第7話 山頂に至る血河

 数日経った。

 アリアは地面に寝そべって月を見ている。


「無理すぎる」


 今思えばとんち的な話に思えてきた。禅問答のようなそれ。――と、そこまで考えるも、実際に目にさせられたので否定出来ない現実がある。とはいえ到底出来る気がしない。剣術とかそういうのを超えている。

 月は、その半身を雲に隠しながらも、その美しさを損なうことはなく、雲をドレスのように着こなしていた。


「――月は好きか?」


 頭の先から声がした。


「まぁ、好きといえば好きですけど、わざわざ言うほどではないですね」

「なんと、あの美しさが分からないとは、……これでは先は長いか」

「美しさを知ることが何か関係あるんですか?」

「関係あるから言っておる」

「だとしても、そんな美しいものを斬ろうってのは変だと思うんですけど」

「斬ることに囚われてはいけない。それ以上に大事なことがある」

「何ですか?」

「言って終わりではないから、こうやって修業させとるんだろうが。言葉では理解出来ないものであることくらい、お前も分かっているだろうに」

「その上で何かあればいいなと聞いてみたわけなんです」


 一拍間が空いた。アリアが不審がって、顎を上げて頭上の視界を確認すると、今まで見たことがない師の顔が見えた。


「最後まで、と思っていたが儂の方が持ちそうにない」

「それは――」


 アリアは急ぐことを望んだ。

 が、老人は難色を示した。


「儂より先に死ぬ気か?」

「簡単には死なないだけのものは身につけたつもりです」

「堅実にいけばそうだな。だが、急いだ上にさらに急げば必ず躓く」

「マイペースには自信ありまして」


 老人はしばらく目をつむると、ある方向を指さした。


「この方向に行けば、山がある」

「はい」

「森を抜け、山を登り、頂上まで行ってみるといい。そうすれば随分と早くなるだろう」

「おお」

「だが百日は覚悟しろ」

「そんなに遠いことありますか?」

「距離ではない」


 老人はアリアをじっと見つめた。


「くれぐれも用心することだ。当分はあの世で会うつもりも、屍を待つ気もないぞ」

「うっす」

「大事なことは、己を見失わないことだ。迷った時こそこの日々を思い出すのだ」

「――はい」


 アリアは決めた。


「では明日、行きます」

「そうか。ならば今日はゆっくり休むといい。しばらくはほとんど寝れなくなる」

「寝ることは得意なんですけどね」



 夜が明けると、アリアは発った。

 山は森を抜けた先にある。問題はそれまでの道中。魑魅魍魎が跋扈しており人の踏み入る場所ではない。人であれば、一日たり、満足に寝ることも食事をすることも出来ない世界がそこにある。

 進んでいくほど、森の中の湿った冷たい空気に、少しずつ怪奇的な何かが潜んでいるようなものが混じっていくのをアリアは感じていた。


(深くに入っていけばいくほどって感じか)


 これまであまり見なかったものや、見たことがなかったような魔物を見かけるようになってきた。もう既に何度襲われたことだろうか。アリアは返り血まみれになっていた。それが臭気を放ち、そのかぐわしい匂いにつられてきた魔物がまた、その臭気に温もりと匂いを与え重ねていく。


 そうやって数日歩いていく内に、アリアは己が寝ていないことに気づいた。己の歩んできた道のりは、川のように血の道筋を描いており、それが絶え間なく続くせいでとても寝るような隙間も、眠気を感じるような余裕もなかった。ただただ殺戮を繰り返した。繰り返せば繰り返すほど、襲撃は増えた。


(血を落とさないと)


 戦闘が面倒になってきた。一生分、いや三生分は命を奪った気がした。そういえば喉も乾いた。腹は問題ない。その辺の食べれそうなものを適当に食べた。川や泉があれば、汚れを落としたり水分補給を行った。そうやって過ごしているうちに、アリアは己が一個の生命体であるという感覚が強くなった。増えた生傷も、食事により食べたり飲んだりすることで、気づけば治っていた。呼吸だけでも何かを吸収しているような感じだった。


