第9話 欲の大小と代償

 アリアは振り返ると、頭を下げた。

 随分と慣れ親しんだボロ小屋。死んだ後はあの隣に埋めてもらうのもいいかもしれない。そんな事を思った。


 ――森を出よう。


 方向は山頂から見下ろした時に決めていた。

 当初のアリシアとしての計画では、森の近くの村に潜伏しつつ、状況を見てどうのこうのするとのことだった。しかしもうアリシアはいない。アリアは己の道を歩むしかない。領には戻らない。少なくとも今戻るのは違う。このまま領に戻ってしまうには、自分の中に不足を感じた。何かを持って帰る必要がある。それが何かまでは、今は分からないけれど、探していく、見つけていく、そんな旅でもいい。アリアは前向きだった。


 数日歩き、森を出た。

 道を見つけると、道なりに進む。やがて日が傾き、夕暮れ時になった。

 そのまま歩いていると、遠くから気配がした。


 ――争ってる。


 少し遠くに、荒っぽい気。視界に入るまで近づくと、天幕がある馬車と、その周りにゴブリンと呼ばれる小鬼が見えた。人間は男一人だけで、槍のようなもので応戦している。


「――く、来るなっ!」


 明らかに劣勢に見えた。その人間が敵か味方は分からないが、とりあえずは急いだ方がいい。アリアは地面を強く蹴った。次第に歩幅が大きく早くなり、跳躍するように一気に寄った。


「こんにちは」


 視線が集まる。


「ギャ、ギィッ」


 指を指すゴブリン、その鳴き声にアリアは顔をしかめた。


「酷い鳴き声」


 蹴り飛ばした。飛ばされたゴブリンはピクピクと痙攣していて、もう満足に動けそうにない。


「ギァ、ギァア!」


 生存本能に突き動かされたゴブリンたちは一目散に逃げていった。

 アリアは逃げていくゴブリンを追うことはしなかった。

 アリアは肩で息をしている男に近づいた。


「大丈夫ですか?」


 三十くらいの男だった。体格や雰囲気から察するに荒ごとに慣れてる感じではない。男は息を整えると、頭を下げた。


「――ありがとうございます。謝礼はしっかりいたします。よろしければ、護衛も兼ねて村までご一緒してもらえませんか?」


 男は切り替えが早かった。アリアは見当が付いた。


「行商人の方ですか?」

「はい。と言いましても、儲けているわけでもないのですけど」

「儲からないんですか?」

「いやまぁ、そういうわけでもないのですけど」


 どうやらあまり聞かれたくないことらしい。


「ごめんなさい。実はこの辺りには来たばかりでして」

「そうだったんですね。せっかく来た人に言うのもあれですが、この辺りには長居しない方がいいですよ」

「なんかあるんですか?」

「……最近は色々ときな臭いんです。昔はこの辺にゴブリンが出ることなんて少なかったんですが、今ではもう森のモンスターを狩る討伐隊も編成されなくなってこの有り様です。そして何より、どこもかしこも治安がよくありません」

「衛兵に何か問題が?」

「あまり、言えないことです。勘弁ください」

「いえ大丈夫です」

「なので民間、つまりは冒険者に護衛してもらっていたのですが、前金だけ持って逃げられこの始末です。とはいってもこうやって助けも来るのですから、世の中まだ捨てたものじゃありませんね」


 アリアは同行することで、何やら詳しそうな行商人から情報を仕入れることに決めた。見立てではただの行商人ではない。でも敵対することもなさそうである。

 アリアは自分がどう見えるかくらいよく知っていた。邪気のない笑みを浮かべて、あれこれと聞いていく。男はすっかりとほだされ、自分の娘を心配するような態度になっていた。


「――というようなわけなんで、兵士の前ではよく気をつけてくださいね」


 村が見えてきた辺りで念を押された。


「何かあった時はどうすればいいんです?」


 男は渋い顔をした。


「逃げる、もしくは……いや今はよそう」


 言いづらそうに続ける。


「……昔は自慢の騎士様も、今じゃただの賊もどきだ」


 憤りが隠せていない。トラブルに巻き込まれる可能性を考えるなら、


(この男と関わるのは程々にしていた方がいい)


