第35話

 血相を変えた宗吾が怒鳴り込んできたのは翌日、手入れを始めて三日目の昼前だった。

「お前が山の怪に喰わせたんだろ!」

 玄関に響き渡る荒れた声で一方的な主張を投げる宗吾に、溜め息をつく。宗吾が言うには、作業中に山師の一人が消えたらしい。

「落ち着いてよ。本当にいなくなったの? 連絡してみた?」

「俺の後ろを歩いとったんが、いきなり消えたんだ。携帯鳴らしても繋がらん!」

 宗吾は、目をひん剥き眉を顰めて訴える。遅れて居間から出てきた祖父が、私の隣に立った。

「なら、拐かしでしょ。私が拐われてから三十年近く経つし」

「お前」

「警察には連絡したんか。まだなら、早うせえ。うちに文句つけるより探すんが先だろう」

 私に掴み掛かろうとした宗吾を制すように、祖父が冷静な口を挟む。勢いのままに飛び込んできたらしい宗吾は、悔しげに次の言葉を飲んで私を睨み、玄関戸を叩きつけるように閉めて出て行った。

「また、騒がしゅうなるな」

 一息ついて、祖父は背を向ける。そうだね、と小さく返して私も廊下を行く。

 囲水の者ではない山師に、匂いの印はついていないはずだ。津川と同じように。

 思い立って母の部屋へ向かい、声を掛けて少し障子を引く。布団から体を起こしていた母は、携帯を傍らに伏せてこちらを見た。

「作業中に山師が一人消えたらしいから、また警察が来るよ。しばらくまた騒がしくなるけど、気にしないで」

 告げた状況に、青ざめていく。相変わらず頭痛と耳鳴りは続いているらしい母は、臥せることが多くなった。そのうち落ち着く、と言えたらいいのだが、おそらくこの先にそんな日は来ない。

「分かったわ」

「じゃあ、ゆっくり休んで」

 障子を閉めたあと、まっすぐ裏庭へと向かう。建てつけの悪いガラス戸を引いて庭へ下り、裏庭から続く山を見上げた。相変わらず、なんの気配も感じない。でも、どこかにはいるのだ。

「いらないものばかり食べさせて、ごめんね」

 もう少しすれば、一番食べたいものも手に入るから。

 諦めたつもりが、少し湧いた感覚に続きを飲む。固く作った拳で、震えを隠した。

 ――誰も悪くないんだから、多希子も悪くないんだぞ。

 久しぶりに思い出された声に、もたげた拳をゆっくりと開く。今はもう、そうではないはずだ。吹き下ろす風にまた山を見上げてから、踵を返した。


 宗吾の通報により召喚された大澤は、久し振りの丸椅子で溜め息をつく。

「井上さんの不起訴、あなたが一枚噛んでいたとか」

 しかし最初の発言は、今回の一件から遠く離れたものだった。

「これ以上、失う必要はないですから。無事不起訴になったんですね。良かったです」

 笑んだ私に、大澤は表情を渋くする。井上が不起訴になったことではなく、私が関わっているのが気に入らないのだろう。

 といっても別に、大したことはしていない。うちの顧問弁護士が木谷の病室を訪れ、こちらには名誉毀損で訴える準備があると伝えただけだ。するとその日のうちに木谷の親から電話がかかってきて、示談と引き換えに訴訟をしないよう頼まれた。木谷が退院したら、また改めて謝罪に訪れるらしい。その時に、あの家も明け渡してもらう予定だ。

「今回姿を消した作業員とは、面識が?」

「挨拶程度ですね。手入れに入ってもらう時や休憩の時に会うくらいです」

 消えたのは六十過ぎの山師らしい。山の下から通ってくる人で、杉ノ囲の遠縁だと聞いていた。早速組まれた捜索班は山師の連中と警察官を合わせて十名ほど、既に山を捜索中だ。

「班長さんは、お宅にはなんと言って来たんですか?」

 宗吾の主張とすり合わせたいのか、大澤はメモから視線を上げて尋ねる。まあ、今一番疑われているのは宗吾だから、こうなるのは当然だ。

「『歩いていて振り向いたらいなくなっていた』と。まあ、そうなんだろうと思います。宗吾は短気で頭が悪いので、欺くようなことは苦手ですから」

 苦笑で返した内容を、大澤はメモに書きつける。

「毎年、手入れには五、六人入るのに、今回は三人だとか」

「そうですね。噂で腰が引けた山師が多かったようで」

 一息ついて、揃えた膝の上で手を組む。警察にこうして探られるのも何度目か、もう緊張もなくなってしまった。

「噂とは?」

「最近、集落で集団ヒステリーが起きてるんです。最初は本条さんのところのお子さんが頭痛と耳鳴りを訴えただけだったんですが、それが周囲に広がってしまって。おいぬさまの祠を下ろした罰なんじゃないかって言ってるんですよ。で、山師の中にもその噂を信じたり、津川さんが出て行ったのを山の怪に喰われたと思ったりしてる人達がいたみたいで」

「三人しか入りたがらなかったってことですか」

「そうですね」

 私の答えをしばらく書き殴ったあと、大澤は鋭い視線で私を見据える。よく焼けた四角い顔のところどころが、年相応の脂で照っていた。それでも健康的に見えないのは、白目が黄みを帯びているせいだろう。