 やがて寝ることもおぼえた。木の上、もしくはほら穴があればそこを拝借した。大抵先住者がいたが、追い出した。弱肉強食の掟である。とはいえちょっと罪悪感をおぼえたアリアは、追い出す際に命を奪わないように気をかけた。


 さらに十数日経って、経過した日数を数えることをやめたころ、アリアは己の知覚出来る感覚がぐっと広くなっていることを感じた。遠くで己を見張っているもの、敵意の強度、そういったものある程度離れていても分かった。アリアは己に対しても、それ以外に対しても、生命体として、もしくは物質として、不思議な知覚でもって感じ始めた。己が己であることを失ってしまうような、その他との境界が分からなくなるような、自然と一体となったようなそんな感覚。澄んで、澄みきって、澄みきりすぎて、己が消えてしまう。


 ――迷ったら剣に祈れ。


 自分というものは剣にはない。だがそこからの切っ掛けで、取り戻すことは出来た。

 気づけば、山のふもとにまで来ていた。見上げると、遠目からでも大きな鳥が舞っているのが分かった。怪鳥とでも呼ぶべきか。魔物であることは確かだった。

 森の魔物たちはアリアという存在を既に知らされた。複数の意味で沈黙することになった。だが、山の魔物はまだ知らない。


「しばらくはまたこれか」


 我先にと獲物に食らいつかんと、山に住んでいた魔物はアリアに集まった。その結果、山の傾斜に沿って、新しい川が出来た。


 咆哮。


「伝説、というには小さいな」


 竜だった。飛竜と呼ぶべきか、ワイバーンを少し大きくしたくらいの個体で、あからさまに威嚇行動を取っていた。


「ほら、さっさとこいよ」


 手を広げて挑発すると向かってきた。鎧のような鱗に、重槍のような牙。怖いものなど知らずに生きてきたような傲慢さ。

 戦いは長引かずにすぐに終わった。


「乗って飛べたら楽しそうだったけど」


 片翼を切り落とされ、それでも敵意を示す飛竜に、アリアは惜しいことをしたかもしれないと後悔しながらも、礼儀とばかりにトドメを刺した。弱ったがゆえに格下の存在になぶられて食われるのは忍びなかった。アリアの美意識が固まってきていた。飛竜との戦闘で折れた剣を手向けのように、その場に残した。

 山頂にたどり着いた時は夜だった。


 ――これは、なるほど。


 月が、切なくて胸が苦しくなるほどに美しかった。

 そして、そこから見下ろす景色は、まるで雲海のように木々による緑の雲が大きく広がっていた。自分が想像していたよりもはるかに大きな森だった。

 あとは帰るだけ。手に入れたものは確認出来ていた。

 帰り道は、行きより、はるかに楽だった。


「全然こないな」


 理解出来た存在だけが生き残ったのか、それとも軒並み死滅したのか、アリアには分からなかったが、自身が作り上げた屍山血河がある程度キレイになっていること見る限り、生き物は存在しているようだった。

 敵対する魔物も現れないので、アリアは泉でゆっくり水浴びすることにした。

 血や汚れを落とした髪は、いつの間にか茶毛から濃い桜色になっていた。


(血染めにしても物騒すぎる)


 血というよりも花や果実のような色合いだったが、これまでのことを考えると物騒に思えた。そうしていると、久しぶりに何か生物が出てきた。


「ひひん」


 敵性反応はない。――というより、


(こいつって)


 それは白く体躯に頭に角を生やした馬だった。とぼとぼとした足取りで近づいてくると、腹部に鼻を擦り付けてきた。角が当たらないように器用に角度を変えて何かを堪能する姿に、アリアは気持ち悪く感じ、距離を取るとそそくさと水分を拭って服を着始めた。


