第5話 深倫欲

 数日後、アリシアの父は、王都の援軍と共に前線にまで向かった。

 少しした頃、追い払ったとか打破したといった勝報が続き、ついには攻め込んできた家の領地まで侵攻したとまで伝えられた。

 自室でそれを聞くアリシアは特に感情を動かさなかった。勝報も敗報も、それによって自分の環境がどう変わるかくらいしか興味をいだけない。それに勝ってる以上は別に何も変わらない。


(薄情かな? それとも――)


 義務の放棄、もしくは社会的な何かの欠如。だとしても。


(立派な人間にだけはなりたくない)


 思えば立派な人間になんて、前世の頃から憧れたことはなかった。でもなりたいものがないという現実が、なりたくないもの以下の人生を送っているように思えてしまう。


 さらに十数日経つと、勝報ではなく敗報が届いた。

 勝ちもあれば負けもある。当然のことだ。けれど内容を聞いた感じ、


(これって……)


 あからさまに不穏な感じがした。戦場になんて詳しくはない。だから上手くは言えないし、はっきりと分かっているわけでもない。ただなんか恐ろしく危ない気がしてならない。周りの人間は楽観的というか、そうあろうとしているのか、こういうこともあるとよった様子で、何なら「いつも通り勝って終わりますよ」と実際に口にする者すらいた。


 だが、現実というのは配慮などしてくれない。

 後日の報告にて、


「報告します! 軍は壊滅。敵軍はそのまま攻め入ってる模様!」


 それは館中を騒然とした。急に己の命がどうなるか分からなくなったのだ。無理もなかった。『今まで勝ってたじゃないか』そんな言葉が飛び交う。勝敗は回数ではなく、重さである。しかし今そんなことを考えている余裕などなかった。

 その報はアリシアにもすぐに届いた。ほとんど間を置かずに、十数人の兵が部屋にやってきた。


「当主様の最後の言いつけです。ディル様は残り、アリシア様は逃げるようにとのことです」

「分かった」


 どういう意図かは分からないが、とにかく分散して賭けたらしい。


(しかし逆の方が良い気もするけど)


 疑問に浸っていると暇はない。準備をしなければならない。


「お嬢様、マリは、マリはっ――」


 一緒に行けないことを悔やんでいるようだった。


「まぁ、また今度会おうよ」

「お嬢様……」


 準備を終えると、護衛兵の隊長が部屋に入ってきた。簡単な説明を受けると、


「――お嬢様、行きましょう」


 すぐに発つことになった。寄越された使命は生き残ること。二十余名の兵士と共に領外に出る。追手は近くにまで来ていることが予測されており、急がなければならない。馬に乗り、街の外へと飛び出す。


 問題はどこに向かって逃げるか。他領に向かうのがセオリーではあるものの、逃げ延びたとしてもそこの領地の兵に捕らえられて外交の道具とされる可能性が高くある。だからといって、広大な森を抜けることなんて自殺行為は考えれもしない。

 だが進行方向はその森だった。森に逃げ込み時間を稼ぎ、警戒が薄れた頃合いも見計らってどこからか脱出する、それが受けた説明にあった算段である。上手くいく確率なんてどれだけあろうか。アリシアは街に潜伏する方がマシだと思えたが、ここで反対したがために失敗したなんてことはさすがに許容出来ない。

 草原を馬上で行きながら、不思議な感触を覚えていた。


(……何だろうな)


 自分を囲む兵たちを見てみると、皆そろって決死の表情しているようだった。死に向かう顔というのだろうか、そこに不思議と美しさを感じた。


(他人の命令で死ぬというのに)


 でもそれが、愚かしくとも、何か崇高で素晴らしいものにも感じた。その中で、お神輿である自分だけが浮いていることが分かった。自分の中にあるのは、迷いや疑問ばかり。


「――隊長、あれをっ」


 考える時間はない。振り向くと、追手であろう影が遠くに見えた。


「っち、早すぎる!」


 遠くから追って来たはずが、もうここまでここまで来ている。それは敵の方がずっと速いということだ。しかし、絶望するのはまだ早い。視認出来る感じでは、数が少ない。


「半分に分けるぞ」


 既に決められていたのか、その一声で半数の兵士が遠くの影に向かって反転した。文字通り、肉体で足止めを行う役目である。

 自然と馬脚が速くなった。敵も、そして味方への想いも振り切らなければならない。


(義務に奉仕か)


 会社員の一生を思い出した。他人のために生きていくそんな人生を。忌避したそれ。だが今、自分がそれを行う者に担がれているような状況に、上手くまとまらない感情がさらに混沌としていくのが分かった。ただ自分と周りの兵とは根本的な何かが違っているように思えた。

