第13話 各々の事情

 アリアは夜陰に紛れ、以前ウォルターに匿ってもらった家の前まで来た。人目を気にしながら、しばらく待った。そのうち、


「……お前はっ」


 鎧に血を着けたウォルターが帰ってきた。


「お願いがあって」

「死んで欲しいってか?」

「ん?」

「さっきの襲撃、お前もいたのを俺は見ている」

「あら」

「そしてこの血はそいつらの内の一人のものだ。俺も屋敷内にいたからな。職務として斬った」

「うん」


 アリアからは、恨みのようなものは一切出ていない。まるで普通の日常。ウォルターは違和感をおぼえた。


「……分からないな。お前は何を望んでいる?」

「匿って貰おうと思って」

「……何?」


 ウォルターは確認する必要があると思った。


「――入れてやる。だが話は聞かせてもらうぞ」


 危険だとは思った。だが、この場でこのまま話し続けていると、最悪が起こる可能性がある。誰かに見られて仲間だと疑われる方がまずい。


「念の為に確認しておくが、敵意はないんだな?」

「ありませんよ。面倒をおかけして申し訳ないです」


 アリアはぺこりと頭をさげた。

 促された席に座った。


「少し待て」


 アリアが言葉通りに待っていると、着替えてきたウォルターが対面に座った。帯剣はしている。

 他の住民は寝ているのか、まだ姿を見ていない。


「お前はどうする気なんだ?」

「これからの話ですか?」

「ああ。お前があの村人たちとは違うことは分かった。だが、共に来ていた。それが分からない」

「一応聞くんですけど、何で私がいたって分かってるんです?」

「屋敷の窓から見えたからだ。……その後の戦闘もな。お前がどうしてあれと対峙して生き残れたのか、正直俺には分からない。見ることすらかなわないと言われる神速の剣だぞ? 人間じゃない」


 手を組み、机に肘を乗せるウォルター。


「……急な人外認定に悲しみをおぼえてます。というか、あれは私の負けです。剣折られちゃったし」

「だが無傷だ」

「いえ、あそこで剣を折られたのは良くなかった。別のところならまだしも、あの場あの時では折られるべきではなかった」


 アリアの表情が読めなくなった。ただウォルターには、それが戦士の表情であることが分かった。後悔の念が伝わってきた。


「中で逝った人たちがいて、私は外にいた。私の剣はただの剣ではなかった。でも彼らと死を共にするように剣だけが折れた」

「分からないな。お前はあの代官の命を狙ってたわけでもないのに。その剣で何をするつもりだったんだ?」

「あの時、あの場面でしか分からないことです。……だからもう二度と分かることはない」

「……そうか」


 戦士にだけ通じる感傷的な想い。魂に響いた。

 ウォルターは息をゆっくり吐いた。言いづらいことを口に出すことにした。


「俺は、一人だけ斬った」

「うん」

「……最初、お前と会った後に仕事でとある村に行ったんだが、そこで見かけたやつだった。そいつは俺のことを見た瞬間に、斬り掛かってきたよ。俺が誰かしらの仇であることをおぼえていたんだろうな」


 ウォルターは立ち上がって台所に行くと、酒を持ってきた。


「飲むか? って、そんな歳でもないか」

「旨さだけは知ってます」

「おい、法律は守れよ」

「旨さだけしか知らないからセーフ」

「どういうこった。……いや、今は別にいい」


 ウォルターはグラスに注いだ酒を一気に煽った。喉が焼けるように熱くなった。


「民のための騎士。俺はどこで間違ったのか、もう分からなくなった」

「私は貴方の屋敷内の仕事を否定しない。中に入っていった彼らは死ぬ覚悟が出来ていた。そして、その彼らを中にまで入れたのは私。あなたは私を批判する?」

「いや、しない。覚悟を決めた人間を止める方が侮辱だろう」

「なら――」

「そうだな……」


 ウォルターはそのまま黙りこくると、やがて席を立ち、


「……俺は寝る。お前も寝るといい。空いてる部屋を好きに使え」


 沈鬱な表情でそう言って自室に向かった。

 残されたアリアはしばらく酒の残りをちらちらと見ていたが、やめた。


 ――次は、どうしようか。


 左手の甲を撫でた。反応して、わずかに発光する。淡い月光のようだった。

 その光を見ていると、満足した。


 ――ま、その時にならないと分からないか。


 寝ることにした。




 ◇◆◇




 翌日。

 雨が降っていた。

 石畳の地面に薄く水面が張られ、上から新たにやってきた数多の水の粒がぶつかり、押し出すようにして放射状に外に弾き出した。

 恰幅の良い四十くらいの男が、窓から雨の降る外を眺めている。その表情は険しい。


 ――これは逃げるのではない。


 街の中で一番大きな建物、代官の住む屋敷では兵たちが慌ただしく動いてた。その代官たる男は、作業の様子を屋敷内の窓から見下ろしている。男の名はローワン。


 ローワンの脳裏には昨夜の襲撃事件が強くあった。事件自体は、無法の輩を全て始末したと報告で、ほっと胸を撫で下ろしたものの、次に同じことがあってはならず油断は出来ない。防備、つまりは兵の増員がいる。今の兵らでは足りない。何より頼りない。よりにもよって一番侵入されてはいけない場所に、まんまと下賤な賊を侵入させてしまっている。責任者の処罰をすぐにでもしてやりたいが、今だけは後回しにする必要がある。何より優先すべきは対策だ。