「ひひん」


 まだ足りないとばかりの態度に対し、


「馬肉にすんぞ」


 と、脅すと、しょぼくれた顔をして離れていった。


(早く帰ろ)


 せっかく良い心地でリラックスしていたのに、気分を害してしまった。




 小屋にまでたどり着くと、自然と笑みが出てきた。嬉しいことには違いないが、少し気恥ずかしさもあった。理由がはっきりとは分からないが、学校に親が来た時のようなそんな感触があった。

 小屋の前では既に師が出て、こちらを迎えていた。


「――早かったな」

「どれくらいでした?」

「数えていると思うか?」

「思わないです」


 老人はふっと鼻で笑った。


「それで、月は斬れそうか」

「いえ、斬れなさそうです」

「それは何故か」

「うーん、よく分かってないから? ですかね?」

「そうか。――とにかくよくぞ戻った」

「はい」

「ゆっくり休め。話はその後だ」

「うっす」


 既に懐かしさを感じる小屋で横になると、間を置かずに意識が落ちた。

 アリアは心地よかった。走馬灯のように、これまでの人生が流れた。が、それは高速に流れるフィルムロールを見ているようで、一つ一つを体験するようなものではなく、即座に過ぎ去っていくものだった。

 起きると、何だか色々なものが定まった気がした。


「――目覚めたか。三日寝ていったぞ」

「一瞬でしたけどね」


 十分にも満たない感覚。けれど濃密なそれ。明確に過去と今が別れたような気がした。


「お前に渡すものがある」

「何ですか。宝物ですか」

「そうだ」

「え」


 老人が左手を広げ、目を閉じて何かしら念じると、光が溢れ、一振りの太刀が現れた。色々驚くことはあったが、そんなことは後で聞けばいい。それよりも嬉しさが勝った。


「これは」

「手入れは後で教えてやる。身体に馴染ませろ。少しやればしっくり来るはずだ」

「……ありがとうございます」

「しばらくは無心で楽しむといい」

「はい」


 アリアはそれから十数日、ただ剣を振ることだけを行った。身についたものが混ざり合っていき、やがて己の手足のように扱えるようになった。元々教わっていた術というのが、今持っている剣を基本としたもので馴染みやすかった。まるで記憶を取り戻すかのように馴染んでいく経過に、師の言う通りに楽しさを感じた。

 ところで、アリアは疑問だった。


「あんな綺麗なものを斬ろうだなんて、無理というより不遜なんじゃないかって思うんですけど」

「月は好きか?」

「そうなりました」

「儂は三日月が好きでな」

「はぁ」


 いつもながら話が見えない。


「――儂の心に三日月を描いてみせろ。もうこれで充分なはずだ」


 何故かは分からない。けれども何か得た気がした。そしてその得たものが、最後のピースだったかのようにキッチリと思考の空にハマった。


 ――ああ。


 理解した。


「外までいいですか?」

「腰が」

「いいから」


 二人で外に出る。

 夜の空は曇り空で、月など出ていなかった。


 ――ちょうどいい。


 そう思った。


「では――」


 アリアは一振り、行った。


「――見事。お前は儂の全てを会得した。誇れ」


 アリアは少し間を置いて、老人の願いであろうことを口にした。


「……心残りはもうありませんか?」


 老人は肯定した。


「ああ。儂がこの世界に来た意味を考えない日はなかった。だが儂は今ようやく己の人生に心から肯定することが出来た。――感謝する」


 頭を撫でられ、アリアの顔に笑みがこぼれた。

 それから数日間、二人でのんびり過ごした。それが最大の孝行だと、アリアは確信していた。最期が来るその時まで、そう長くはない。語らうことが残らないようにと、他愛のないことから大事なことまで何でも話した。

 最期の言葉は、


「己の生き方を見つけていけ」


 だった。

 アリアは目を閉じて頷いた。

 涙はこぼさなかった。そういう別れにしたかった。


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次回のみ視点が変わります。

ハッキリと一人称です。


次回のあとがきに少し詳しく書きますが、

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