 後ろを見ると、追加で影が見えた。


「……まだ来てる」


 時間に追われている者に考える時間は与えられない。


「――お嬢様、我々も行くことになります。最後までご一緒出来ずに申し訳ありません。残りはこの二名に託してあります」


 アリシアはようやく理解した。この者たちが義務に奉仕したのではなく、誇りに殉じたのだ。感嘆した。最後にかける言葉は、敬意を表す言葉であるべきだろう。


「――分かった。私も最後まであがいてみる」


 主従や身分ではない。役割として、同じように生きる。それを表した言葉だった。

 言葉を受けた兵たちは、新しく仲間に会えたような、もしくは報われたような、そんな顔をしていた。


「じゃあ――」


 行かなければならない。己の為に死ぬ者たちに背を向けてゆく。呪いのようだ。これから先、何があっても生きることを諦めるわけにはいかない。逃げずに立ち向かっていける兵士と、仲間を置いて逃げなければいけない己の身を想えば、言語化してはいけないものが心に浮かぶ。敵に、使命に、誇りに、己を捧げることが出来る彼らを決して羨んではけない。

 付き添うのは二人。男女の兵。おそらくあの時にもうすでに決まっていたのだろう。そう思った。だからこそ、その時にした覚悟を決めなければならなかった。恐らく、きっとそう。多分ではありつつも、どうせ間違いはない。現実なんてそんなものである。


 森の入り口まで来ると、馬を降りた。二人の兵に、前と後ろに挟まれる形でアリシアは森の中を歩いていく。足元の状況はすこぶる悪かった。落ちた葉っぱで滑りやすい上に、太い木の根っこが所々で地表に露出していて足を引っ掛けないように注意する必要があった。


(暗いな)


 森は天を覆うように木々が深く茂っており、昼間であっても薄暗い。

 ある程度森の中に分け入ると、先行していた男の足が止まった。


「――まぁ、この辺りがいいか」


 そこは少しだけ開けており、多少の空間があった。

 アリシアは何気ないように地面を軽く蹴って、感触を確かめた。


(よし、踏み込める)


 約束とは守るためよりも、守ろうとするためにある。


 ――責務を果たす。


 大きく息を吸い込み、肺に入れると、真横に体を向け、力一杯に踏み込み、地を蹴った。


「っな、――お、追うぞ!」

「ええ!」


 全力で走ることは出来ない地形。平たい何もない所であればすぐに追いつかれていたかもしれない。だが、予め逃げることを想定しつつ周りを確認していたアリシアは追いつかれることなく駆けた。少しずつ距離が離れていくが、アリシアの息が徐々に上がってきた。したがって、離れた距離が縮まっていく。訓練の差が出た。だがそれも想定の内。追いつかれそうになった辺りで、アリシアは木の根に足を引っ掛けて転んだ様な動作を見せた。そのまま体を回転させ木の後ろに身を隠し、腰の剣を抜く。覚悟は終えている。ためらってはいけない。足音で距離を把握すると、隠していた身を現し、速度を上げて接近している兵の腹部に向けて、剣先を刺し込んだ。


「っぐ」


 くぐもった男の声。鎧の上から刺したせいで、抵抗が強く深くまで刺さらなかった。だが動けない程度には深かった。


「……っなぜ、分かった」


 答えている余裕はない。首筋に剣を滑らした。すぐに視線を上げ、剣を前に向ける。

 怒声。


「――ああああっ」


 物凄い形相した女の兵が、倒れた男の名前であろう単語を叫びながら、間近にまで迫ってきていた。

 背を向けて走るにはもう近すぎる。受けるかいなすかしなければならない。


(だいぶキレてる)


 激情のまま振り切るつもりだろう。いなすには無理がある。それに身体能力も技術も向こうの方が有利。けれども主導権はまだこちらにあった。何より冷静だった。

 前を見ながら、意識を後方に向ける。少し記憶を辿り、足腰から力を抜く。

 激情のこもった鉄が上段より迫りくる。叩きつけるような、斬ることを目的としていない振り。

 想定通りだった。


(よし――)


 自分に喝を入れる。

 手に力が入る。腕が、手が硬直する。ミスは許されない。

 アリシアは足腰を軽く、足を浮かせるようにして、激情を受け止めた。

 これも想定通り。

 衝撃に身体が浮き、後ろに飛ばされる。背中が木と衝突して、衝撃が後ろからきた。その衝撃に開きそうになる体を必死に押し留める。

 間髪入れずに次。致死の剣。


「――っ死ねぇぇ!!」


 押し留めた身体は前傾姿勢。前かがみ。片足を木の幹に押さえつける。剣は目立たないように項垂れてさせている。


(もう一度、振り下ろすはず)


 目線を上げると、これも想定通り。大きく振り上げている。

 木にかけている足を押し出すように蹴る。前方へ飛び出す中、両手でしっかり握った剣を上げ、前に突き出す。狙うはがら空きの腹部。先ほどの兵の時と同じ手なれど、工夫がある。手から伝わる一瞬の強い抵抗。


