第5話 土地神様じゃない?

 それからはちょっと大変だった。

 湖から出て姉の碧とすり替わろうにも、螺旋様の監視が厳しいのだ。監視というか――、


「碧、他に欲しいものはないか?」


「碧、こちらの甘味はどうだ。海の向こうの国から取り寄せたのだが」


「碧、新しい寝床の寝心地はどうだ。稀少な羽毛を使った一級品だぞ。どこぞの国の皇帝だかも愛用しているらしい」


「碧、新しい着物だ。それに、珊瑚の髪飾りもある。さぁ、美しいお前を私に見せておくれ」


 湖底の真ん中、この世のありとあらゆる『贅』に囲まれたその場所で、ゆったりととぐろを巻き、その上に私を座らせているのである。大きな蛇の上に座れるなんて、蛇好きとしては夢のような状況ではあるものの、さすがに神様のお身体に尻を乗せるわけには、と強く辞退したのだが、「私とお前の仲だろう」と言われれば拒めない。でも、神様を文字通り『尻に敷く』なんて!


 そしてその『贅』に関しても、だ。


 私がどうしてもそれが欲しいと願ったというよりは、「こういうものがあれば良いですね」と本当に軽い気持ちで口にしたものを、瞬き一つで用意してしまうのである。だけど決して、決して、神様に誓って――ってこの場合の神様って螺旋様になるのよね? いや、それは置いといて、ここまでの高級品をねだったわけではない。本当に。本当に。


 (姉は甘味が好きだから)あんこの入った草餅や、おはぎがあると良いですね。

 (姉はお昼寝が好きだから)休憩用のお布団があると良いかもしれません。

 (姉はお洒落さんなので)替えの着物があると助かります。


 それがまさか、海の向こうの甘味だの、稀少な羽毛を使った、どこぞの皇帝陛下御用達の寝具だの、まばゆいばかりの装飾品だの、なんてことになるなんて! 碧、あなたの旦那様、とんでもない愛妻家みたいよ!? 安心(?)して嫁いで!


 正直なところ、本当に不敬なのは承知の上でだが、正直なところ、小さな村の土地神様だから、力の及ぶ範囲はせいぜいがこの村一帯だろう、と思っていた。けれど、どう考えても、『土地神様』の力を超えている気がする。


 そんなことを思っていると、私の思考を読んだのか、螺旋様はぽつりとご自身のことを話された。どうやら――、


「元々私は王都の湖に住まう神でな」


 ということらしい。


 えっ、王都?! てことは国を守る規模の神様ってこと!? ていうかもしかして、あの、やたらと生贄を差し出させてた神様でいらっしゃいます?! あのですね、私達、あなたから逃げた生贄の子孫なんですけど、それについてはご存知でしょうか!?


 それは置いといて、だ。

 なぜそんな神様が、こんな辺鄙な村の、お世辞にも大きいとは言えない湖にいるのだろう。


「いまから千年ほど前、湖の底に溜まった、『悪濁おだく』のせいで荒御魂あらみたまとなり、王都を壊滅寸前まで追いやってしまってな。当時の巫女数人がかりでどうにか鎮静化したものの、人間の一生など儚いものだ。力の強い巫女も、一人また一人と減ってしまった」


 ぽつぽつと話す声が徐々に暗くなっていく。


「このまま私を抑えられる巫女が絶えてしまえば、再び荒御魂となった時が王都の終わりだ」

「そんな」

「だから、最後の巫女が息絶えた時、時の王の勧めでこの湖に移ってきた。王都は人が多い分、悪濁が溜まりやすいからな。次の巫女が生まれるまで、という約束で。だから現在の王都には神はいない。少々治安が悪くなっているかもしれんが、そこは人間達で対処してもらうしかない。人間の力でどうにもならない厄災の類に関しては、手頃な神仏像に多少の力を込めて置いてきてある。多少の厄程度なら跳ね除けることが出来るから問題ない」


 そういうことらしい。

 じゃあ、もしものことがあったら、まずこの村から滅ぶってことでは!?


 えっ、王様、酷くないです?


