第二話  予想してた買い物とは……。

 

「てめえ、何だっ!」


 波羅門ばらもんハゲは怒って、真比登のつかんだ左手を振り払おうとするが、


「……むぉっ?!」


 真比登の力は強い。

 波羅門ばらもんハゲのふりあげた右腕は、びくとも動かない。

 肌が浅黒いおのこの目に、驚きと恐れが走る……。

 背が低いほうの波羅門ばらもんハゲ、瞼がぷっくり腫れたおのこが、


「てめえ! くそ疱瘡もがさ! 薄削はげ麻呂まろを離せ!」


 と怒鳴り、真比登に向かってムチをふるった。


(こいつ薄削はげ麻呂まろって言うのか。なんか可哀想な名前だな。

 いや、それはどうでも良い。)


 そんな事を思いながら、真比登は右手で狙いすまし、ふるわれたムチをぱしっととらえた。

 左腕は可哀想な名前のおのこの右腕を握ったままである。

 薄削はげ麻呂まろが左腕で真比登の頭を狙い、拳をふるってきた。


(大ぶりだな。)


 難なく真比登はよけ、ムチを手放し、右手で軽く拳をいなすと、


「まあまあ……。」


 ぎりぎりっ、と薄削はげ麻呂まろの右腕を締め上げた。


「ぎゃっ……。」


 その怪力に、薄削麻呂はげまろは黒い衣の膝を、地面についた。

 後ろから、瞼が腫れたおのこのムチが空気をいて迫る。

 真比登は薄削麻呂はげまろから手を離し、振り向きざま上体を開き、


「オレは別に……。」


 ムチをよけ、右足をぐんっと踏み出し、右手で、瞼が腫れたおのこのつるりと禿げ上がった頭を鷲掴みにした。ぎし、と握り込む。


(こいつくそ疱瘡もがさって言ったか。では、少し色をつけておくか。)


 真比登は涼しい顔のまま、ぎしぎしぎし、頭蓋がきしむような力でハゲ頭を絞り上げた。


「げひっ……。」


 瞼の腫れた目が血走り、顔が苦痛に歪んだ。


「喧嘩しにきたんじゃない。穏便おんびんに、穏便に……。」


 とうとう、瞼の腫れた男も膝をついた。

 女童めのわらはを抱きしめたまま、真比登の戦いを食い入るように見ていた男童おのわらはが、


「お願いです。親切な益荒男ますらお。」


 はっきりとした声をだした。

 真比登は瞼の腫れた男から手を離し、男童おのわらはを見た。

 目があう。

 男童おのわらははじっと真比登を見上げた。


(この男童おのわらはは、オレの疱瘡もがさを恐れないようだな……。)


「この子を買ってください。こんなに細いんじゃ、誰も買ってくれないでしょう。

 誰にも買ってもらえなければ、この子は……、夜を越せない!」


 と男童おのわらは女童めのわらはを、ますます、ぎゅっと抱きしめた。

 女童めのわらはは、ぼんやりと男童おのわらはの顔を見上げている。反応が薄く、一言も発さない。


「え? うーん……。」


 真比登は顎に手をあて、困惑した。


(思わず男童おのわらはが殴られそうなのを助けてしまったが、その女童めのわらはを買うつもりでは……。

 たしかに可哀想ではあるが……。)


 男童おのわらはは、その迷いを見てとったのだろう、必死に、


「オレもこの子と一緒に、あなたのところに行きます。

 オレが、この子の仕事の分、全部やります! 

 何でもします! お願いです。」


 と言った。

 目尻に涙が滲んでいるが、男童おのわらはは泣かない。

 今、ぼろぼろ泣いたら、真比登は話を聞いてくれないと察し、泣くのを我慢しているのだろう。


(聡い子だな。女童めのわらはは、あまり似てはいないが、きっと同母妹いろもなのだろう……。)


 同母妹いろもを助ける為に必死な兄。

 それは、真比登の心の琴線きんせんに触れた。


(たしかに、誰かに買われなければ、この女童めのわらはは命を落とすだろう。

 オレが買ってやっても良い。

 だがオレは、疱瘡もがさ持ちだ。

 疱瘡もがさ持ちを忌避するおみなと、同じ家で暮らすことは、オレにはできない。)


 真比登はしゃがみ、男童おのわらはに抱きしめられた女童めのわらはと目をあわせた。


(これでおびえたり、疱瘡もがさを嫌がるそぶりを見せたら。

 オレは疱瘡もがさがある。一緒には暮らせないと伝えて、この男童おのわらはには諦めてもらおう。)


