第24話

 少し悩んだが、大澤には「訓史とは会っていない」と伝えた。

 ――うちはもう、手を引くことになりました。被害者のご遺体も、本日中にはお返しします。

 私の嘘をそのまま受け入れたのは、もう事実が必要ないからだろう。大澤は、淡々と警察の決定を伝えた。

 瀬能の遺体は予定より返却が遅れてしまったが、おそらくは妻が引き取って移送するのだろう。井上のところはどうなのか、勝治から話はないがどうでもいい。問題は、訓史の遺体だ。ごまかしようのないその消失の落としどころをどこにするのか、そこは私が勝治に相談して、収拾を図ることにした。

「まだ、生きとったんじゃねえんか」

 ひととおりの報告を終えた私に、勝治は部長室のソファにふんぞり返って脚を組む。今日はポロシャツに作業ズボン姿だが、年季物の応接セットが不思議とよく似合っていた。

 朝九時に呼び出されたのは勝治の自宅ではなく、杉ノ囲林業だった。土曜の今日は休日なのと訓史の話が伏されているから静かなものだが、週明けからは忙しなくなるだろう。処理しなければならない案件が山のように待ち構えている。訓史のことだから遺言書の類もきちんと準備しているのだろうが、杉ノ囲の資産は御手座の比ではない。揉めずには終わらないだろう。

「私もそう思ってたんですけど、今朝詳しく聞いた話では、首の骨が折れてたそうです。首吊りならまだ可能性はありますが、首の骨が折れたら無理ですよ」

 大澤が言うには、逮捕が確定したあと向かったトイレで「何か」があったらしい。訓史が個室に入っていた五分ほどの間に起きた出来事だった。

「なら、訓史は山の怪になったいうことか」

 勝治は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。最後の台詞は伝えていないが、それを除いたとしても、ほかには考えにくい。

「信じられませんが、そういうことなんだと思います。でも私には、山の怪になったというより元から何かしら」

「なら、杉ノ囲うちに問題があるて言うんか!」

 がばりと背を起こし、突然の怒りをぶつけた。

 やりにくいが、相手は私を憎んでいるのだから仕方ない。この喧嘩腰に飲み込まれたら、話が進まなくなってしまう。

「いいえ、そうではありません。『元から』と言ったのは『生まれついて』という意味ではなく、『事件以前から』という意味です。いつからかは分かりませんが、山の怪に憑かれていたのではないかと。それで、山の怪が訓史さんの意志に反して首の骨を折ったのではと私は思っています」

 それなら「多分自分だけど記憶がない」にも納得がいく。自分ではない何かに操られて、突き動かされていたのなら。

 言葉を探りながら真意を伝えた私に、勝治はようやく合点がいった様子で頷きソファへ凭れ直した。焦げ茶の革が、ぎしりと軋む。

 何十年くらいここで過ごしているのかは分からないが、室内にはゴルフクラブだの剥製だの、職務には関係のない私物があちこちに置かれていた。後を勝治に任せるのはいろいろ不安だが、致し方ない。

「まあ遺体が出てこん以上、葬式はできんな」

「いえ、できないわけでは」

「お前は訓史のなんでもなかろうが! 口を出すな!」

 勝治は再び顔面を憤怒に染めて遮り、鼻息を荒くした。いい加減、うんざりする。死者を悼む時くらい、敵意を抑えられないのだろうか。

「分かりました。では、後のことは皆さんへの説明を含めてお任せします。説明会はしますよね?」

「言われんでも分かっとる」

 ふん、と答えて子供のように顔を背ける姿には、暗澹としたものしか湧かない。諦めてテーブルの上に並べていた資料をまとめ、腰を上げた。

 これからは、勝治と運営をしていかねばならない。でも祖父に任せれば、もっと大変なことになるだろう。訓史と私ですらぶつかり合ったのが、「政治」という代物だ。

「では、失礼します。お時間いただきありがとうございました」

 大人の礼儀として頭を下げ、廊下を目指す。おい、と聞こえて歩を戻し、パーテーションから顔を覗かせた。

「訓史の子供はできとらんだろうな」

「ご心配なく。ありえませんので」

 下世話な心配を冷ややかに封じて、今度はちゃんと部屋をあとにした。


 勝治の怒りを買わないために詳しく言わなかったが、訓史が山の怪に乗り移られたのはきっと随分前だろう。

 ――あいつは、そんな物分かりのええ男じゃねえぞ。お前を見る目つきも、昔からちいと変わっとる。

 訓史が私に執着したのは、多分山の怪が私をさらった理由と同じだ。心当たりはないが、私は山の怪を引き寄せる匂いを発しているのだろう。それは、なんなのか。なぜ「私」なのか。そして、なぜおいぬさまは私を助けたのか。

