6.腹の底で、澱む
「平成の透明人間が殺した一人目は高校生――便宜上、高校生としておこう。で、十八歳で、男性」
これは、
「二人目は会社員。二十一歳、男性。三人目は専業主婦。三十九歳、女性。四人目は専門学校生。二十歳、女性。五人目は会社員。四十五歳、男性。六人目は弁護士。四十三歳で、男性」
特に共通点があるわけでもない。職業も、年齢も、性別も。何もかもが異なるのに、同じ人間に殺された。
「七人目は会社員で、二十九歳、女性」
これは、
じくりと、腹の底でまた何かが澱んで蠢いた気がした。じくりじくりと降り積もっていく何かが、ひどく気持ちが悪い。
「彼らは染井を除けば、いずれも二十歳を超えている。とはいえ、全員に共通する知り合いというのは見当たらない。平成の透明人間の姿は、被害者の交友関係の上に影も形もない。
彼らが殺されたのには、どんな理由があったのだろうか。共通する部分は何もなく、けれど同じ方法で殺されている。
一人目の染井一穂だけは、夕方前に殺された。残りの六人は、夜。
「最初の犯行は二〇一八年三月二十四日。そして二人目は二〇一八年四月十六日。三人目は七月十三日。四人目は十月九日。五人目は二〇一九年二月五日。六人目は四月五日。最後の七人目は二〇一九年四月三十日。つまり平成の透明人間の活動期間は二〇一八年三月二十四日から二〇一九年四月三十日の間だ」
平成三十年から、平成三十一年が終わるまで。令和になって以降、平成の透明人間は犯行をぴたりと止めてしまった。まるで元号の終わりと共に、消えてしまうかのように。
平成の透明人間が消えて、一年と半年以上が経過した令和二年の秋の終わり。冬になりかけ。季節の名前も付けられない日に、窓の向こうではくるりと枯葉が踊っている。
「これくらいのことは、調べれば出てくることだな」
「……そう、だね」
「そして、篠目先生の自殺は二〇二〇年九月二十一日。
ぐらりと傾き、落ちていく。どうしてそんな風に、命を断とうとしたのだろう。
見るべきものはすべて見たと、篠目
「それは、聞いた話か?」
「ああ、そうだ。例の高校の同級生の、父親にな」
鮮やかな紅色が、ガラスのティーカップの中で揺れている。持ち上げられたカップの中で液体はかすかに揺れて、けれど零れることはない。
なんとなく、マグカップを両手で包んだ。冷めきっていないコーヒーが入ったマグカップは、熱いとまでは言わないが、じんわりと手が熱くなる。
「そもそも平成の透明人間は、本当に無差別殺人なのか」
「そうじゃないのか?」
共通点は、どこにもない。同じ人物に関わっているとか、そういうことも。
性別や年齢すらも共通しないというのは、やはり無作為に選んだとしか思えないのだ。けれど「ただそこにいたから」などという理由では納得できない自分がいるのも、事実ではある。
姉がただそこにいたから、それだけの理由で殺されたなど、理不尽がすぎる。殺人のみならず人の死など理不尽なものかもしれないが、だからといってそれでは気持ちの持って行く場所もない。
「……あまりにも、周到だと思わないか。犯行現場は同じではない、けれど下調べはしているはずだ。周囲に防犯カメラの少ない路地裏を選んでいるのが、その証拠だろう。八年前に塾の同級生と塾から駅までの間にある防犯カメラを調べたことはあるが、その時もそれなりにあった」
どこもかしこも防犯カメラがある、とまでは言わない。あちらこちらにあるとは言っても、確かにそれがない場所は存在する。たとえば要が大学からディ・ヴィーゲに戻るまでの道でも、ずっとどこかのカメラに撮影されているというわけではない。
ただし一切どこにも映らない、というのも不可能ではある。コンビニはあちらこちらにあるし、街灯に設置されているのも見たことはある。
「人気のない、路地裏、だよな。犯行現場」
「……そうだな。そもそもこの辺りは観光地でもないし、夜になれば一層人通りは減る。人がいるのはせいぜい駅周辺くらいじゃないか?」
ディ・ヴィーゲの周囲も、夜になれば人は減る。もともと人が多いわけでもないし、少しばかり会社はあるとはいえ、市の中心部と比べれば微々たるものだろう。
「そこを日常的に通っていたとかは、ない、よな」
「そもそも三人目は専業主婦だ。確か名前は……
「たしかに」
こちらの方が近いからと、路地裏を通ることはあるだろう。会社務めであったりすれば、毎日同じ道を通ることはあるかもしれない。けれど
家から出て買い物に行く時に同じ道を通る。それはそうかもしれないが、買い物は毎日というわけではないだろう。
「でも全員に共通する知り合いはいなかったんだろ?」
「そうだな。職業も年齢もバラバラで、付近でも怪しい人物を見かけたとか、そういうことはない。帰宅途中の会社員だとか学生だとか、そういう人しか映っていなかった」
「彼らがどこか別の場所に向かおうとしていた、とかは」
「それもない。会社から駅へ向かう途中、駅から家へと向かう途中、店から家へと向かう途中、そういう『いつも通る道の途中』にある路地裏で、彼らは殺されている」
何も、不思議なところはない。だからこそ、姿が見えない。彼らがその日何か特別なことをしていたのならばそこに犯人は浮かび上がるのだろうが、それもない。
要の姉も、そうだ。何の変哲もない一日の終わり、平成の透明人間に殺された。朝少し家を早くに出たけれど、それは仕事の都合であって、別にその日だけが特別だったというわけでもない。そもそも、そういうことは時折あったことだ。
じくりじくりと、澱んでいく。それを落ち着けるように、深呼吸をひとつ。
不思議だったことがあるとすれば、ひとつだけ。潰れた箱に入っていたという三切れのイチゴのショートケーキは、何だったのだろう。それくらいだ。もしかすると姉が帰りにケーキ屋に寄って買ったのかもしれないが、どうだったのだろう。
「ショートケーキ……」
「どうかしたか」
「あ、いや……何でもない」
姉が買ったとは思えないが、もしも買ったのだとすれば、それは誰に渡すためのものだったのだろうか。けれども姉が死んでいた場所は家に帰る途中で、どこかに寄ろうとしていたとも思えない。
あれだけが、要の中で引っかかっている。犯人に殴られた拍子に潰れたのであろう白い箱の中、イチゴのショートケーキが三切れ。
「お待たせしました」
要の目の前にはサンドイッチが、蒼雪の目の前には鉄板にのったハンバーグとライスが置かれる。
カウンターのところでは、まだ
「食べるか」
「そうだね」
蒼雪の言葉に頷いて、手を合わせる。ハムときゅうりのサンドイッチと、たまごのサンドイッチとが、交互に並ぶ。付け合わせのパセリは食べる気がしなくて、指先で少し遠くへと動かした。
一切れ取って、口に入れる。いつも通りの味、いつも通りの柔らかさ。
蒼雪もまた昨日と同じように箸を手にして、器用にハンバーグを切り分けている。その仕草だけ見ていると、喫茶店なのにどこかのレストランのようにも見えた。
「なあ、
喉仏が、上下に動いた。
「構わない」
連絡先を後で交換することを約束して、要は次の一切れを手に取った。蒼雪もまた最小限の動きで切り分けたハンバーグの一切れを箸でつまんだ。
影も形もないから、透明人間。その影の一端でも掴めれば、こんな澱んだ腹の底を抱えなくとも良いのだろうか。
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