「今回の一件、あなたは何が起きたと?」

「拐かしだと思っています。ここでは大体、二十年から三十年に一度起きるそうですから。私の次が起きたとしても、おかしくありません」

 私の見立てに、大澤は頷く。

「津川さんから、その後連絡はありましたか」

「いえ。もうないでしょう。ご両親から荷物をまとめて送ってくれと言われて、先週末に送り返したところですし」

 軽のバンが来たあとしばらくしてから大きなトラックが来て、二時間ほどで全ての作業を終えていた。一瞬何か胸に浮かび掛けたが、形になる前に消えていった。

「山師の方は、帰って来ると思いますか」

 大澤はまた、私を射抜くように見据えて尋ねる。私に何を言わせたいのか知らないが、全てを話すつもりなどない。

「分かりません。私達は、あまりに礼を失しているので」

 苦笑で返した時、大澤の携帯が鳴り響く。がしゃりと音を立てて丸椅子から腰を上げ、大澤は携帯を手に玄関の方へと消えた。

 一息ついて椅子を回しデスクの書棚から本を引き抜いた時、もう戻ってきて驚く。

「遺体が出ました」

 大澤は抑えた声で告げながら、携帯をスーツのポケットへ突っ込んだ。まあ別に、予想外の結果ではない。

「そうですか」

「二体です」

 返答に、思わず大澤を見据え返した。もちろんもう一体の予想はできているが、下手な口は利かない方がいいだろう。

「一緒に来て、確認してもらえますか」

「分かりました」

 断れるわけもない要請に応え、本を差し込んで腰を上げる。諦めて、大澤のあとに続いた。


「話では、同じ場所にあったそうで」

 離れを出て山への道を行きながら、大澤は状況を明かし始める。

「じゃあ、二人とも拐かしに遭ったんですね」

 慌ただしく向かって来た警察官が、大澤に何かを耳打ちして行き過ぎた。

「どうですかね。遺体は二体とも、悲惨な状態のようですが」

 続いた返答に止まりかけた足を、慌てて進める。

「井上さんの時みたいに頭がないとか、そういうことですか」

「いや、腹が裂かれているようで。検視はこれからですが、内臓を抜かれているようだと」

 内臓を。想像した遺体に思わず口元をさすった。「見たくない」は、通じないのだろう。

 ――杉ノ囲さんは、あなたの傍にいるのではないですか。あなたの『粛清』を手伝うために。

 大澤は多分、わざと見せようとしているのだ。囲水が選んだ道の結果を。

「すみません、先にお参りをしてから入ります」

 大澤に断りを入れ、麓に下ろされてしまった祠に参る。杉の木で堅牢に作られた祠は雨晒しで色を変えているが、まだ重厚さを保っていた。ただ頂上で感じていた神域の清々しさは、もうどこにもない。

 おいぬさま、囲水を穢したことをお詫び申し上げます。私達にはもう、ここに住まう資格はありません。どうか、全てを絶やされますように。

 近頃の日課となった祈りを終えて、再び大澤の元へ戻った。

「いつも、何を願ってるんですか」

「集落の安寧とご加護です。おいぬさまのご加護なくして、この集落が成り立つわけはありませんから」

 笑みで返した私に、大澤は眉根を寄せて口を開く。それと同時に山の方が騒がしくなり、程なくして捜索隊と思われる面子が慌てた様子で参道口から姿を現した。

「何があった」

「警官が一人、消えた」

 下りてきた山師は、引っ捕まえて尋ねた大澤に青ざめた顔で答える。大澤は、下りてきた最後尾の警察官の元へ急いで向かった。

 どうなっとる、と傍らで零す山師の声は震えていて、まるでこの世の終わりを見てきたかのようだった。

 皆深く敬い奉るを保つべし、偽りなき信心を保つべし。

 それができなくなった時点でもう、囲水の終わりは見えていた。

 大澤は私の元へ駆け戻ってくると、私を遠慮なく睨みつける。

「警官を返すように言ってください。今すぐ解放しろと。あなたならできるはずだ!」

「無理ですよ」

「しろと言ってるんだ!」

 不躾に私の胸倉を掴んで凄む大澤に、苦笑した。解放できるのは分かっている。無理だと言ったのは、そこではない。

「分かりましたから、離してください」

 諦めて受け入れた私を、大澤はようやく解放する。皺の寄ったシャツの胸を軽く撫でて、久し振りの山際近くまで寄る。鬱蒼と茂ってはいるが、見通しは悪いわけではない。さすがの私でも、どこに隠れているのかなんて分からない。

「さっき奪った警官を返してほしいの」

 山の中に呼び掛けてしばらく、上の方でがさりと木々の揺れる音がして、何かが飛び出してくる。大きく弧を描くようにして地面に叩きつけられたそれは確かに、警官だったものだろう。血の描く線を踏みつつ辿り着いた私を、遺体の傍にしゃがみこんでいた大澤は睨み上げた。だから、無理だと言ったのに。

「祠を下ろしたから、おいぬさまの守りが得られなくなったんです。その人を殺したのは、自分勝手な理由で祠を下ろすことを決めた浅はかな連中ですよ」

 言うべきことを言い終えて、騒然とする場を背にする。一瞥した遺体は血みどろで、顔がなくなっていた。

「あなたは、人を助けるのが仕事だったはずだ!」

 聞こえた声に背後を確かめると、大澤が険しい表情で私を見据えていた。相変わらず、まるで父親のような顔で説教をする。父でもないくせに。

「もう、そんな矜持は捨てました」

 苦笑で返し、再び帰路に就く。無性に、母の料理が食べたくなった。

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