 そう思った。ただ嘆いている様子ではない。そこには何かがあった。何かしらの行動を実際に起こしている人間のそれ。具体的には分からないが、ふわっと分かった。

 思想は歓迎するが、負け戦は御免である。感情に流されて死に行くことは自分には許されていないし、そのつもりもない。


「そろそろです。一応、馬車の中に入っておいてください」

「はい」


 理由は考えるだけ無駄だろう。アリアは即決した。




 馬車が村に入ると、馬車を見た村人はあからさまに明るい顔を浮かべた。一人が近寄り、行商人の男に話しかける。馬車の中のアリアはその会話が聞こえた。


「……無事だったか?」

「ええ、不運と幸運の巡り合わせのおかげでなんとかですがね」


 いそいそと馬車を止めると、四人の村人が馬車の中へ入っていく。


「あ、どうも」


 ファーストインプレッションを考えてとりあえず挨拶を行った。


「え、あぁ――」


 村人たちはまさか中に人がいると思わなかったらしく驚いていた。が、行動を止めずに、りんごが乗った木箱を重そうに持ち上げると、そのまま運び出して行った。


(随分と重そうだことで)


 何が入っているか、想像が出来た。


「話は後だ。あいつらが来てる。とにかく急ごう」

「なんだ結局、運が悪いのか」


 興味が湧いて外を覗こうか迷うアリアだったが、空気を読んで止めることにした。部外者その一としていた方が自然そうだった。

 そのころ、馬車の外では、二人組の鎧を着た兵士が近づいてきていた。


「おい、そこの!」


 横柄な声に、行商人の男は腰を低くすると、


「はい、何でございましょう? 何かお目当てのものでもございましたか?」

「中を改める」


 兵士が顎で馬車を指した。


「中ですか? 構いませんが、理由をお聞かせ願えないでしょうか?」

「後でだ。とにかく中を見るぞ」


 兵士はズカズカと馬車の中に入ると、兵士とアリアの目が合った。


「……何だお前は」

「旅の途中で乗せてもらった者です」

「出ろ。邪魔だ」


 アリアが立ち上がって、馬車から出ようとすれ違った辺りで、腕を掴まれた。


「おい、返事がないぞ」

「返事ですか?」

「お前も後で話を聞くからな」


 じっと身体を見られた。アリアの不快指数が跳ね上がる。


「ほら早く出ろ」


 背中を押された。

 アリアは返事をせずに馬車から出た。

 そのまま行商人の男のところまで行くと、


「……大丈夫ですか?」


 中に届かないように小声でそう言われた。目が合うと、すまなそうに目を伏せたので、アリアは何ともないと示すように笑みを見せて誤魔化した。やる事は決めた。ただ実行出来るかどうか、それを決めるのは自分ではない。

 アリアはすぐに行動に移した。


「面倒な事になりそうなので、このまま村から出ることにします」


 そう言うと、数瞬の間が空いた。

 村人の一人が言う。


「いや、さすがに夜は危険だ。魔物もそうだが、盗賊まがいの者も多い。まだこの村にいた方が安心だと思う」


 アリアは確信に至っていた。


「何といいますか、私は人間というのはもう少し利口な生き物だと思ってます。損得とか、譲れない何かとか」


 アリアの言葉が分からないまでも、その言葉が持つ不穏さに周りが固まる。アリアは笑って見せた。


「見ず知らずの私より、大事なものが皆さんにはあるんじゃないですか? 互いの利を取るべきです」


 いくつかの息を呑む音。勘の良い者は気づいた。


「君は――」


 アリアは人指し指を唇に当てて、今までの純朴な笑みではない意味深な笑みを見せた。


「お互い、何も知らなかった。――そうでしょう?」


 村人の中で頷く者がいるのを確認すると、アリアは足を進めた。見送る村人たちはその背中を見ると、不安が立ち上がってくるのを抑えきれなかった。バレた。もしくはバレていた。これは偶然か、それとも必然か。馬車から運び出した食材が乗った木箱には、食材の下には武器が隠されていた。それについては、すぐに地下に運び込んだおかげで兵にはバレていない。



 ◇◆◇



 この領は今荒れていた。明確な転換期があった。それは二年前に代官が変わった時だった。度重ねて行われる増税。声を上げれば血が流れた。個人ではなく集団であってもそうで、蜂起したがために村ごと潰された所もあった。そしてその件から監視が強くなり、各地に兵が送り込まれることになった。この村も例外ではない。あの二人の兵がそうである。

