五 いざ弔はん數々の

0.木瓜になりたかった

 秋だった。木瓜ぼけが咲くには、まだ遠い。彼岸花が、咲いている。窓の下、彼岸花があかくあかく燃えている。

 けれど目を閉じて思い描いたのは、淡い紅色の木瓜ぼけの花。

 木瓜ぼけとは面白い花である。枝は頑固で、曲がったことがない。けれど真っ直ぐかというと、決して真っ直ぐでもない。紅だか白だか分からぬ、要領を得ない花が安閑と咲き、やわらかい葉さえもちらつかせる。評して見れば木瓜ぼけとは、花のうちで愚かに語ったものであろう。

 そんなことを、あの小説の主人公は語っていた。

 どうしようもなく不器用で。どうしようもなく愚直で。けれどその木瓜ぼけに、夏目漱石なつめそうせきは人生のあるべき姿を託したのだろう。

 分かりやすいものだとか、見た目の華やかさだとか、表面上の面白さだとか、そんなものが注目される世の中にあって、せつ、とは。

 彼に咲いた花は、秋則あきのりが咲かせることができたなどとおこがましいことは言わないが、木瓜ぼけであったのならば良い。桜ではなく、それより一足先に春を告げる花であったら良い。

 きっと木瓜ぼけだったのだと、信じよう。だから秋則は、彼に託したのだから。ならばきっと真実に辿り着いて、彼を助けてくれる。

木瓜ぼけ咲くや」

 目先のものばかりに、囚われることなく。

 不器用であろうと何であろうと、愚直に生きる。たとえ人に理解されずとも、馬鹿にされようとも。そこに芯を通し、根を張り、己を貫く。

 拙とはきっと、そういうものだ。

「漱石せつを守るべく」

 目を閉じる。瞼の裏で、木瓜ぼけが咲く。

 せつを守る人は、来世木瓜ぼけになるという。あの愚直な花になるという。

 そういう風でありたかった。目の前にいた彼らに、そういうことを教えたかった。けれど教えられたのは、自分の方であったのかもしれない。


 来世は、木瓜ぼけになりたかった。

 けれど、木瓜ぼけにはなれそうにもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る