第三話  自由満喫の小鳥売

 あかときと  夜烏よがらす鳴けど


 この岡の


 木末こぬれの上は  いまだ静けし






 暁跡あかときと  夜烏雖鳴よがらすなけど

 此山上之このおかの

 木末之於者こぬれのうへは  未静之いまだしずけし




     



 もう朝だとからすは鳴いているけれど、この岡の木の枝先は、まだ静かだよ。





     万葉集  作者不詳  古歌集より





     *   *   *






 四年後。


 真比登まひと、二十四歳。

 五百足いおたり、十七歳。

 小鳥売ことりめ、十二歳。




 小鳥売は、すっかり健康となり、たらふく飯を食べるはたらとなった。

 おかげで、身にまとうのは、働き女らしい質素な衣なのに、肌はツヤツヤ、頬はふっくら、全体的に肉付きが良く、まるで体つきだけなら、郎女いらつめ(身分ある女性)のように堂々とした女童めのわらはとなった。

 真比登の屋敷の家事、とくに食事を一手に引き受けている。

 どんな料理を作るのかは、ほとんど小鳥売の好きにさせてもらえた。

 つまみ食いし放題である。


 今日の夕餉は、堅魚かつおとワラビとかけの茹で卵の煮物。臭い消しに、紫蘇の葉を仕上げにそえる。

 ノビルの漬物。

 若海女わかめの汁もの。

 雑穀米と、白酒しろさけ(ノンアルコールの甘酒)、すももうりも添えて、甘みも豊富な食卓だ。


「ど〜れ、瓜は甘いかな? 味見、味見……。」


 緑と黒の縞模様の瓜を割り、六等分に手際よく切り、しゃくしゃくしゃく……と味見する。


「んっふっふ〜、甘い。さて、堅魚かつおの塩加減はどうかな? 見てみなくちゃね。」


 尻尾のあたりを箸でほぐし、ぱくり。


「んっふっふ〜。美味しいわぁー。」


 こんな調子であるが、まったく問題はない。

 きちんと、味見で減る量を計算して、食事は作っている。

 三人分の食事を作るのは、小鳥売一人の仕事なのだから、誰にも咎められない。

 そして主である真比登は、小鳥売がつまみ食いをしてる現場を目撃しようと、食事時に、自分のお椀に雑穀をもりもり山盛りにしようと、


「好きにお食べ。いくらでもお食べ。」


 と優しい笑顔で見守ってくれた。

 兄人せうとである五百足いおたりも、小鳥売が食べれば食べるほど、


「良かったな小鳥売。今の元気に食べる小鳥売を見てると、兄人せうとは嬉しい。もっとお食べ。」


 としみじみ、噛みしめるように言った。

 つまり小鳥売の、食欲という名の欲望を止める者は誰もいなかったのである……。

 機嫌の良い小鳥売からは、自然と鼻唄がでる。


あかときと───、夜烏よがらす鳴けど───、この岡の───、木末こぬれうへは……。」  



 これは、母刀自ははとじが、料理をしながら、よく口ずさんでいた唄だ。






 あたしを捨てた母刀自ははとじ。(母親)

 弱かったおみな

 あたしの本当の親父に大事にされておきながら、親父が川に流されて死ぬと、あっという間にたちゆかなくなって、身売り同然に、ろくでもないおのこの妻となったおみな

 ろくでもないおのこの暴力に屈し、あたしを守ることができなかった母刀自ははとじ

 もう、母子の情など残っているものか。

 あたしが思慕の情で、母刀自を思い出すことは、ない。

 そう思うのに、料理をしていると、小声で唄を口ずさんでいた母刀自の穏やかな微笑みと、



 ───魚の煮付けをする時は、たきぎを強めにくべて、お湯を沸かしてから、魚を鍋にいれるんだよ。



 そう優しくあたしに教えてくれた母刀自の言葉を思い出すのは、どうしてなのだろう……。








「さて、食事の準備、終わり!

 時間があまった、どうしようかな。」


 あたしは明るく言い、炊屋かしきやをでると、庭で、真比登と五百足いおたりが、木の棒を持ち、剣の稽古をしている。


「やっ……!」

「まだまだ! ほら、脇が甘いぞ!」


 五百足いおたりは十七歳になり、ほどほどに背はのびた。

 でも、真比登と比べるとまだ低く、何より、体格の良さが全然ちがう。

 真比登は、五百足いおたり二人分くらいの胸板の厚さだ。

 稽古は、いつも真比登が一方的に勝つ。

 今も。

 五百足いおたりが脇と腕を打たれ、木の棒を落とし、負けた。


(真比登にいつまでも、一回も勝てない。兄人せうとは弱いのかな? あれだけ頑張って稽古してるのに……。)


