私は中学に入って以来友達がいない。

 というのが事実。そうは言っても、友達の定義を変えれば、少し話は変わる。例えば、一か月程度の間だけ仲が良くて、後は離れていって挨拶も交わさなくなった人は数に含むのか。含むのなら、さすがの私だってもう少しは大きな数を出せる。


 そういったインスタントの友達は、新年度の頭によく出没する。クラスが替わって浮足立っているのだろう。節操のない彼女たちは、新しい教室で孤立したくないがために、誰彼構わずに声をかける。その対象が、時に私に向くことがある。

 生来の明るい学生は、私と少し会話をしただけで取れ高を見込めないとわかって離れていく。そうではないのが、根暗なコウモリみたいな学生だ。

 人の輪に入ることが不得意なのに、孤独を恐れている。だから慣れない環境に適応するまでの一時の仮の住まいを選ぶそうで、私に白羽の矢を立てるのだった。どうやら私は、適度な距離感からマウントを取って優越感に浸るための格好の餌食らしかった。

 まるで新しい友達という風にニコニコしながらも腹の内ではそんなことを考えているのだから、油断ならない。そういう人の中には、何故だか四六時中行動を共にしようと執拗に構って来るタイプが多い。朝の登校や昼食、放課後の帰宅は当然、休み時間には、私の読書を妨げてまで話しかけてくる。


 ――私はあなたと話しているよりもひとりで本を読んでいるほうがずっと楽しいし、私もあなたに対して本を読むこと以上の楽しみを与えてあげられないと思う。

 何度もそう言いかけた。それでも我慢し、仕方なしに雑談に付き合った。私なりに真摯に対応したつもりだったけれど、早くて一、二か月、遅くても二学期が始まる頃には、彼女たちはよりカーストの高い寄生先を見つけて去っていく。するともう私のことなど眼中からなくなるようで、滅多に話さないようになる。だから、インスタント友達。

 中には記憶に残る変わった子がいた。



 中学二年生の頃で、知り合った経緯はテンプレート通り。性格も、やはり私を踏み台に選ぶくらいに大人しかった。

 彼女は二人きりのときに限ってよく喋る子だった。話題は、趣味、好きな音楽、好きな芸能人、昨日観たテレビ、小学校の思い出……全て頭に「自分の」と付く。要するに、彼女は自分の話ばかりしていた。私が本を読んでいても、構わず語りかけてくる。聞き手の曖昧な頷きさえも、自身の演説を称えるシュプレヒコールに感じているみたいだった。

 私はそれが苛立たしいやら申し訳ないやらで、彼女の演説を遮るために時折自分語りをした。要するに、対抗した。やってみると、自分のことでも話を構成するのが難しかった。それに、反応の少ない相手に話し続けるのは疲労が倍になる。自分語りも意外に労力がかかるとわかって、少し彼女を見直した。かと言って、彼女のようになろうとは全く思わなかった。私は、休み時間にひとりで本を読むことで全ての人のプライベートな時間を尊重するほうが良かった。


 出会いがあれば、別れがある。

 出会いに比べると、彼女との別れはテンプレート通りとはいかなかった。大抵の子は何も言わずに段々とフェードアウトしていくものだけれど、彼女は違った。

 ある肌寒い日のこと、駅のホームで帰りの電車を共に待っているときに、彼女がぼそりと呟いた。

「あなたって、相手の興味ない話をしがちだよね」

 全く悪びれもしない様子で。

 驚いた。私は、彼女に限らず、他人の話に興味なんてほとんど持ったことがないから理解ができなかった。みんな、大なり小なりつまらない気持ちを耐え忍びながら、他者とコミュニケーションをとっているものと思っていた。

 けれど、彼女が自身を棚に上げて不平をぶつけてきたことで、私は大きな衝撃を覚えた。価値観がぐらついた。みんな、面白さとか興味関心を期待して他人と会話していたんだ。面白く興味ある話が平常だったんだ。


 パラダイムシフトに気を取られてしまい、結局私は「無理矢理話しかけてきたのはあなたのほうだ。私こそ、ずっと前からあなたが喋るのをつまらないと思っていた。私はそれが聞きたくなくて仕方なく割り込んでいた」と言い返すことはできなかった。私だけが糾弾される理不尽は、どこにも居場所がなかった。

