6.終に光ハ暗からじ

 いずれも、塾との関わりはある。一人目の染井そめい一穂かずほも、それは変わらず。つまり一人目から六人目までは塾との関わりを持っていて、その中で例外になるのは姉だけだ。

「結論を言えば、君の姉だけが、一切関係がない」

 どうしてだろう。

 他の六人はすべて塾と関わりがある。平成の透明人間が塾に恨みを持っている、その仮説は六人目までは成立する。けれどこれでは、かなめの姉だけが外れてしまう。

「一人目の、染井一穂。七人目の中原なかはら美悠みゆう。この二人だけは二人目から六人目までと、分けて考えるべきなのかもしれない」

「でも染井君は、塾生だったんだろ?」

 蒼雪そうせつはじっと手帳の中身を見て、開いたまま手帳を机の上に置く。とん、と蒼雪が指で示した部分、整いすぎるほどに整った几帳面な文字で、時刻が書かれていた。

 染井一穂の死亡時刻は、夜ではない。他の六人は夜だというのに、彼だけが昼から夕方にかけてだ。

「……染井だけ、時間が違うんだ」

「それが、どうかしたのか」

「考えてみろ、二人目から六人目はきっちり同じなんだ。時間帯、殺し方、それから」

「地図?」

 チーズケーキに手をつけることもなく、蒼雪は机の上に地図を広げる。それは要が蒼雪に声をかけたときに広げていたものに似ているが、あの時についていた印はない。

 蒼雪が胸ポケットのところに挿していたボールペンを抜き、かちりとノック式のそれを押して芯を出す。そして彼は、地図の上にくるりとひとつボールペンで少し歪んだ丸の印をつける。

「ここが二人目、ここが三人目、ここが四人目、ここが五人目、ここが六人目」

 白かった地図の上に、五つの丸。ただこれだけでは、何も共通点はない。

「前も思ったけど、場所、バラバラだな」

「一見すると、そう見える。人間とは、何かひとつ気付きがなければ、与えられた認識を覆すことが難しい。平成の透明人間というのは、人間を狩る無差別連続殺人犯、その風聞がどこから来たのかは分からないが、頭の中にその風聞があれば、そういう認識をするだろう。ターゲットが無差別、ならば犯行現場も無差別。その認識が頭の中にあると、こうして並べてみたとしても、実はある法則に従っているということに気付かない。俺もそうだ、実際に塾と関わりがあることを疑わなければ、そして実際に関わっていなければ、これには気付かなかった」

 平成の透明人間が影も形も見えなかったのは、光が当たらなかったからだ。光のない暗い闇の中に潜まれていては、誰もそこに影があることに気付かない。

 蒼雪とて、篠目ささめ秋則あきのりの遺書を弘陽こうようから見せられるまでは、平成の透明人間について情報はあれども具体的なことは何も分からなかっただろう。だからあの声をかけた日、新聞や地図を机に広げていたのだ。

「ここに、皐ヶ丘さつきがおか校がある」

「あ、うん」

 かちりと芯をしまったボールペンの先で、蒼雪は皐ヶ丘校の場所を示す。かちりと再び芯を出して、そこにはぐるぐると何重かの丸を描いた。

 そして蒼雪は、もう二つ、丸をつける。

「ここが、皐ヶ丘駅。それからこっちが、八巻やまき駅。そしてこう、線を引く」

「あ!」

 何重かになっている丸から伸びる、二本の線。大きな通りで校舎と駅とを結ぶように引かれた線と、二人目から六人目までの現場の丸は、近しいところにあった。

「皐ヶ丘校から皐ヶ丘駅まで、あるいは皐ヶ丘校から八巻駅までの道の、範囲内。一見ばらけているように見えて、二人目から六人目の現場には共通点がある」

 校舎から駅までの大きな通り、そこから入って細い路地。コンビニや防犯カメラをつけている店や家があれば、大きな通りは防犯カメラの視界に入るだろう。

 けれども細い路地には、防犯カメラがほとんどない。店の裏口に防犯カメラをつけている場所ならばともかくとして、そうでなければ映像が残ることはない。

 まして、夜。皐ヶ丘駅付近は明るく人が多いかもしれないが、それでも遠くなれば、時刻が遅くなっていけば、人はまばらになっていく。皐ヶ丘校は駅からそれなりに距離があり、人通りは少なかった。

