菓子屋のお化け
@ka_i_me_n_u
菓子屋のお化け
「ええ、いますよ、お化け」
何ということでもない顔をして、店員の女は名物という白蜜団子の乗った皿を差し出した。子供の親指ほどの小さな団子を啄みながら、私は店の奥にある襖へと目を向ける。さりかりと何かを引っ掻くような音が幽かに聞こえた気がした。団子と一緒に出された煎茶を啜る音にさえかき消される程にか細く、けれど薄墨の名残のように耳へと染みついている。店の外、トラックが一台行き過ぎていく。けれど、人の声は何もない。
静岡駅から在来線で三十分ほど揺られた先にある駅。ほぼ無人のホームから見えるのは黒に近いほどに木が生い茂った山と果樹園、そして寂れた通りだけ。田舎町特有の、大きな道路。その脇に建つ、お世辞にも流行っているとも言えない喫茶店やレストラン、様々な店と店。その間を縫うように歩くと、ただ真っ直ぐに伸びる国道が目の前を横切っている。トラック以外に走る車はほとんどない道。駅に背を向けて、国道に沿って歩いた先に、その店はある。駐車場もなく、駅からも遠い。近所の人間も来ているようにも見えない。狭い菓子屋だった。レジと商品を陳列するガラスケース、それと向かい合うようにテーブルが二つ、椅子がそれぞれ四脚ずつ。簡単な飲食が出来るスペースとして据え付けられているようだった。ようだ、というのも、私を除いて誰一人として客がいなかったから、その判別をつけられないでいる。かきりりかきりとか細い音が尚聞こえる。カウンターの後ろ、不自然な襖がそこにある。古い民家の土間にそのままガラスケースを置いただけ。そんな奇妙な雰囲気の店構えだった。
「おかげでね、改装もできなくて」
気づけば、彼女が隣に座っていた。何処から持ってきたのか、ステンレスの平灰皿を私との間に置き、重そうな煙草に火をつけた。仮にも菓子屋の軒先というのに、いいのだろうか。顔色を見て悟ったのか、かかと砕けた笑いを浮かべて。
「いいんよ、どうせ誰も来てねぇら? 分かりゃせんて」
かふと紫煙を吐き、尚笑う。自分で入れた茶を啜り、足を組みながら、じっと襖を見ている。
「ほんと、迷惑な話よ」
お化けが襖の向こうにいるのは、彼女が知る限り明治の初め頃からだという。無論、ただそう伝わっているというだけで、真偽のほどは定かではないらしい。何か書き物があるわけでもなければ、この地方特有の伝承というわけでもないからか、ただこの菓子屋に伝わっているだけなのだという。近所の人も、皆が皆知っている話でもないのだそうだ。
「まぁ、ずっと襖の奥にいんだもの、信じようもねぇ?」
一つ紫煙を吐くと伸びた灰を灰皿へと落とす。二度、三度、薄青い煙だけが店の中に満ちていく。トラックが行き過ぎる音。僅かな波の声。潮の香り。煙の匂い。本当に誰も来ないのらしい。
「じいちゃんが言うには、昔は話題になったみたいだけどね」
まるで店が寂れているのと同じだと言いたげな、自嘲が滲む笑い方だった。
「あたしが小学校に入った時から、なぁんも変わりゃせんよ。誰も見に来ない」
「あのお化けは」
手元の湯飲みに残った茶を一つ舐めて。
「何故、そこにいるんですか?」
彼女はこちらも見ず、じっと襖を見つめながら、すっかり短くなった吸い殻を灰皿へと擦り付けると、すぐにまた真新しい煙草へと火をつける。じりと紙の焼けていく音。噎せ返る特有の匂い。目に染みて、無為の涙がぽつりと溢れてくる。
「さぁね。じいちゃんによりゃ、気狂いのお化けなんだとよ」
明治の初め頃。文明開化の音の頃。そもそも、東海道の宿場町の一つだったこの辺りは、それなりに栄えてはいたのだそうで。その頃に、菓子屋を始めた男がいた。元々は京都でそれなりに修行をしてきて、独立するならば故郷で店を興したいと、この場所で商売を始めたそうだ。