 書庫で見つけた『言伝』にはおいぬさまの祀り方などが書かれていたが、改めて本にしなくても良さそうな、分かりきった内容だった。だからこそ、あそこに隠されていたものが気になる。「教科書」には書けなかった内容が。そこには、私が知りたいことが記されていたのかもしれない。

「ほんで、勝治は葬式どうするってや」

 居間で待っていた祖父は、いつものようにボールを握りながら煙草を吹かしていた。最近本数が増え続けているのが気になるが、状況を考えれば致し方ない。

「口を出すなって。何か考えがあるんじゃないの? 葬儀、面倒くさいこと言ってこなきゃいいけど」

 座卓に突っ伏し、祖父を眺めながら溜め息をつく。

 集落の葬儀は、囲水でしか通じない、囲水だけのやり方で行われる。準備から後始末まで、取り仕切るのは御手座だ。寄合所で行う儀式では当主が装束を身につけ、幣を手においぬさまへ祈りを捧げて魂の引き取りを願う。遺体はその後、本来ならば親族の男が東の山にある共同墓地まで座棺を担いで運び、埋める。いわゆる土葬だ。ただ公衆衛生の観点と水源に近いことから、県と町に要請されて昭和中期からは火葬に変更された。以来、座棺だった棺は平棺となって一旦霊柩車で火葬場へと運ばれ、骨壺だけが戻ってくるようになった。骨壺を共同墓地へ収めたら、酒席で故人を偲んでひとまずは終わりだ。

 それを踏まえて、私は骨葬のふりをすればいいと提案するつもりだった。空の棺なら棺を開けない理由が必要になるし、火葬場へ行ったあともいろいろと面倒だ。その点、骨葬なら「(犯罪者だから)身内だけで先に済ませた」と言っても怪しまれないと思ったのだが。

「まあ葬式のことはともかく、問題は私よ。山に入れないとお勤めができなくなる。じじばばは放っとけばいいけど、おいぬさまは許してくださるかな」

「おいぬさまが訓史を山にお囲いになるんなら、大丈夫だろう。お前のことも、これまでどおりお守りくださる。ここがどうなるかは分からんがな」

 吸い殻の溜まった灰皿に黄色い爪で灰を弾きながら、祖父は私を宥めるように言う。

「お前に免じて、ようけ目こぼしされてきたもんがあるはずだ。あいつらは、分かっとらんのだろうが」

 溜め息交じりに零し、背を丸めて短くなった煙草を咥えた。

「移住者はもう、受け入れない。これ以上は無理だよ」

 あのブログの内容は誰にも言わないが、おいぬさまはご存知のはずだ。敬意すら持てない連中を、これ以上受け入れるつもりはない。

「お前の好きにせえ。当主の座に就くんは津川でも、御手座の跡取りはお前だ」

 重みのある当主の言葉に頷き、居間を出た。

 思っていることの一つは伝えたが、もう一つはまだだ。でも明日には、聞かせてしまうことになるかもしれない。

 考えた途端に、胸が鈍く痛む。不意に懐かしい匂いが鼻を掠めて、落ちていた視線を上げる。座敷の中を抜けて裏庭へ向かうと、予想どおり焚き火をする母の背があった。

「焚き火なんて久し振り」

 窓を開けながら声を掛けた私に、母はびくりとして振り向く。

「ああ、多希子。ごめんね、ちょっとびっくりしちゃって。無事に話し合いは済んだの?」

 慌てたように返して、話題を振った。母には全てを話さず、ひとまず「今後のことを話し合う」名目にしておいた。まだ訓史が死んだとは知らない。ましてや、その背後の山にいるなんて。

「無事ってわけじゃないけど、済んだよ。多分、今晩また説明会が」

 遮るように鳴り響いた呼び鈴に、言葉を切る。

「あ、お客様みたいよ」

 促す母に頷き、炎を上げる枯れ草の山を一瞥して玄関へと向かった。

 訓史の死亡を公にするのは今日の説明会だが、気になる住民が、雅子辺りが来ていても不思議ではない。でも応えて出た先にいたのは木谷と、初めて見る中年の女性だった。

 木谷よりは細めな体を紺のパンツスーツに収めているが余裕はなく、白髪染めの褪せ始めたひっつめ髪は少し薄い。握り締めた重そうなハンドバッグには、私でも名前を知っている一流ブランドのロゴが踊っていた。どこにでもいそうな女性だが、誰であるかは憤懣やるかたない様子の表情で分かる。井上の母親だろう。女手一つで井上を育て上げた、看護師だったはずだ。

