守りつつをらむ  〜真比登とその雛たち〜

加須 千花

第一話  カラスの鳴き声は、ころく。

 波羅門ばらもんの  つくれる小田おだ


 からす


 まなぶたれて  幡桙はたほこ






 波羅門乃ばらもんの  作有流小田乎つくれるおだを

 喫烏はむからす

 瞼腫而まなむだはれて  幡幢尓居はたほこにおり


    




 婆羅門ばらもんが作った小さい田を盗み食いしたからすまぶたを腫らして、幡桙はたほこに止まってるぜ。




 ※波羅門ばらもん……インドの僧。


 ※幡桙はたほこ……法会ほうえに使う。はたのついた柱。


 ※うたなので、深い意味はない。エライお坊さんの小さい田んぼが食い荒らされたぜ、罰があたってからすめ、目が腫れてやがらあ……、といったところか。



     万葉集  高宮王たかみやのおおきみ






   *   *   *







 奈良時代。


 


 一人のおのこが、雑踏ざっとうを歩いている。


 おのこは、背は平均よりすこし高めぐらいだが、胸板厚く、首肩の筋肉が隆々とし、さぞや全身が鍛え抜かれているのだろうと一目でわかる偉丈夫いじょうふだ。

 楽しげにいちを歩く人々は、そのおのこを見ると笑顔を消し、眉をひそめ、次々と道を空ける。


 ここは陸奥国みちのくのくに多賀たがのこほり多賀郷たがのさといち


 秋の早い日暮れで、茜色に空が染まりはじめ、斜陽が、市に並んだあらゆる食料、土師器はじきの食器、布、おみなが喜ぶくしなどを照らす。

 いちは、大勢の男女、家族連れで賑わっているが、偉丈夫いじょうふのまわりだけ、ぽっかりと穴が開いたように、人々が避けてゆく……。


 なぜ、人々はそのおのこを避けるのか?


 そのおのこの左頬に、赤くひきつれたあと、忌むべき疱瘡もがさ───人の命を簡単に奪うえやみの印が刻まれているからだ。


 そのおのこは、過去、えやみ罹患りかんし、克服した。

 しかし全身の皮膚には、その時にできた疱瘡もがさが、残った。

 もう健康体で、そのおのこからえやみ感染うつることはないのだが、人々は、疱瘡もがさからえやみが感染るのではないか、と忌避きひの目で見るのだ。





 春日部かすかべの真比登まひと、二十歳。


 多賀城たがじょうに配された鎮兵ちんぺい伯団はくのだん小毅しょうき(副団長)である。





 真比登まひとは眼光が鋭く、目には荒んだ色があり、それがさらに、道行く人を恐怖させた。

 朝から、水しか飲んでいない。

 米や野菜が、真比登の家にないわけではない。

 真比登まひとは、それなりの財貨持ちである。

 小毅しょうきは稼ぎが良いし、生まれながらに怪力の真比登は、武勇に優れ、褒賞も良くもらうからだ。


 だが、真比登は昨日から哭泣こっきゅうし続け、食欲もない。

 だから、朝から水しか、飲んでいない。


 真比登は、いつも、疱瘡もがさが忌避の目で見られるのが嫌で、郷の市に出かける時には、左の顔を白い布の直垂ひたたれで隠していた。

 でも今日は、直垂ひたたれをつけず、疱瘡もがさをさらして歩いている。


奴婢ぬひを一人買わねば。

 おみなが良い。

 食事が作れれば、もう、あとはなんでも良い。)


 今は家に真比登たった一人しかいない。

 炊事や家事をするはたらが、独り身である真比登には必要だった。


奴婢ぬひりの市で、一番の醜女しこめにしよう。

 めしいでも、おうな(おばあさん)でも。

 オレにはそのような醜乙女しことめしつがふさわしい。)