「最初は、まぁ、それなりに評判だったみたいよ」
今じゃ見る影もないと、煙に含んで、ほうと息を吐く。
「その団子もね、そのなんとかって人が考えたもんだったそうよ」
「名前は、知らないんですか?」
「いちいち覚えてないよ」
けらけらと笑う。覚えてたって一文の得になりゃしないのだしね。湯飲みに入れた茶が尽きたのか、いつの間にか持ってきていた薬缶から茶を注ぐ。青苦い香りがすいと鼻に聞こえた。手にしていた私の湯飲みにも茶が注がれる。薄い産毛のような、埃のような白いものが表面に浮かんでいる。昔に、良いお茶はこんな風になるのだと聞いたことがある。あるのとないのとで、何の差があるのか、そこまでは覚えてはいなかった。
彼女は、煙と一緒に話を続けた。
その菓子職人という人は、随分と腕も良く、人柄も良かったようで。いくら宿場町として、それなりに栄えはしても、所詮田舎は田舎、否、日本人というのはそもそも、そういう民族なのか、異物に対して酷く攻撃的になる。考えれば、少ない資源を食い潰し合っているようなものだから、その土地土地のルールに従わないものは廃絶しないと共倒れしてしまうという防衛本能みたいなことなのかもしれない。いくら元は出身者とはいえ。今までずっと離れていたのに、ふらとやってきて、市場を荒らしていくのだ。まぁ面白くはなかったんじゃないかね。彼女は、少しだけ苦い顔をして呟く。
「出戻りにはね、辛いのさ」
「そんなもんですか?」
「そうさ。まぁ、戻ってくるやつにはそれなりに迎えようとは思ってんだろうけんどね」
そんなわけで。職人は、それでも溶け込もうとはしていたのらしい。周りもそれなりに受け入れるような顔はしていたが。性根というのは言葉よりも視線に宿るものなのだろう。声を交わす度、挨拶を交わす度、少しずつ少しずつ違和感が泥のように腹の底へと堆く積もっていく。それでも川のように時間が押し流してくれれば良い。人が流れていけば、そこまで溜まった気もしないだろうが。けれど。けれど、じっと腰を据えてしまったのだから。腹の中に溜まっていく泥は流されもせず、喉の奥まで詰まっていって。指の先まで滲んでいって。足首に絡みついてしまい。歩くことさえままならず、息をつくのさえ億劫で。菓子など作れるものだろうか。そうして。
「頭がイカれちまったんだよ」
「たったそれだけで?」
「あんた、出身は?」
「東京、ですけど」
「そうかい。なら、分からんさ」
田舎って言うのは、そういうものなんだ。ほうと紫煙を吐く。くるりと踊り、店の外から零れる風に巻き取られて、砕けて解れ、散り散りに消えていく。匂いだけが残る。うっすらと、苦い匂いばかりが取り残された。
「まぁ聞いた話だから」
本当のことは、よく知らないけれど。そう付け足して、茶を一つ啜る。
とかく。現象として。男は気が狂ってしまった。何も手がつかず、何も聞こえず。そして。
「なんでも、みぃんな椿に見えたんだと」
「椿?」
「そ。お花の椿」
ある朝目が覚めたときに、世界の全てが椿になっていた。本人がそう言っていたという。正確には、譫言を言っていたそうだ。いつもなら菓子屋の暖簾が上がる頃合いだったのに、戸が閉められたままだった。田舎の人は隣の人間の異変に敏感だ。常に見張っている。変化がないように。自分の生活に支障がないように、じっと見ているものだ。だから、閉じたきりなら皆騒ぐ。何があったのだろう。何が起こったのだろう。さわさわと騒ぎ出す。そして、一人が戸を開けて、中へと入ってみた。しんとした店の中。丁度今座っている辺り。ぴったりと閉まったままの襖。それを開けると、職人が部屋の真ん中でぼうと座っていたのだという。音に気づいて、こちらを見たとき。
わぁわぁと叫んでいた。
来るな。
来るなと。
椿の化け物と。
叫んでいたのだという。