 女童は、じっと真比登を見つめかえした。

 真比登の左頬の疱瘡もがさも、たしかに見た。

 だが、その目には、動揺も怯えも見られず、ただただ、静かだった。


(良いだろう。強い子だな。)


 真比登は表情を緩め、ふわっと笑った。

 今は極度に痩せて、元気がないが、これだけ強い眼差しで、真比登を見ることができるのだ。心が強い子に違いない。


「良し。オレが買う。」

「あっ……、ありがとうございます! 親切な益荒男ますらお。ふぅっ……。」


 緊張が解けたのだろう。男童おのわらはの肩から力が抜け、ぼろぼろ、男童の頬に涙がつたった。


「小鳥売、これで、命は助かる。ううっ……。

 優しそうな人だ。きっと大丈夫だ。オレもついてく。兄人せうとも一緒にいくから……。」


 女童めのわらはは、こくり、と頷いた。

 にんまり、と笑った奴婢ぬひ売りの色白男が、


益荒男ますらお、買ってくださるんで?」


 手をスリスリ、揉み手しながら近寄ってきた。


「ああ、女童めのわらはを買う。いくらだ?」

「米300束で負けときますぜ。」

「ああ、良いだろう。家までついてきてくれ。即刻、渡す。」

「ひょう! 流石です益荒男、富民とみん(金持ち)ですなあ!」


 奴婢売りのおのこが小躍りした。

 真比登も、ふっかけられたのはわかっていたが、財貨には困っていない。

 この卑しい男たちから、少しでも早く、この女童と男童を引き離したかった。


「交渉成立だな。そこの男童おのわらは、名前は?」

丈部はつせべの五百足いおたりです。」

五百足いおたり、動くな。」


 真比登は腰にいた大刀たちをすらりと抜き、ばつっ! と女童の足に結ばれた荒縄を切り落とした。


「ひょう!」


 今度は、波羅門ばらもんハゲ二人が、感嘆の声をもらした。真比登の澄んだ大刀たちさばきで、その技量がわかったのである。


「オレが運ぼう。」


 真比登は、チン……、と大刀たちさやにしまい、五百足いおたりに話しかけた。

 五百足いおたりがコクリと頷き、女童めのわらはを真比登が受け取りやすいようにした。


丈部はつせべの小鳥売ことりめです。」

「小鳥売。」


 小鳥売を抱き上げると、木の枝のように軽かった。

 真比登は疱瘡もがさ持ちではあるが、せめて、怖がらせないように、小鳥売に、にこり、と笑いかけた。


 真比登は、笑顔の明るい青年である。

 小鳥売は、ただ、真比登を見上げた。

 表情はひどくぼんやりしていたが、やはり疱瘡もがさへの忌避は見られない。

 真比登は、


(予想していた買い物とは、ずいぶん違う買い物になったな。)


 と思ったが、小鳥売と五百足いおたりは、真比登の疱瘡もがさを恐れないようなので、拾い物ができて良かった、と思うことにした。


 ぐう。


(お?)


 真比登の腹が鳴った。


(そう言えば、オレも朝から水しか飲んでなかったな!)


 続き、五百足いおたりと小鳥売の腹も。


 きゅう。

 くるる……。


 と可愛らしい音で鳴いた。小鳥売は、もじ、と恥ずかしそうに、軽く身じろぎした。


「ははは! 良し、五百足いおたり、オレの家についたら、さっそく、何か美味いものを作ってくれ。

 食べ物なら、家に豊富にある。

 オレも腹が減った。

 小鳥売には、好きに食べさせてやってかまわないが、ここまで弱っていると、沢山食べるとかえって毒になる。重湯おもゆを作れ。」


 隣を歩く五百足いおたりに話しかけると、


「はい!」


 わらはらしい満面の笑顔で、元気の良い返事が帰ってきた。














 丙午ひのえうまの年。(766年、天平神護てんぴょうじんご二年)。


 いずれ鎮兵ちんぺい伯団はくのだん大毅たいき(団長)に昇進する真比登の、未来の小毅しょうき(副団長)であり、生涯の友となる、五百足いおたりとの出会いであった。


 



   



 







 




 しくも、陸奥国みちのくのくに桃生郡もむのふのこほり桃生郷もむのふのさと桃生柵もむのふのきの薬草園で。

 十五歳の美しい郎女いらつめ(身分ある女性)が、名も知らぬ、貧しく小汚い十三歳の男童おのわらはに、高価な薬草のほどこしを与えたのと、同じ秋であった。










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093079951181308

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