 真比登を見る通行人が、ある者は、


「あっ!」


 と驚き、またある者は無言で顔をしかめ、真比登のまわりから引いてゆくのを見ながら、真比登は瞳に傷ついた色を浮かべ、荒んだ笑みで口元を歪めながら、歩いてゆく。


 奴婢売りを見つけた。

 物見高ものみだかい見物客が、まばらな人垣を作っている。


「目ぇーやすし!(目に良い、良い品物を揃えているよ。) さあさ、見てくれ、使小さな女童めのわらはだよ。さあさ、見てってくれ。」


(ちっ、むなくその悪くなる呼びこみだな。)


 真比登は、生来、心根のまっすぐなおのこである。たちまちに、この下品な呼び込みに不快になった。


 見れば、軽快に呼び込み調子を続ける色白の奴婢売りのおのこが一人。

 奴婢売りを守る、屈強な浅黒い肌のおのこが二人。

 その屈強なおのこは二人とも、からすのように黒い衣を着て、ムチを持ち、良く似たごつい顔立ちで、頭が波羅門ばらもん(僧)のように禿げ上がっていた。

 顔立ちが似通い、二人ともハゲだが、背が少し低いおのこのほうだけ、瞼がぷっくり腫れていたので、見分けがつきやすかった。


 その白い男一人、黒い男二人に囲まれて。

 七、八歳ほどの女童めのわらはが、片足に重しの石を荒紐で結びつけられ、フラフラとしながら、うつろな眼差しで立っていた。

 ひどく痩せこけている。頬にも、首にも、桃色の衣の袖からのぞく手首にも、肉がない。


(ひどいな。)


 女童めのわらはが今まで、ろくに食べられない環境にいた事は、一目でわかった。


(あれでは、買っても、一日二日で黄泉渡りしてしまうのではないか……?)


 それでは、真比登も買うわけにはいかない。








 夕暮れ、真っ赤に染まる空。

 秋の寒々しい風がヒュゥゥゥ……、と吹き、近くの木の梢で、真っ黒いからすが、


 ───ころくカア! ころくカア!───


 と女童を見ながら鳴いた。

 さながら、女童めのわらはがこれから辿る運命を象徴しているかのように……。









 女童めのわらはは、立っているのも辛いのだろう。

 ふら、としゃがみこんでしまった。


「立て!」


 背が高い波羅門ばらもんハゲの男が、その背中に容赦なくムチをあてる。

 真比登は見ていられなくて、顔をぎゅっとしかめた。


(奴婢は、奴婢売りの物だ。ムチをくれようと、オレが口出しできる事ではない……。)


 女童めのわらはは、ムチを当てられても、しゃがみこんだままだ。


「やめてくれ! やめてくれ!」


 一人の男童おのわらはが、よろめきながら人垣から飛び出した。

 年齢は、十三、四歳ほど。

 身なりは悪くない。

 それなりの豊かな暮らしをしているように見えた。

 麻鞋まかい(麻で編んだズック靴)が擦り切れ、片方のかかとから血が滲んでいる。

 一目で、たくさん歩いたあとだとわかった。

 男童おのわらはは涙を流し、乾いてひび割れた声で、身を絞るように、


小鳥売ことりめ!」


 と叫んだ。

 しゃがみこんだ女童めのわらはが顔をあげ、生気のなかった目が、きら、と光り、何事か口をもぐもぐ動かし、震える右腕を男童おのわらはにむかって上げた。


「小鳥売っ!」

 

 男童おのわらはは、よろめく足取りで、驚くほど早く女童めのわらはのところに到達し、涙でくしゃっと歪んだ顔で、女童めのわらはを抱きしめた。


「ごめん、小鳥売ことりめ、こんな……。見つけるのが遅くなってごめん!」

「どけ! くそたれわらは!」


 背が高い波羅門ばらもんハゲ男が、売り物に抱きついた男童おのわらはを殴ろうと右腕を振り上げた。


(この男童おのわらは奴婢ぬひじゃない。)


 真比登は素早く走り、波羅門ばらもんハゲの右腕が振り下ろされる前に、空中で掴んだ。


わらはを殴るな。」






   







↓手書きの挿絵です。近況ノートに飛びます。(前に描いたやつ)

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076213563530


 

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