どうしてだ。どうしてだ。お前もお前もお前もお前も。どうして椿が喋っているんだ。ここは何処だ。俺の家か。だったらなんで椿の花で溢れてるんだ。お前ら俺を何処へと連れてきた。そんなに憎いのか。そんなに俺が憎いのか。俺が何をしたというのだ。そうか、お前ら最初から皆皆化け物だったか。椿のくせに人間の振りをしてやがったのか。返せ。俺を俺の家に帰せ。返せ。故郷を返してくれ。椿め。椿どもめ。
そう。
わぁわぁと叫んでいたのだと。
「どうにもこうにもならんでね。でも、誰も自分たちのせいだとは思いやしないさ。じいちゃんもね、勝手に気が狂ったと言ってたけどさ。きっと、そうじゃぁなかったはずだよ」
ゆると煙を吐く。
「その後、どうなったんです?」
「どうもこうもねぇよ。宿場町って言えど、所詮は学のない田舎者の集まりさ。ましてや、明治の頃じゃあ、病気も何もない。閉じ込めるしか出来やしないさ」
「閉じ込めて」
「じいちゃんが言うにはね、可哀想だから店を皆で切り盛りしてやったんだと」
そこで。
彼女がげらけらと笑った。
指に挟んだ煙草から、ぼとりと灰が地面に落ちる。根元まで焼けていたから、フィルターだけになった吸い殻を灰皿へと放り込み、もう一本と火をつける。途切れなく吸う人だと思った。まるで、何かに復讐するような仕草で。
襖の奥に男を閉じ込めて。店を皆で始めた。名物だと言っている白蜜団子の作り方は、流石に職人であったのか、仔細に書いたものがあったのだそうだ。中で文字の読めるものが、店の跡を継いだ。それが『じいちゃん』の祖父だったそうだ。故に手法は彼の物となり、皆は快く協力してくれたそうで。
「宿の人間がね、こぞってここで団子を食べなと勧めたんだと。だぁれもそんなこと、今までしもしなかったんだろうにね」
「どうして?」
「元からしてたら、敢えて宣伝してくれたなんて言わんでしょうが。わざわざ言ったってのは、そういうことさ」
店が繁盛すればするほどに。男は襖の奥に籠もりきり。最初は握り飯の一つも差し入れてはいたが。次第に、誰も最初からいなかったかのように。
「ある日、当たり前だがね、死んでたんだと」
三日も食事を取らなかったのだから、当然と言えば当然だが。誰も、そんなことを確認する気さえなかったそうで。だが。死体は死体。それは今も昔も変わらない。放っておけば蛆が沸き、腐り朽ちて、その内、骨に変わるのが自明のことだが。だが。どういうわけか、誰もそれに気づかなかった。
「匂いがね、しなかったんだよ」
人の腐れた匂いは、何よりも酷いと聞く。それは、やはり今も昔も変わりはしないだろうに。どうしてか、何の臭いもしなかった。作り方の仔細を知ってはいるとしても、今までやったことのない仕事をしているのだから、最初の半年ばかりは他のことなど気にする余裕などなかった。けれど、漸く慣れて、気持ちに余裕が出た頃に、誰彼かがぽつと言ったのだ。あいつ、今どうしているのか。飯もろくに食わず。襖の奥に閉じ込められて。皆がもう生きてはいないと思い至るのは容易ではあったが。然りとて、放っておく訳もいかない。恐る恐る、皆が襖の奥を見たときだ。
「お化けがぼうっと座ってたんだと」
「立ってた?」
「そ。もう骨になった死体の横に、薄らぼんやりとしたお化けが背を向けて座って、何かを一生懸命書いてたんだと」
何だろうか。
薄気味悪いことに変わりはないし、正直目が合えば祟られると皆は顔を見合わせて。そして。なかったことにした。店も忙しいし、何より匂いがしないならそのままにしておけと、黙って襖を閉じたのだそうだ。
「酷い話だろ?」
からと笑う。
そうですね。そうとしか言いようがなかった。茶がもう冷えてしまっている。味よりも青臭さが喉を行き過ぎていく。
「何を書いてたんですか?」