 ローワンは急ぐ必要があった。雨に濡れることが大嫌いな性分だったが、そこを押して行動する必要があった。しかし、その雨の所為で作業が滞っている。


「無能どもめ」


 雨は時間を増すこと強くなっていく。

 このままでは、外の道はぬかるみで、馬車は満足に走れなくなる。ローワンは充分過ぎる程に焦れてきている。

 ノック音。


「入れ」


 入ってきたのは使用人。名前は知らない。

 外の作業のことについて話し始めた。


「そ、その、現場の判断では今日は止めた方がいいとの……」

「私に指図する気か?」

「いえ、そのようなっ――」

「現場の判断というなら、その現場の責任者を連れてこい。よもやお前と言うわけじゃあるまい?」

「……責任者は街道の様子を見に行くと、街を出られております」

「逃げたな。帰ってきたら私の元に顔を出すように伝えておけ」


 恐縮至極といった様子で頭を下げる使用人。ローワンは不快気に鼻を鳴らした。言いたくないことを言わされに来るくらいに立場が弱いのだろう。相手にすると己の格が落ちると思い、使用人の存在を忘れることにした。いくら何でも用もなくこの場に居続けるほどのボンクラではないだろう。もしそうならば、別の仕事を用意してやる必要がある。


「それにしても、あの愚か者どもめ」


 ローワンは腹立たしかった。確かに民から取る税は増やした。だが、取れる範囲でしか取っていない。だというのにこうも反発するのは、自分の利益を減らされたくないからだ。今まで見逃されていた分を取り始めたに過ぎないというのに。これは勝負だ。互いの利益を奪い合う戦い。地位とはその勝者に与えられる。勝者は敗者から奪う権利を有しており、敗者はそれを受け入れなければならない。


「領主への貢納に費やした額も馬鹿にならなかったが、それもこの時のためだ。馬鹿共に思い知らせてやる」


 ローワンは領都で陳述するつもりだった。援助はある。そう確信していた。何故ならば自分より領主を儲けさせているやつがいないということを知っている。領主が自分の利益を考えるならば、必ず助力がある。だが見返りとして、今まで以上に貢がなければならないだろう。当然その費用負担は、税を重くすることによって民に背負ってもらう。誰のせいでこうなったのか、思い知らせてやらねばならない。




◇◆◇




 グレイストーンという街から、領都まではそう遠くない。

 その領都ではちょっと騒ぎがあっていた。

 領都の中央、その少し奥、領主の住む城の一室で、一人の男が叫ぶようにして言った。


「何故、王子がここに来ている!?」


 領主の男ギデオンは、報告してきた部下に凄い剣幕で迫った。まったく聞いていない話だった。当たり散らしても仕方がないとギデオン自身も分かっているが、それでも感情が抑えきれなかった。


「……定期調査だとおっしゃられてますが」

「そんなものは聞いていない!」


 目をつけられた。そう思った。正確には前からそうだっただろう。派閥としてはまったく逆の立場だ。面倒なことになるのは必定だ。いっそ始末してしまうか。そんな考えがよぎるが、これでしくじれば尻尾切りされるのが誰になるかは分かりきっている。だが成功すれば別のやつに押し付けることも可能だろう。ツテならある。いや何はどうあれ、達成すべき目標は、この場においては何事もなく帰ってもらうことだ。

 ギデオンは王子の待つ客室に向かった。

 王子はギデオンを一瞥すると、視線を外した。ギデオンは心に湧いた感情をぐっと抑えると、次のように言った。


「――これはこれは王子、会えて光栄でございます」


 王子は眉をピクりと動かすと、短く言う。


「そうか」


 王子は再度ギデオンに視線を向かわせた。王子の瞳には、ギデオンは好意的には写っていない。そしてそれはギデオンも百も承知である。


「それで、何か私共にご用でもおありでしょうか?」

「…………」


 王子は開いた口を一度閉じた。言葉少し選んだ。その表情は芳しくない。


「王子?」


 王子は外からは見えないように唇を噛んだ。慇懃無礼とでもいうべきか。ギデオンから滲み出す、下手に出てるようでも隠せていない驕りを王子は感じ取っていた。


「……調査だ。資料を見せて貰いに来た」

「資料、ですか?」

「出せないか?」

「まさか。ご所望されたもの全てを提示いたしますよ。少々お時間はいただきますが――」


 王子は全てに気を使っていた。兵や、扉の位置。出された飲食物にも手をつけていない。

 目的があった。


(黒であることは違いない。だが、簡単に証拠を出すとも思えない)