 五百足いおたりは、


「ありがとうございました。」


 とお礼を言ったあと、悔しそうに、


「オレ、早く鎮兵ちんぺいになりたいです。まだ、進士しんし(志願兵)になるのを許してもらえないんですか?」


 と真比登を見た。

 真比登は、自分の肩をとん、とん、と木の棒でたたき、


「うーん。」


 と迷い顔で首をかしげた。

 あたしは、兄人せうとの焦りがわかる。

 郷のおのこは、十五歳までがわらは

 十六歳からは、大人とみなされ、畑仕事に一日費やし、郷の共同の仕事、猪狩りや、柵の修繕なども参加するようになる。

 でも、五百足いおたりは、毎日、真比登の屋敷の下人げにんとして働いている。変わりばえしない毎日のなかで、大人になりたくて、焦っている……。


 十六歳になってから、顎にちょび髭をたくわえるようになったのも、きっと、そういった心と無関係ではないのだろう。

 あたしとしては、そんな五百足いおたりを応援もしたいし、このままそばにいてほしいのに、とも思う。


(……一緒にいてほしい、というのは、あたしのワガママか。)


五百足いおたり、鎮兵となったら、二十歳、三十歳をすぎた男たちとも、当然、稽古しなくちゃならない。

 なかには、荒っぽい稽古もある。

 あともう少し、もう少しだけ、身体ができてから、鎮兵となってほしいんだよ。

 やっぱり、若くて身体が細いとな、それだけ不利なこともあるから……。大怪我してほしくないんだよ。焦るな。」

「…………。」


 真比登は優しく言うが、五百足いおたりは唇をかみしめ、無言だ。


「うーん、十七歳だもんな……。そうだな、十八歳になったら、鎮兵となる事を許そう。」

「本当ですかっ!」

「ああ、本当だ。」

「やったー! 真比登、もう一度、稽古をつけてください!」

「ああ、次は弓矢だ。五百足いおたりは弓がうまい。もっと磨け。弓矢では誰にもひけをとらないくらい、うまくなれ。」

「はい!」


(これいつまでも稽古が終わらないやつ……。)


兄人せうとー! あたしこれから、いつもの場所にいく。迎えに来てね!」


 五百足いおたりはあたしを振り返り、にっこり笑って、


「わかった!」


 とうなずいた。

 



     *    *   *



 あたしが向かうのは、郷の共同の井戸だ。

 真比登の屋敷の庭には、贅沢なことに井戸がある。

 だから、形としては水桶を手にはしてるけど、水を求めてではなく、おしゃべり相手を求めて、あたしは行くのだ。

 郷の女は、暇ではない。やる事はたくさんある。

 ではあるが、女とは、おしゃべりをしないと死んでしまう生き物である。

 井戸のまわりは、いつも、誰かしら女がいて、ころくカアころくカア、とおしゃべりに興じている。

 たいていはくだらない、楽しいおしゃべりだが、なかには、


大里おおさとの輿麻呂よまろんとこの浄酒きよさけはダメだねーっ、親父さんが病にふせっちまってから、味が落ちたよ。」


 など、ちょっとした情報もひそんでる。

 あたしは、年上の妻たちの会話に、


「じゃあ、どこの浄酒が良いのさ?」


 とさっそく参加する。


「ああ、小鳥売じゃないか。相変わらずワガママ(ワガママBODY)だね。」

「ワガママにつまみ食いし放題だからってね。羨ましいねえ!」

「あたしも春日部の屋敷にいこうかな?」

「バッカねえ、あそこ疱瘡もがさ持ちじゃない。」

「あはは、そうねえ。」


 ちくりと、真比登の疱瘡もがさ持ちは差別される。

 あたしは差別はされないが、気分が良いものではない。

 でも、このおみなたちの言い分もわかる。

 あたしは軽く顔をしかめ、この話題は好きではない事を示しつつも、この話題には触れない。


「ねえ、大里おおさとの輿麻呂よまろんとこの浄酒きよさけじゃなかったら、どこがオススメ?」

「そう、浄酒きよさけはね……。」


 話はつきず、話題はつまの愚痴になり、息子の笑い話や、息子の妻への不満になる。


「おい……、母刀自……。いい加減家に帰ってこいよ。」


 井戸で立ち話をつづける女の息子の一人が、井戸にやってきた。


「あっ、小鳥売……。」


 その十六歳の男は、あたしをしげしげと見て、甘い顔でムフッと笑い、


「歌垣に来る年齢だったら、オレ、小鳥売に唄をうたうのになあ。」


 と言った。今は夏。

 秋の実りの祭りのあとに行われる歌垣で、あたしを抱きたいと言うのである。








      *   *   *

 



 ※ワガママは、作者の架空の言葉です。

 ワガママBODYって、言いたかった。



 ↓挿絵です。

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093080009959649

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