「椿だよ」
「椿?」
「そう。椿の花をずっと書いてたのさ」
それに気づいたのは一人の子供だった。忙しさにかまけて、誰もお化けのことなどすっかり忘れてしまっていた日のこと。店の手伝いにと連れてこられた子供が、何かの拍子で襖の向こうから、かりさりと何か音がするのに気がついた。大人からは決して開けて見るなと強く言われてはいたが。所詮、子供は子供。禁じられればそれだけ、興味をそそられてしまうものだ。だから、忙しなく働く大人を尻目に除いてしまったのだという。
そこにいる。
お化けは、じっと子供を見ていた。
そして。
「絵をくれたんだと」
「椿の?」
「そう、椿の」
部屋の中、子供が言うには畳も見えぬほどに積み重なった紙には椿の絵が描かれていたと。何処から朱を手にしたのか、筆は何処にあったのかは分からない。何せ、その部屋は箪笥一つさえなかった部屋だったのだから。ましてや、お化けが筆を取れるものなのか。それさえも。だが、その絵を見て。
「一つ、商売を考えたそうだよ」
元は菓子職人であったからか、元々画才があったのか、派手さはないが緻密で堅実な絵であったそうだ。丁度、菓子の包みになるほどの。そこで、店の出入り口を変えてしまった。元は勝手口として使っていた土間に勘定台を置き。そう、今この場所へと売る場所を移したのだと言う。襖が直ぐに見られる場所へと。
「お化けの書く椿の絵、そいつを売り文句にしたんだと」
道理で。店に来たときに妙な造りと思ってはいた。そもそも不自然な店構えにしてしまったのだ。団子を椿の絵に乗せて、皆で茶を飲みながら襖を眺める。土産に絵の一つ、持ち帰らせれば上等で。噂が噂になった。お化けが絵を描く茶屋として、街道沿いではそれなりに評判となったそうだ。団子の味も、その頃にはすっかり自分の物にしてしまい、大正の終わり頃まではそれなりに繁盛したそうなのだけれども。けれど。
「考えても見れば、こんな退屈な見世物もないさ。そうだろ? だぁれも絵を描いているところを見ちゃいないんだ」
「見せなかったんですか?」
「お化けの姿を?」
「ええ」
「後ろめたかったんじゃないかね」
いや、違うな。彼女は、ほそと言った。多分だけれど、恐れていたのだ。その姿を見なければ、何故そこにお化けが居座るかをでっち上げられる。いくらでも嘘など塗り固められるけど。だが、その顔を見たときに。もしも、京都で修行してた時の馴染みが、その顔を見てしまったときに。何もかもが、ばれてしまってはと。そう思ったのだろう。故に話を組み上げて、見てはならぬと言い続け。すると襖の奥から絵を取り出すばかりにしたのだろう。だが。もうそんな見世物小屋は流行はしない。幻灯機やら活動写真やらが広まって。そんな詐欺まがいのものは廃れてしまう。否、本当は詐欺でも虚偽でもなく、本当にお化けの書いてる椿の絵だが。誰かが意地悪く言ってきたのだ。本当にそいつはお化けなんだろうねと。ええ、本当にお化けでございますよ。江戸の半ばから、ずっと。惚れた遊女に椿の花を一つくれてやろうと頭を悩ませ、咲かせては捨て、咲かせては捨て。本当に美しい椿を一つくれてやりたい一心で飯も食わず一昼夜寝ずに過ごして暮らしていた男、理想の花はこれなのだと毎日毎日紙に書いているうちに、自分が死んだのも気づかない。ずっとずっと。椿の絵を描き続けている可哀想な男です。へぇ、ならその顔、拝ませておくれよ。いけません、いけませんよ、それは。どうしてだい。何の不都合があるんだい。襖を開けて、目を見たら、流石の奴さんだって分かっちまいますよ。自分がもうとっくに死んじまってるって。そうしたら、どうなるか。保証なんかできやせんよ、旦那。そのままね、ぽっくり成仏したんなら、まぁうちのね売り文句が一つ消えちまうだけで、良くはないが、まだ許せる話ですよ。