 それが私の記憶する、彼女の最大かつ最後の言葉。翌日くらいから、彼女は他のグループに入って、私と話す機会はなくなった。その一言だけは、ある意味では私でも興味を持てたと表現していいかもしれない。

 彼女がわざわざあんなことを言った意図はわからない。堪忍袋の緒が切れたのか。別れを決意して清々したのか。私の身を案じたアドバイスのつもりだったのか。

 何にしろ、彼女がインスタント友達のひとりだったことに変わりはないけれど。



 七月に入った頃。

 放課後、私はクラス教室を出る。その最中、二人の女子生徒とすれ違った。

 彼女たちは、新しいクラスになってからしばらく私をインスタント友達にした二人。複数人に巻き込まれる機会は珍しい。私抜きでも勝手に盛り上がってくれるから、一対一で絡まれるよりは楽にあしらうことができる。私は素っ気ない態度を取り続けていたし、頻繁に誘いを断っていたから、テンプレート通りに次第に疎遠になっていた。けれど、

 ――また明日ね、と。

 すれ違いざまに言われた気がした。錯覚だと思う。私はどこともなしに小さな頷きを残して、教室を歩き去った。


 制服のポケットに手を入れると、冷たい金属が指先に触れる。それは、天文部部室の鍵だ。

 屋上に行った日以来、私は週に一、二回ほどの頻度で部室に顔を出していた。決して先輩に気を許したわけではないけれど、学校にも家にも居場所がない私の足は、自然と部室へ向かうことが多かった。

 先輩から手渡された鍵は、学校所有の正式な鍵を複製したらしい。おそらく違法の代物だと思う。まあ、これのおかげで部室の使用許可を教師や事務員から一々得なくて済むのだから、法に抵触する価値はある。

 とは言え、私が鍵を使う機会は未だに訪れていない。部室にはいつも先輩がいた。よって私と先輩の話す機会が増えるのも、自然の成り行きだった。


 その日もやはり、鍵のかかっていない扉を開けば、千条先輩の姿があった。

 紙の読書に耽る先輩を斜向いに、私はコーヒーを淹れてひと息つく。すると先輩が顔を上げ、ふと思い出したように言った。

「ねえ、十河さん。死ねと言われたことはある?」

 唐突な会話はよくあること。私は記憶を探った。

「……親からもカウントするなら、あります」

 それを除けば特にない。意外と機会の少ないものだ。

「じゃあ、生きてよ、十河さん」

 酷いことを言われた。

「それは聞き飽きてます」

「だろうね。私も」

 と言って、先輩は笑った。

 ――かけがえのない命とか。

 ――生きていればいいことあるとか。

 ――人生は夢だらけとか。

 ――あなたひとりだけの命じゃないとか。

 ――前を向いて生きようとか。

 命を尊ぶ無責任な言葉の数々にはもう聞き飽きていて、全てが私を傷つける刃そのものだった。


「私は、死ねと言われると死にたくなる。生きろと言われても死にたくなる」

「はい」

 同意見だった。死ねの言葉には従おうと思う。生きろの言葉には抗おうと思う。

「私には主たる目的があって、そのために都合の良い行動と感情を創出している。無数にある入り口を、全て、たった一つの出口に繋げている。こういうのを目的論って言うんだってね」

「どういう意味ですか?」

「死にたい気持ちさえあれば、何もかも全てが片道切符になりうるってことだよ」

 同じ出来事を一つ取り上げても、どのように次の行動に繋げるかは当人次第。例えば痛ましい出来事があったときに、悲しみをバネにして前に踏み出す人もいれば、嘆きの淵から身を投げる人もいる。肝要なのは解釈の仕方、そして解釈する心の在り様。


 後日。

 放課後、私はクラス教室を出る。その最中、二人の女子生徒とすれ違った。

 ――また明日ね、と。

 すれ違いざまに聞こえた気がする言葉。けれど思い返してみると、それは、

 ――死ね、と。

 真偽のほどはわからない。ただ、そんな解釈もまたあるということ。私はどこともなしに小さな頷きを残して、教室を歩き去った。

 そう望まれたからには、死んでしまうのも悪くはない。


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