4.模倣犯

「さて……君の姉は、やはり違う。だ」

「そう、だね」

 どうして姉は、殺されたのか。

 金代かなしろに姉を殺す理由はない。そもそも見ず知らずの相手を平成の透明人間は殺していたわけではなく、選んだ相手を殺していた。

「二〇一九年四月三十日の夜。そもそも金代先生は皐ヶ丘さつきがおか校に異動していて、その時刻はまだ授業中だ。だから、平成の透明人間の犯行は止まったわけだからな」

 つまり無差別だったとしても、金代にはかなめの姉を殺せない。兼翔けんしょうもその日はバイトの日であり、彼も要の姉を殴ることはできない。

「……戀よ戀。我が中空ナカゾラになすな戀。戀にハ人の。死なぬも乃かハ。無慙ムザンの者乃心やな――さあ、君の姉の方の解を、得るとしよう」

 七人目ではない。

 要の姉の死だけは、独立したものだ。自分の罪を平成の透明人間に被せようとした誰かが、要の姉を殺している。

 蒼雪そうせつはまた、恋の謡を口にする。変わらない、不思議な響きで。

「何か、分かっていることがあるのか?」

「おおよそ、ではあるが」

 思い返してみても、要には何も分からない。要の姉のことだけは、何も分からないままでいる。

 蒼雪が見聞きしたことは、要もほとんど同じように見聞きしている。同じだけの情報を手にしているはずなのに、彼には分かっていることが要には分かっていない。

「その前に君に聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

「君はどうして、要だ? 君の姉は美悠みゆう、死んだときはだ」

「そう、だよ。そして兄さん……樹生たつきと、結婚の約束をしていた」

 本来ならば要の名前が深山みやま要であるというのは、おかしな話なのだ。要の姉は中原なかはら美悠であり、要となのだ。つまり要は本来ならば、でなければおかしい。

 けれど今の要は、深山要だ。本来は姉が結婚したところで要は深山要にはならずに、中原要のままであるにも関わらず。

 要だけが中原のまま。それを嫌がったのは、他ならない姉だったのだ。

「俺の両親は、俺が十四歳のときに、自動車事故で二人同時に死んでしまった。姉さんはそのときもう成人していて、姉さんの庇護下に入る形で、俺と姉さんとの二人暮らしが始まった。姉さん、成人したばかりだったけど、大学辞めて、働いて」

 姉がいなければ親戚に預けられるか、施設に入れられるかだっただろう。けれど姉が大学を辞める決意をして、私が働くと言ってくれたから、要は姉と一緒にいられた。

 化粧っけもなく、着飾ることもなく。そんな姉が付き合い始めたのが、樹生だったのだ。姉が沙世さよに連れられていった先、彼女の行きつけの喫茶店の店主。ふたりのなれそめを聞いたことが、要はない。別にそんなものは聞かなくていいものだと思っていた。

「兄さんと結婚するという話を聞いたのは、十二月の頭だった。せっかく元号が変わるから五月一日に籍を入れると言って、でも俺だけ苗字が違うのは嫌だって姉さんが言ったとかで、兄さんは俺を先に養子縁組した。そっちは別に元号がどうこうとか関係ないだろうってことで」

「つまり君は、戸籍上は樹生さんの義理の息子ということか」

「そう、なる」

 ただ樹生は「君の兄になろう」と要に言った。戸籍上は親子ということになっているものの、それでもやはり樹生は要の兄で、兄弟なのだ。

 本来は姉が間にいるはずだった、義理の兄弟の関係。それは姉が殺されてしまったことによって、いびつな形になってしまったのかもしれない。

「……そのことは、他に誰が?」

「姉さんが殺された今はもう、俺と、兄さんと、兄さんの両親しか」

「そうか」

 要が深山要であることを知っている人は、要が中原要でないことに疑問を持つ人ではない。中原要を知っている人には特に、深山要になりましたなどと、そんなことを言う必要はない。