これでもね、延々と作ってきた団子がありますからね。ええ、元々はこいつ一本で身を立てようとしてるわけですから。でもね、気づいたが最後、祟りだなんだって話になりますと、旦那にも迷惑がかかっちまう。呪いの団子だなんて評判が立っちまったら、もうそりゃ誰も幸せになりゃしませんで。なるほどなるほど、まぁ言い分は分かるがね。別にいいじゃねぇか。呪いだ祟りだなんてのは、坊さんに一つ拝んで貰えば。それに、顔見たくらいで死んだの生きたのだなんて分かるもんかね。そんな死んだのも忘れてしまうような、言っちゃあ間抜けな男だよ。案外、ぼんやりしたまんま、まだ絵を描き続けているだけなんじゃあないのかね。だからさ、ちょっとでいいから拝ませておくれよ。いやいや、旦那。それだけはご勘弁を。
そんなやりとりを、十や二十でもなく繰り返して。次第に。ああ、あれは、ただの騙りだと言われてしまうに至ったそうで。
「そこからね、客が遠のいたのさ」
「でも、団子の評判は良かったんでしょ?」
「さぁ、そいつはどうだかね。あんた、今食べてどうだった?」
私は、正直言葉に詰まっていた。
まずいとは思わない。
だが。
特別旨い訳でもなく、わざわざ此処に来てまで食べたい味かと聞かれると。
「そうだろ?」
でも、これは伝統の味なんだよ。昔ながらの作り方を頑なに守ってきた、何にも変わらない味だ。
「まぁお化けの団子と同じかは知らないけどね」
例え作り方が同じでも、例え材料が同じでも。菓子というのは微妙な物だ。温度管理、分量、一工程にかける時間、そんなものの積み重ねが最終的な味に如実に表れてしまう。故に、書かれた通りに作ったとしても、同じ味だったかは分からない。本人たちは同じと信じていたけれど。恐らくね、彼女は、薄く笑って、誰も食べたことなかったんじゃないかな、元のやつをさ。だから、これでいいと思い込んでいた。皆、職人としての修行なんかしちゃいないから、基本的な部分がごっそり欠けてたのかもしれないね。
まぁ。
「今となっちゃね」
客足は次第に遠のき、そもそもの宿場町としても廃れていって。ただただ朽ちていくだけの店へと成り果てた。
「もう襖も潰しちまおうかって、そういう話にもなったんだと」
稼ぎもしないなら置いてく理由もない。代は息子が継いで、その息子が継いだ時には、元々の由来などすっかり忘れかけてしまっている。薄気味悪いお化けがなんだ。坊主の一人でも呼んで、追い払っちまえばいいじゃないか。そして、こんな不便な出入り口じゃない、元々の場所で商売しようじゃないか。そう皆で言い合った。
「出来なかったんですか?」
今もあるケースの向こうの襖を見ながら、私が訊くと、彼女は気怠げに紫煙を吐いた。
「そ。だぁれも手をつけられなかった」
「祟りとか?」
「そうじゃないよ」
ただ椿の絵を描くだけのお化けが、誰の何を祟るっていうのか。店を取られて恨むなら、もうとっくにやっているだろうし。気が狂ったまま死んだから、気が狂ったまま化けて出て、気が狂ったまま居座っている。ただそれだけなのに。皆燃そう思っていた。
「顔をさ、見れないんだと」
「はい?」
「誰も、その顔を見れないんだよ」
「どういう、意味ですか?」
「あの襖をさ、開けたら最後なんだ。あたしも詳しくはしらないけれどね」
一人が開けて、中を見たら。坊主が来て、襖を開けた。つられて誰かが。そのまた誰かが。皆が皆、寄ってたかって、襖を開けたが。
「どう、なったんです?」
「そればっかりは教えてくれないんだよ、じいちゃんは。訊いたらね、譫言みたいに言うんだ。開けちゃならね、絶対にって」
「開けた人はいないんですか?」
「ここ最近は、いないね」
私は茶を舐めた。もう冷え切ってしまっている。濃い煎茶の苦みだけが舌の上を滑り落ちていく。
