外にいるのだし、炊事場は神殿にある。本当にただ寝るためだけの小屋である。
慣れない巫女業で疲れて休んでいたのだろうか。そうは思うものの――、
「あお――翠、あなた、なんて恰好してるの?!」
一言でいえば、『あられもない姿』である。
さすがに肌を露出しているわけではないけれども、巫女装束はあちこち乱れているし、きちんと結い上げられていなければならない髪もばさばさだ。
「え? あ、あぁ、これ? ちょっとね。大丈夫、いま直すから。それより、何?」
「何、じゃないわよ」
私、あなたと交代しに、と言いかけたところで、姉の後ろから映心様が現れた。彼も同様にやや恰好が乱れている。えっ、まさかと思うけど、あなた達、そういう、その、そういうこと?!
そんな私の疑いの視線に気付いたのだろう、姉が「やだ、違うわよ。ちょっと二人で休んでただけ」とけらけらと笑う。
一体何が違うというのか。
あなたは神様の花嫁なのよ?
その言葉をぐっと飲み込む。
何せ私達が入れ替わっていることは映心様には秘密なのだ。
とにもかくにも「手土産持参で久しぶりに妹の顔を見に来た」という体で、私達はお茶会の場を設けることにした。もちろん映心様は、最初にお茶を運んでもらった後は部屋に入らないようにときつく言いつけて、だ。
姉は私が持参した手土産の甘味を見て目を輝かせた。
「えぇ、何これ。こんなの見たことがないわ!」
「そうでしょう? あのね、神様ってすごいのよ。こういう甘味もね、すぐにご用意してくださるし、それに湖底だってすっかりきれいになって――」
私は湖底での生活を話した。
湖の中では空腹感や疲労感はないものの、神様は欲しいものは何でも用意してくださるので、海の向こうの珍しい甘味や、ふかふかの寝床もあって、好きな時間に食べたり、休んだり出来るのだと。話す度に彼女の目は一層輝いた。珍しい甘味も食べ放題で、好きな時間に休んだり出来るの? と。それは間違いではない。湖底では好きな時間に好きなことが出来るのだ。仕事という仕事なんて特にない。あるとすれば、湖底に再び『悪濁』が溜まった時に取り除くくらい、だろうか。
それについても、私は力技で掃除したけど、本物の『嫁巫女』である姉には神様の自浄作用を高める祈りの力があるのだ。あそこまで汚れてしまったらさすがに時間もかかって大変だろうけど。であれば、陸巫女である私が毎日祈りを捧げているように、嫁巫女もまた毎日祈れば良いのである。そうすればきっと常に湖底は澄んだままのはずだ。
そこまでは良かった。
姉も瞳をキラキラさせて話を聞いてくれた。
ただ――、
「それでね、神様のことなんだけど」
「あら、お会い出来たの? どんな方だった? やっぱり素敵な方なのよね?」
映心様よりも良い男なのよね? じゃないと困るわ! などと言って、きゃっ、と身を捩らせる。こんなにはしゃいだ様子の姉の姿は初めて見る。そんな期待に満ちた目で見つめられるとちょっと話しづらい。けれど、伝えなくてはならない。
「あのね、落ち着いて聞いて」
「何よ、もったいぶらないで。あっ、わかった。あまりにも素敵な方すぎて替わるのが惜しくなったのね。だーけーどっ、神様に選ばれたのは私なの! ごめんなさいっ! うふっ!」
「いや、あの、あのね。大蛇様がいらしたでしょう?」
「いたわね。あの、汚くて恐ろしい蛇。私が正式に神様の花嫁になったら絶対に追い出してやるわ。全く、何なのよ、あの蛇」
「そ、そんなこと言っちゃ駄目!」
「何でよ。汚い蛇じゃない」
「違う違う違う! きれいになったの! とっても!」
「えぇ~? そうなの? でも蛇は蛇でしょ」
「あのね、蛇だけど、蛇じゃないの」
「ハァ? どういうこと?」
「あのね、あの大蛇様が、神様だったの」
そう言った瞬間、姉が顔を顰めた。慌てて、でもね、決して怖いことはなくて、と続けようとしたけれど、
「無理」
返って来たのはその言葉だった。
「無理、って……。ねぇ、聞いて。碧が思ってるような恐ろしい大蛇ではないんだってば。とっても優しくて」
「優しいから何?」
「花嫁が来たことをすごく喜んでて」
「だから?」
「欲しいものは何でも」
「だとしても、嫌よ」
「でも、選ばれたのは」
「何が悲しくて蛇なんかの花嫁にならないといけないの? 絶対に嫌」
「絶対に嫌、って……」
「そんなに優しくて良い方なら、翠がこれまで通り『碧』でいてよ」
「えっ」
「そうよ、それが良いわ。話を聞く限り、湖での暮らしも肌に合ってるみたいだし。良いじゃない。そうしましょう? 私が『翠』であなたが『碧』! 私は映心様と幸せに暮らすから!」
「そんな、だって私には祈りの力なんて」
「だって、どうにかなったんでしょう? 必要ないわよ」
さ、これで話は終わりね。
一方的に話を畳んで立ち上がる。
「そうだ、これからもこうして会いに来てよ。その時にはお土産をたくさんお願いね。このお菓子、気に入っちゃった」
「ちょ、ちょっと待って、碧」
「違うでしょ? 私は『翠』。『碧』はあなた」
いままでに見たこともない、歪んだ笑みを浮かべて、とん、と私の胸を突く。そして「――映心様、映心様はいる?」と声を上げた。ここに映心様が来たら、もう入れ替われない。また碧として湖に戻らなくてはいけない。
「ま、待って翠」
障子を開けようとするその手を止めようとした、その時だった。
姉の手がそれに届くよりも先に、音もなくそれは開いた。てっきり映心様かと思ったが、その先にいたのは違う人物。
「おお。ここにいたのか、碧」
まっすぐに私を見つめる、すらりとした美丈夫である。
姉はぽかりと口を大きく開けて見惚れている。見惚れてしまう気持ちもわかる。こういっちゃなんだが、映心様よりも美しいお顔立ちである。それに、身に着けているものが、私でもわかるほどに高級だ。
ただ、視線をしっかりと合わせて名前を呼ばれたけれど、まったく知らない人だというのが、問題ではある。
ええと、どなたですか?
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