「それでここに、一人目の染井と七人目の君の姉を加えると」

 染井一穂は二ツ宮ふたつみや校に近い路地裏が殺害現場。要の姉は会社から住んでいたアパートまでの途上。

「てんでバラバラに、見える……」

 一人目と七人目が入ることで、まるで共通点がないように見えてしまう。

 これが何を意味しているのか分からないが、蒼雪は少しばかり難しい顔をしているようにも見えた。

「……俺はずっと、先生が花園はなぞのに遺書を送った理由を考えていた。塾を卒業するとき、先生に手紙を書く生徒はそれなりにいる。先生の住所を知らずともどこの校舎にいるのか分かれば年賀状は送れるのだから、年賀状のやり取りをしている生徒は他にもいるはずだ。けれどその中からどうして、花園だったのか」

 なんとなく弘陽を選んだというのは、理由にならない。遺書を送る相手が、誰でも良いはずがない。

 弘陽は大学合格を報告しに、篠目秋則に会いに行っている。染井一穂と同じように数年ぶりに会いき来た弘陽に、なぜ篠目秋則は遺書を送ったか。

「篠目先生は、生徒のことを、よく覚えている」

姫烏頭ひめうず?」

「基点になっているのは、皐ヶ丘校」

 蒼雪の指先が、地図の上を辿っていく。かつて彼らが通った塾の校舎、そこから駅までの途上で殺された、塾と関わりのある人々。

「花園に、送られた、遺書」

 やはり蒼雪は遺書の届け先が引っかかっているらしい。

 どうして他の誰でもなく、弘陽なのか。そこに、弘陽でなければならない理由があったのではないか。

ツイに光ハクラからじ――先生は、どうやって辿り着いた。いや、先生なら知っている。だから先生は平成の透明人間の正体に辿り着き、そして、その秘密を抱えて沈んだ。どうして沈んだ、どうして浮かべなかった、どうして……どうして、

 皐ヶ丘と、蒼雪は校舎の名前を口にする。小学生だった彼が三年間通った、篠目秋則や宗方むなかた金代かなしろのいた校舎。

「だから、花園だったのか? もし俺や国崎くにさきの住所を知っていたら、もしかすると俺や国崎にも遺書は届いたのか? それでも、花園のところに届いたか? いや、そうだとしてもきっと、遺書は花園に届いた。先生にとって花園こそが咲いた花、木瓜ぼけの花。俺は違う、。国崎も既に咲いていた。だから、花園だった。ただ愚直に真っ直ぐに、いつかあるはずの光を求めて希望になった」

 遺書の送り先は、花園弘陽でなければならなかった。

 それはただ、篠目秋則が住所を知る中で、弘陽だけが条件を満たしていたからなのか。

深山みやま

「え、何?」

 地図を見ていた蒼雪が顔を上げ、じっと要の顔を見ている。紅茶もコーヒーもすっかり冷めてしまっていたのか、立っていた湯気は消えてしまった。

「……君の姉だけは、やはり違う。平家物語も、夏目漱石なつめそうせきも、『碇潜いかりかづき』も、関係がない」

「え、それは、どういう……」

「君の姉の方も、きちんと解は得る。だが、まずはこちらだ。駅の防犯カメラ映像と、それからあとは」

 ポケットからスマートフォンを取り出した蒼雪がそれを操作して、耳に当てる。しばらくして相手が出たのか、蒼雪が難しい顔をしたまま口を開いた。

「もしもし、三砂みさごさん。はい、お世話になっております、俺です」

 電話の相手はおそらく、例の高校の同級生の父親なのだろう。

「いえ、はい。至急調べていただきたいことがありますが、お願いできますか」

 スマートフォンを耳から離し、画面の上の赤い部分を押して、蒼雪は電話を切った。机の上には、手帳と、地図。

 食べるかと、蒼雪が手帳と地図を片付けて、チーズケーキの皿を自分の方へと引き寄せた。

 冷蔵庫に入っていたチーズケーキは、室温に近くなっている。要も彼と同じように皿を引き寄せて、フォークでチーズケーキを切り分けて、口へと運ぶ。

 じんわりとした甘さが、舌の上に広がった。

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