「それからもうずっと、あのまんま。変な造りの茶屋だけ残ってね、客も来ない。継ぐ人もいないよ」
「今は誰が団子を?」
へへと笑うばかりで。
「この店もおしまいよ。あたしで最後だろうね。兄ちゃんは継ぐ気はないだろうし」
「どうして?」
「もう十五年も前に出て行ったきり、電話の一つもないよ。死んでんだか生きてんだか。何処で何をしてんだか、だぁれも知らない」
今日何本目かの吸い殻を灰皿へと放り投げる。もう底の銀色は見えはしない。けれど、もう一本と火をつけて。
「あたしが戻ってこなきゃ、父ちゃんの代でおしまいだったんだろうけど。まぁ父ちゃんもね、三年も前に死んじまったし」
「団子は、貴方が?」
いやいやと薄笑いを浮かべたまま、首を横に振る。
「作る気なんて、ないよ。作り方も知らないしね」
「じゃあ」
誰が、この団子を。
「そういえば、半年前くらいは随分と人が来たね、それでも。なんてんだっけ」
そう。
YouTubeで怪談を主に配信しているチャンネルが一度だけ取り上げたのだ。それなりに登録数を持つチャンネルであったが故にか。一時期ネット上で話題にはなっていた。自身も同じように動画にして再生数を稼ごうとする人も。
「まぁ撮ったところで何の代わり映えもしない絵面だしね、直ぐにいなくなったよ」
「その中で、襖を開けようとした人は?」
すいと茶を飲む。
「いないよ」
けらと笑う。
「一人も?」
「ああ、いないよ」
茶を、飲んで。
「本当に、いませんでしたか?」
「いないよ、だぁれも」
私は。
彼女の襟元を掴みあげていた。
「私の」
絞るような声で。
「私の弟は動画配信が趣味だったんです」
余り褒められるような内容ではなかった。人に迷惑をかけるようなものばかりを撮っていた。諫めもしたが、聞く耳は持たないとばかりだったけれど。
そして。
「半年前に、失踪しました」
へらと、彼女が笑う。
「私の元へ、メールが来てました」
今から、お化けが出る茶屋に行くと。そして、皆開けなかった襖ってやつを、開けてやるんだ。
「知らないなぁ」
「弟から、わざわざメールで来たんですよ。リンク付きで」
「へぇ?」
リンク先はファイル共有サイト。そこに一本の動画が保存されていた。
中身は。
「襖を開けた動画でした」
制止する声も聞かず、無理矢理襖を開けて。そして。後は。叫び声だけしか録画されてない、そんな。
「もう一度、訊きます。あの襖を開けた人はいませんでしたか?」
「だから、言ってるさ」
襖を開けた人は、いないって。
その意味を。
私は、彼女を突き飛ばすと、襖へと走り。
勢いよく、開け放った。
そこには。
一面の、椿。
真っ赤な、椿の花を咲かせた一本の低木が生えているだけで。否。違う。椿が、ねじ曲がっていく。足下へと広がって。畳の節の合間に。天井に。壁に。まるでカビのように。にちりにちりと花びらが。魚の鱗のように。天井から。蛇のように。椿が。舞って。こぼれ落ちて。そこに。何も。椿が。首が。ああ、そうだ。椿が枯れるのは。
椿の花は。
枯れるではなく。
落ちると言って。
私の。
首が。
痛い。
酷く。
ずると。
落ちて。
ああ、視界の中で。
赤く。
赤く。
椿の。
花が。
世界が。花になって。
椿に。
なって。
耳鳴りが。
酷く。
痛み。
椿が。
ああ。
「言ったよ」
彼女が笑っている。
「襖を開けちゃいけないって」
違う。
そこにいるのは。
目が落ち窪んだ、その顔は。
酷くやつれた。
ああ。
彼女が。
本当は彼女だったのだ。
お化けは。
男じゃなかったんだ。
そして。
私の首は土間に落ちて、ばらばらに砕けた。
菓子屋のお化け @ka_i_me_n_u
★で称える
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