 けれども、さすがは人口の少ない村である。それに、民も穏やかな人が多く、争いなどめったに起こらない。神様を荒御魂にするほどの『悪濁』――私がヘドロだと思っていたやつ(というか実際にそうとしか見えなかった)は、王都にいた時より溜まらなかったのだろう。だから、あの量になるまで、長い時間がかかったのだ。


 それでも溜まるものは溜まる。皆が皆、清い心を持つわけではない。


「姿を現して神の力を使えばここにまた人が集まるかもしれんのでな、村人に見つからぬように息をひそめて、また新たな巫女が誕生するのをずっと待っていた、というわけだ」


 だから村人達はここに本物の神様がいるなんて知らなかったのだ。ただ、それでも力は漏れ出てたのだろう、その結果、そこに神を見出し、崇めたくなるほどの『美しい湖』になったと。


 そうして、待って待って、やっと産まれたのが私達――というか、姉だったというわけだ。


「これまでの巫女達とはやり方こそ違うものの、碧は私の心を、湖を浄化してくれた。礼を言う」

「いえ、そんな。……あの、その時の巫女様達はどのような方法だったのですか?」

「あの当時は祈りだ。巫女には強い祈りの力がある。それによって、私自身の力を――要は自浄作用を高めさせるわけだな。だからまぁ、結局は自力ではあるのだが、彼女らの助力なしには戻れなかった」

「そうだったのですね」


 なのに私は思いっきり力技で『お掃除』した、と。なんかごめんなさい。私にそういう力がなくて。ていうか、じゃあ力がないって知られたら、入れ替わってることもバレちゃうのでは!?


 涼しい顔を作りながらも、心臓はバクバクである。

 神様を騙しているなんて知られたら、私の命はもちろんのこと、この村だって大変なことになるかもしれない。いまさらそこに気付く。


 これは早急に戻った方が良いかも……!

 

「改めて、礼を言う。ありがとう、碧」

「そんな、もったいないお言葉にございます」


 ほんと。ほんとに。もったいないです。私、偽物なんです。

 ていうか、何なら私、神様の肌(というか鱗)に思いっきり爪を立ててるし。あの、これ、本当に不敬罪とかになりませんかね?!


「どうした、碧。何やら顔色が優れぬが。休むか?」


 と、顎でしゃくった先にあるのは、絢爛豪華な天蓋付きの寝床である。就寝時には人目を……ってここには螺旋様しかいないんだけど、気にしなくても良いようにと、高い仕切りも設けられている。つい数日前までは何もなかった湖底は、絵巻物で見たような貴族のお屋敷の如ききらびやかな空間になった。ふかふかの絨毯に、何時間でも眺めていられそうな美しい刺繡を施された壁紙に、ぴかぴかの調度品。私はよく知らないけど、なんか有名な画家の先生が描いたという絵まで飾られている。ねぇ、ここ本当に湖の中? ふやけたりしないのかな?!


「い、いえ! あの、出来れば、なんですけど」

「どうした。まだ何か欲しいものがあるのか? お前の望みというのなら、夜空の星でさえも用意しよう。うむ、あれがここにあれば良いかもしれんな。そろそろ婚姻の儀も執り行わなければだし、そうと決まれば早速狩りに――」

「狩りに!? お、お待ちください! さすがにそこまでしていただくわけには! 空から星がなくなってしまったら、地上の人達がきっと悲しみます!」

「ふむ。さすがは私の碧。民を思うとは慈悲深い」


 えっと、慈悲深いとはちょっと違うんだけど。でもまぁ、そういうことにしておこう。


「それでは、どうした。何が望みだ」

「あの、あのですね。あの、少しの時間で良いんですけど、妹に会いたくて」

「妹? 陸巫女か」

「はい、そうです。あの、私達、生まれた時からずっと一緒だったんです。だから、儀式の前に会ってお話したいな、なんて、思って、その」


 話す度に螺旋様の長い首がしゅんと下がり、大きな目が寂し気に伏せられていく。もしかして、逃げようとしてるって思われてたり?


「戻って来ます! あの、私ちゃんと戻って来ますから! 絶対! 絶対に!」

「本当か?」

「本当です!」


 それでも不安なのか、胴体の上に首を乗せ、拗ねたようにこちらを見るのが、ちょっと可愛く見えてしまう。えっ、どうしよ、普通に可愛いんですけど! だ、駄目駄目駄目駄目! この御方は碧の旦那様なのよ?!

 

 そう言い聞かせつつも、切なそうに伏せられた目を見れば胸が痛む。

 どうにかその不安を取り除きたくて、「失礼します」と断って、首をゆっくりと撫で、「必ず戻りますから」と繰り返す。姉だって、いまのこの湖底の様子を見れば、安心して嫁げるだろう。何せ、小さい頃からずっと私に話してくれていたのだ。神様の花嫁になったらこんな暮らしがしたいって。それが、ここにはある。それに大蛇の螺旋様だって、一緒に過ごすうちに絶対慣れるはずだ。確かに碧の苦手な蛇だけれど、こんなに美しくて表情豊かでお優しいんだもの。絶対に好きになると思う!


「お前が戻って来たら婚姻の儀を執り行おう。約束してくれるか?」

「もちろんです」


 私は胸を張って即答した。

 疑ってもいなかったのだ。

 姉は絶対にここに戻るだろう、と。

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