 そういった状況に、反感を抱き行動に移そうとしている村人たちは、アリアがどちら側であるか分からない恐怖に怯えた。


 虐げられる村人が善人であり、常に善行しかしないということはない。不当な行為に抗う時、人間というのは自分たちだけが正義だと思ってしまう気がある。村人たちからすると、アリアという少女は部外者でしかなかった。そしてその部外者の少女に対して、あの兵たちが興味を示していたことが聞こえてきた言葉から分かっていた。不憫には思っていた。何か出来ることはないかと考えもした。


 だがしかし、もしこの後にあの兵たちが少女を呼ぶように申し付けてきた時、それを断るだけの理由、つまりは村と部外者の少女一人を天秤にかけて村を捨てるだけの重みが今の少女にはなかった。

 アリアの言葉はそれを表した言葉だった。


「それでは――」


 アリアが去った後、しばらくして兵たちが馬車から出てきた。


「とりあえずは怪しいものは見つからなかったが、まだ終わってはいない。調べるところはまだいくらでもあるからな」


 馬車から降りてくるや、兵はそのようなことを言った。その仕事ぶりが、忠誠心から来るものではないことは誰もが分かっている。何か見つければそれをつかって脅して金品を要求するのだ。またその上で、上に報告して報奨金も手に入れる算段も付けれる。何も見つけれなかったとしても、不当な報告を恐れた村は、嫌々であろうと歓待するしかない。兵たちにとっては美味しい役目だった。

 少しすると日が沈み、明かりが必要な頃になった。

 村人はこれ以上探られたくないと、ぎこちない笑みで言う。


「そろそろ食事でもどうでしょう? 酒も用意しております」

「ふむ」


 これもまた慣例である。兵士の二人は顔を見合わせた。


「――いや、まだいい。それより用事がある」

「用事、ですか」


 背筋の凍る想いだった。一体何を考えているのか。己の思うまま振舞うことに慣れた人間がどういうものであるか、この領地の民はよく知っている。ロクでもない。それだけは確実だった。


「そのような顔する必要はない。少し村を出るだけだ。お前たちには関係のないことだ」


 ほっとした村人たちだったが、そのまま安心までするほど安全な世を生きていない。よもや――、そう思った。


「……その用事というのを伺っても?」

「この村の人間には関係のないことだと言ったはずだ」


 関係ない。その言葉が、予感が当たっていることを気づかせた。


「し、しかし用意した食事が冷めてしまいますが――」

「ああ、それは残念だが仕方がない。これも仕事だ」


 そう言う兵士の顔には欲が浮かんでいる。

 村人たちは渋面を表に出さないように苦慮した。

 食料には限りがある。無駄に出来るものなどない。もったいない話である。兵士たちに用意した食事は、兵士たち以外には食べさせることが出来ない代物である。食べればそのまま朝まで目を覚まさない隠し味入りだ。


「――とにかく、我らは行く。こう月が明るければ時間はかからんだろう」


 駆け足で馬舎に向かうと、馬に乗って行った。

 村人たちはその背中を不安げに見送った。

 これで本当にいいのだろうか。不安はそこにあった。我々は正義ではないのか。そんな想いがあった。揺らぐ正義。村人たちは自分たちが正しいと思っていたかった。

 不安が口に出る。


「……どうする?」

「一応、行った方がいいんじゃないか」

「だが、それで――」


 村人たちが相談し合う中、行商人の男が覚悟を決めた声色で言った。


「私は行きます。命の恩人に報いる必要が私にはある。もし助けられなくても、一緒に死んであげることくらいは出来ます」

「あんた……」


 人は利益のために動く。ここでの利益は何もしないことである。だが、人は利益のためだけにしか動かないわけではない。時にはそれに反したこともする。例えば、さっさと逃げ出せる状況にありながら、気に入らないからって武器を運び込んで反乱に協力しようだなんて愚かな真似は普通はしない。


「……村の外なら、言い訳出来なくもないんじゃないか?」

「そうだ。少人数なら兵士だって賊に襲われるんだし。魔物もいる」

「だとしたら俺たちは悩みすぎた。急がないと――」

「行こう」


 兵に遅れて、村人たちも発った。



 ◇◆◇



 その頃、アリアは鼻歌を歌っていた。夜の空気は相変わらず心地が良い。


(悪行には違いない)