「戀よ戀。我が中空ナカゾラになすな戀。戀にハ人の。死なぬも乃かハ」

 もう一度、蒼雪が恋の謡を口にする。

 恋とは人を狂わせるものか。恋とは人を死なせるものか。樹生のように赤の他人と義理の親子となり、そしていびつながらも義理の兄弟関係を継続し、要を庇護しようとできるものか。

 翌日になれば、姉は幸せになれるはずだったのに。

 それなのに誰かが、要の姉を殺した。

「君、姉のことで気になっていることは?」

「え……あ、そうだ」

 仕事に出る姉は、特に変わったところはなかった。けれど姉が死んだその現場、どうしても要には引っかかっていることがある。

 潰れた白い箱。その、中身。

「姉さんが殺された現場に、ケーキの箱が落ちてた」

「ケーキ? 何かのお祝いか? 君の誕生日は四月ではないだろう」

「分からないんだ。どうして、ショートケーキなんて買ったのか」

 箱の中に入っていたのは、イチゴのショートケーキだった。買った店がどこだったか要は知らないが、きっと近所のケーキ屋だろう。店はともかくとして、やはり気にかかるのはその中身だ。

 あのケーキは一体、誰に。何のために。

「ショートケーキだったのか」

「そうだよ。ショートケーキが三切れ。俺、食べられないのに」

「食べられない?」

 要の誕生日はいつも、近所の店のチーズケーキだ。ショートケーキは食べられないし、他のケーキも食べられないものが多いから、生クリームを使っていないという、近所の店のチーズケーキだったのだ。

「生クリーム、苦手なんだ。気持ち悪くなるから。だからいつも生クリーム使ってないのだったんだ。近所の店のチーズケーキなら、基本的には使われてないから」

「そうか」

 生クリームが食べられないことを、当然姉は知っている。姉がケーキを三切れ買ったとすれば、姉と、樹生と、要で食べるものだろう。けれどそこに入っていたのは生クリームをたっぷり使った、イチゴの白いショートケーキだ。

 当然それは要が食べられないもので、ならばそれは要に買ったものではない。

「兄さんが一回スクランブルエッグに生クリーム入れて、俺それでも気持ち悪くなって。あの時は兄さんが『間違えた、ごめんな』って久しぶりに慌ててた。生クリーム入りは姉さん用の、だから」

「樹生さんは、いつも冷静だな。でも前は……愛想笑いくらい、していた気がするが」

「兄さん、笑えなくなったんだよ」

 喫茶店の店主でありながら、いらっしゃいませと言っても愛想笑いもしない。樹生の顔に笑みが浮かぶことはなくなり、その表情はほとんど変わらなくなった。

 姉を殺した犯人は、要から姉を奪っただけではなく、樹生からは笑顔を奪っていった。かつては笑っている顔も見た、楽しそうにしているのも見た。けれどそれは、今の樹生が持たないものだ。

「姉さんが殺された、その後から」

 犯人は影の中に潜んでいる。

 本物の平成の透明人間は、篠目ささめ秋則あきのりの遺書によって光を当てられ、その姿を見せた。けれど要の姉を殺した偽物の透明人間は、未だ光もなく、影の中に隠れ続けている。未だに透明なまま、輪郭すらもない。

 蒼雪にはその輪郭が、見えているのだろうか。蒼雪の中には、偽物の透明人間を照らす光があるのだろうか。

「そうか」

 偽物の透明人間が姿を見せたときに、要は何を思うのだろう。

 憎いと、思うのか。殺したいと、思うのか。自分のことであるのに想像もつかず、まるで透明人間かのように、要自身自分の心というものを掴みかねている。

 いつになったら、光が当たるのだろう。偽物の透明人間にも、それから、ずっとずっと分からない、要自身の心にも。光がなければ、影はできない。光がなければ、影の中からの、出口も見えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る