 現在この国では、水面下だった対立が徐々に顔を出し始めている。王都などでは噂として囁かれていたものが、今では現実のもとして語られている。王と宰相の争い。欲で釣り派閥を拡大する宰相側と、ただむしり取られるばかりで失策を重ねる女王側。王子は自分たちの旗色の悪さを大いに理解していた。この度の調査はその牽制も兼ねてのものであったが、領都の民を見ると気が高まった。誰もが一様に痩せ、うつむいている。彼らは政治に巻き込まれた被害者だ。


(決定的な何かを見つけなければ……)


 ここを切っ掛けとして巻き返せるかもしれない。そんな願望もある。注文通りの資料は出てきてはいるが、王子は納得がいっていない。


(あらかじめこうなることが予期された資料だ。これでは意味がない)


 この先も同じだろうことは自明だった。これでは意味がない。キレイに整えられた余所向けの資料ではない真実の資料を見ることが出来ればと思うも、それが可能だとはとても思えない。


(どうするべきだろうか)


 王子が悩んでいると、ふいに兵が入ってきた。


「……何事だ?」


 そう問うた領主のギデオンの声は固かった。続けて、


「余程のことがない限りは入ってくるなと――」


 兵はギデオンに寄ると、周りには聞こえない程度の声で事情を話した。ギデオンの目が大きく開かれる。


「――王子、大変申し訳ありませんが、少し席を外します」


 王子が事情を聞く前に、ギデオンはそそくさと部屋の外に出た。

 廊下を足早に歩きながら、報告してきた兵に聞く。


「ローワンが来ているだと?」

「はい。何でも至急とのことで」

「あの馬鹿め。何とも間の悪い時に来てくれたものだ」


 そうは言うも、来た人間が人間だ。嫌な予感がした。あの生真面目なだけが取り柄の王子に、何か言い訳する必要があることが出てくるかもしれない。今は何一つ突かれたくない。


「で、やつはどこだ?」

「はい、――で待ってもらっています」

「すぐに行く」


 叱責しなければならない。甘やかしたせいだろう。ギデオンの歩みがさらに早くなる。

 ローワンが待つ部屋にギデオンが入ると、姿を確認したローワンが慌てて足元にすがりついた。そのまま事情を話し、懇願する。


「――というわけなのです! どうかご支援を!」

「……なるほどな」


 ギデオンは自分の感情を抑える必要があることを理解した。これは放っておいていい話ではない。何よりこのことが王子の耳に入ればどうなるか。


「不穏分子を全て始末しろ。一人も逃すな。代わりに兵一千を出してやる」

「一千ですか!? その――」

「少ないとでも?」

「いえ、その、……はい。一人も逃さないとなれば、万全にすることをおすすめします」

「いいか、聞け」


 ギデオンは今の王子が来ていることに関する事情を話した。ローワンはギデオンから少し離れると、顔を伏せた。


「その、……理解はしましたが、やはり不安な数であると言わざる得ません」

「今王子がいる状態で多くの人間を動かせばさとられかねない。万が一のため、通常の兵配置の一環と見せかける必要がある」


 沈鬱な表情に反し、ローワンは安堵していた。少なくともここで自分が見捨てられることがないことを知れた。事実上運命を共にしているに等しい。自分の失敗はそのままギデオンの失敗に繋がる。ローワンはまだ要求出来ると確信した。


「では、その頂ける一千を精鋭部隊とすることは可能でしょうか?」

「……分かった。だが、必ず事を収めろ。何事もなかったようにだ。いいな?」

「はい。間違いなく。それと例の二名も借りたままにしておいてもよろしいでしょうか?」

「当たり前だ。そもそも一千という数はそれ込みだ。あいつら二人がいれば二千近い働きをするだろう」

「ありがとうございます」


 頭を下げるローワン。ギデオンは部屋を去った。

 また王子の相手をしなければならない。


(気取られなければいいが。もし失敗すれば、あの方に――)


 派閥の力で手に入れた地位である。当然派閥の長の不興を買えば今の立場はなくなる。それどころか命の心配をする必要まであるだろう。


(万が一を考えて手を打つべきだ)


 失敗を視野に入れない作戦などない。軍人上がりのギデオンはそれをよく知っている。


(懐が痛むが仕方あるまい)


 血が全てを解決してくれることを信じた。

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