 それでも決めるのは向こうだ。でも、そのこと自体を決めたのは自分自身。


「いたぞ! あの女だ!」


 馬の走る音に、粗野な声。


「止まれ!!」


 振り返ったアリアは、まるで受付嬢のような丁寧さで聞いた。


「これは兵士様。どうかなさいましたか?」


 兵士の一人が馬上から言う。


「動くなよ。下手に動けば、――これだ」


 剣を抜いて、首を斬るような仕草を見せた。もう一人の兵士はアリアが逃げないようにと回り込む。


「その、私はお金は持っていなくて……」


 不安そうに言うアリア。兵士はムっとした様子で言った。


「我らが賊に見えたと言うか。なんと失礼なやつだ。これは少し教えてやる必要がありそうだな」

「いや待て、それより怪しい物を持っているかもしれんぞ」

「ああ、それもそうだな」


 アリアの肢体を、容姿を舐めるようにして見る。月明かりの薄暗い中でも分かる。これは今まで見たことがない程の極上のもの。最大限に味わう為にどうすればいいか。


「……確認する為、脱げ」


 武装の確認のつもりが、その先が口に出た。

 何事も過ぎるのは良くない。欲をかき過ぎれば破滅するし、命を落とすこともある。時間だってそうで、早過ぎても遅過ぎても良くない。

 脱ぐような仕草を見せないアリアに、兵たちは焦れ出す。


「おいっ、早くしろ」


 望んだものでも、手に入るまで時間がかかってしまえば、興味が無くなることがある。望んでいたのは、求めていたのは、兵たちだけではなかった。


(始まる前に飽きてきた)


 元より執着などない。早く終わらせてしまおう。アリアは決めた。ずっとじれったかった。


「……馬に乗ったままなのって、失礼じゃないですか?」

「あ?」

「もしかして、上から見てないと女の子に舐められるじゃないかって不安なんですか?」


 兵士たちの瞳孔が大きく開く。無言で馬から下りると、歩み寄る。頭の中は愛や慈しみなんて微塵もなく、暴虐と我欲で溢れていた。

 だがその暴虐も我欲も足りていなかった。眼の前の少女に比べたらまったくと言っていいほどに。まさか、不快な視線を送られたからといって、触れられたからといって、気分良く殺す口実を探していたとは思いもしていなかった。


「それでは、――さようなら」


 手を伸ばし、兵の側頭部に手をかける。

 同時に反対の手を肩に手をかけ、ぐっと内側に引き寄せ、首に負荷をかける。


「がっ――」


 首から鈍い音が鳴り、その異変に馬が逃げていく。アリシアは兵の倒れ様に、腰の剣を抜き取ると、


「これで逃げられないわけだけど、どうする?」


 と、残った一人に突き付け、問いかけた。男は尻餅をついて恐怖におののいていた。心が折れる速さにアリアは呆れた。


「……何か言ったら?」


 返事がない。もう一人の方は、先ほどのゴブリンのように、ピクついて痙攣していた。違いは口から泡を吹いていることくらい。


「ねえ、どうやって死にたい?」

「……な、なんで、こんな」

「お前が着ているその鎧は、死に値するくらいにお前には相応しくない。まあ言ったところで訳分からないだろうけど」


 かったるくてため息が出た。


「……見逃してくれ」

「それは嫌」


 男は地面に叩きつけるように頭を下げた。土下座の姿勢である。


「何でも言うことを聞くっ、だからっ」

「じゃあ、そのままの体勢でいて」

「え」


 ――首が落としやすいから。


 ぼとり。地面が何かを受け止めた音が立った。

 感慨は無い。もう少し良い気分になれると思っていたけれど、刹那的快楽を堪能するには相手が軽すぎた。


(塵のようなやつ)


 動かぬ物体と化したものを見下すと、鼻を鳴らした。思えばどうしてこんなつまらないもので楽しもうと思ったのか。


「――いたぞ! 無事かっ!」


 村人らが駆けつけてきた。


「こ、これは一体――」


 状況に驚く一同に、アリアは分かりやすく説明してみせた。


「この辺りではゴブリンがよく出没するそうですね」


 そう言う手には、血が滴る剣。

 言い終わると同時に、ゴミのように投げ捨てた。


「汚れちゃったんで、綺麗にしたいんですけどいいですか? あと服とか融通していただけると」

「……ああ、分かった。とにかく一度村に戻ろう。それの処理もある」


 村人から不安や懸念が消え去った。

 話したいことも出来た。

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