 女性は予想どおり「井上翔也しょうやの母です」と告げたあと、赤くした目で私をきつく睨んだ。

「さきほど、警察から連絡がありました。息子さんのご遺体は本日中にはお返しするそうです。詳しいことは、警察署でお聞きください」

「犯人は! 犯人はどうなったんですか、捕まったんでしょ!」

「その件ですが」

 迫る母親の背後で、木谷は余裕の垣間見える下卑た笑みを薄く浮かべる。途端、全身の血が冷えていくような心地になった。もう、守る義務はないだろう。

「取り調べ中に、亡くなりました」

 抑えた声で告げた私に、二人揃って驚く。

「自殺したの?」

「対外的には、そういうことにせざるを得ないのでしょうが」

 慌てたように口を挟んだ木谷を見据えると、また驚いたように身を引いた。いつもいつまでも、私を奴隷のように扱える気分でいたのだろう。でもそれは、もう終わりだ。

「あなたは井上さんと一緒にあんなブログを書いて収入を得ていらっしゃるくらいですから、祟りだの呪いだのといったオカルト的な話の方がいいんですよね?」

 薄く笑んで尋ねると、木谷は明らかに狼狽える。

「どういうこと?」

 母親は戸惑った様子で振り向き、木谷を窺った。予想どおり、私を敵役にするためにあることないこと吹き込んでいたのだろう。自分だけは味方であるような口ぶりで。

「木谷さんは息子さんと結託して、ここをカルトだの因習村だのと罵るブログを書いて収入を得てらしたんです。息子さんをここへ呼び寄せたのも、木谷さんですよ。調子に乗ってこき下ろしたせいで、神様だけでなく山の怪の怒りも買って殺されました」

「そんなことしてないし、そんなものいるわけないでしょ、嘘です!」

 言い返された場合の対応はまるで用意していなかったのか、お粗末な答えには苦笑する。調べれば分かることだ。証拠は今もネットに存在している。慌てて消したところで、記事は全て顧問弁護士が証拠として保存済だ。

「『因習村で暮らす』という名のブログです。検索していただければ、すぐに分かりますよ。息子さんが亡くなったのは、そのブログに載せる動画を撮るため、雨が降っているのに夜中の山へ入ったためです。お許しになりませんでした」

「本当なの!?」

 一層ヒステリックに響いた母親の声が、屋敷に響き渡る。木谷はふてくされたように黙って、俯いた。首元で、肉が醜く段を作る。

「警察署でご遺体と対面すればお分かりになるのでお伝えしますが、息子さんは首のない状態で発見されました。そして犯人として連れて行かれた方は」

 少し間を置いた私に、母親は青ざめた顔で向き直る。初めて知った息子の死に様に、唇が小さく震えていた。木谷も気になるのか、ちらちらと卑しい視線を向けて窺っている。

「昨日、警察のトイレで首の骨を折られた状態で発見されました。自力では無理ですが、防犯カメラには誰も映っていなかったそうです」

 母親は目を見開き、声もなく私を見つめる。そのとおり、殺されたのだ。三人とも。

 視線を向けた私に木谷は落ち着きをなくし、しきりに唇を指で拭うような仕草をする。指先が、がくがくと震えていた。

「あなたがあんなブログさえ書かなければ誰も、瀬能さんも井上さんも訓史さんも死ななかった。神と山の怪の怒りを買って三人もの犠牲を出した原因を作ったのは、ここで粛々と暮らしている私達ではない。あなたですよ、木谷さん。それが分かっていたから、私達が殺したかのようにお母様に吹き込んだのでは? お母様が私を責めればまた、それがブログのネタになりますもんね。三人の死で、このあといくら稼ぐつもりなんですか?」

 追い詰める私に耐えられなくなった木谷は、全てを投げ出して外へ飛び出す。

「待ちなさいよ!」

 母親はすぐさま後を追い、慌ただしく玄関を出て行った。

 開け放たれたままの玄関戸に溜め息をつき、サンダルをつっかけて閉めに向かう。視線を先へやれば、逃げ切れず転げたらしい木谷に馬乗りになってハンドバッグを叩きつける母親の姿が見えた。劈くようなわめき声がうるさい。

「まあ、がんばって」

 呟いて玄関戸を閉めたあと振り向くと、衝立の傍らにいた祖父と視線が合う。

「やりすぎた?」

 苦笑した私に、いや、と小さく返して居間へ戻って行く。

「ちょうどええ。お前はちいと、優しすぎたわ」

 許す声に安堵して、玄関を上がる。左へ向けた視線はすぐに、廊下で立ち竦む母と合った。あ、と思うより早く母は踵を返して駆け出していく。怖がらせてしまったのだろう。眉間を揉み、少しも晴れない胸に長い溜め息をついた。

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