「っが――」


 鎧を貫通し、すぐに柔らかくなっていく。肉に埋まっていく感覚。

 手を離すと、わずかな硬直の後、後ろに倒れていった。

 倒れている女の兵を見下ろす。何か言いたげだった。


「……っどうして」


 苦悶の表情。後悔。悲哀。目が合うと、怒りが浮かび上がるのが分かった。


「どうしてって、どれのこと?」


 思い当たることはいくつかある。


「結局、皆お前のせいで死んでいった。……お前はそれに見合う人間なのか。私達はどうしてお前のために死ななければならない。死神のようなやつめ」

「少なくともあなたが死ぬのは私のせいじゃなくて、あなた自身のせいだよ」


 行動を起こした結果的にそうなったといえる。死に方を選んだのは本人である。


「私をいくらで売り渡す算段だったのかは知らないけれど、まあ残念だったね」

「……愛した男と添い遂げ、子供を、家族を、幸せを望んで何が悪い」


 女の目から涙が流れる。


「別に、何か特別を望んだわけじゃない。どうして、それが叶わない」


 感情が絶望に変わっていく。


「お前が、お前さえいなければ、こんなことにはならなかったのに……」


 そこまで言い終わると、ごぼりと血を吐き出した。湿り気のある咳をいくらかして吐き切ると、少し微笑んだ。


「まぁ、お前もどうせ死ぬ。これだけ血の匂いがするんだ。やがて魔物がやってくる。苦しんで死ぬことを願っているよ」


 言いたいことが終わったらしい。そう思ったアリシアは口を開いた。


「良かったね。最後に願いが1つ叶ったよ」


 何のことだという目を向けられる。

 アリシアは自分のことを善人だと思ったことはない。だからって別段悪人だとも思ったことはない。だけれども、今ここで自分にその素養が充分にあることに気づいた。

 倒れ伏した男を指差し、言う。


「あの男と一緒になりたかったんでしょう?」


 悪意が伝わるような微笑みを浮かべる。


「おめでとう。お腹の中で一緒になれるよ」


 傍からみたら、ワガママであれこれと手を出してはすぐに辞めるお嬢様だったかもしれない。けれども当人からすれば、足掻きだった。必死で藻掻いていた。己を諦めないために必要なワガママだった。それが可能な身の上で生まれた以上は、そうしたまでだった。だから批判にもいちいち腹を立てないようにした。言う権利くらいはあるだろうとそう思っていた。だが、死を望まれるまでの筋合いはない。この状況を作ったのは少なくとも自分ではない。しいて言うならば、お互い様だとも思っている。互いに死を与えられたのだ。


「あなたたちと私とでは違う。似てるようで確かに違う」


 あの兵たちの集団の中、浮いている存在は自分以外にいた。疑惑が浮かんだ。けれど初めはあまり重要視はしていなかった。ところが事が進行していき、己が兵たちを理解していく中で、疑惑が確信に近づいていった。森に入った時からは、どこでどうやって攻撃されるだろうか、そしてその時はどうやって殺してやろうかと、ということばかり考えていた。


「あなたたちの死因を教えてあげる」


 しゃがみ込み、顔を近づける。


「過ぎた欲を持ったからだよ」

「どこがっ」

「はは。もしかしてまだ自分が善人だと勘違いしてない? 人並みの幸せを望むなんておこがましい。理由が知りたいなら、獣にかじられて息絶えるその時まで自分で考えてるといい。私はお前なんかに向けてあげる情なんて無いんだ。お前の望みが言葉通りなのだとしたら、ただ普通に自分たちだけ逃げれば良かったんだ。でもお前たちは過ぎた欲のためにそれをしなかった」


 ここでまだ会話しているのはただの気晴らしでしかない。森の外、己の為に命を賭けた者たちへの弔いの感情と、それに押しつぶされないための誤魔化し。

 何か言い返そうとする女は、湧き上がった血で音を言葉として発することが出来なかった。

 アリシアはにっこりと笑うと、立ち上がった。

 背中に強い痛みが走る。


「っ――」


 木に打ち付けた時のもの。表には出さない。この女には最悪の死を与えてやらなければならない。ぐっと奥歯を噛み締めて耐えた。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。女の言う通り、血の匂いに釣られた魔物が近くにやってくるだろう。身体の状態は悪い。内側が痛んでいる。回復どころか食事すらおぼつかない。これでは戦闘どころではない。さらに怪我でもすれば、自分も魔物の腹の中に行くだろう。

 だが今すぐに森を出るわけにもいかない。


「――水」


 歩き続けるためにも、まずこの喉の渇きを解消したい。アリシアは、何となく川があると思った方向へ歩くことにした。耳を澄ませると、水の音が聞こえてくる。

 見つかったのは森の中を流れる川だった。透明で清涼感のある川の水にほっとし、喉に潤いを運んだ。生水だが、今はどうしようもない。

 水に夢中なっていると、ふと声が聞こえた。


「ん? なんじゃお主?」


 それはとても懐かしく、同時に聞いたことがないものでもあった。

 何だかとても古めかしいというか、実際には耳にはしないけれど娯楽の中では聞くようなそんな――。


「日本語?」


 顔を向けると、そこには和装で刀を腰に差した老人がこちらを見ていた。それは記憶で知っている姿だった。


「武士的な……?」

「――今、何と言った……」


 老人は目を大きくして驚いていた。反面、アリシアは少し冷めていた。


(世界観がブレるなぁ)


 思えば創作物に出てきそうな異世界ファンタジーな感じの片鱗はそこら中にあった。とはいえこれは世界観的にどうなんだろうか。


「謎世界ここに極まる」


 自分の変な突っ込みに、アリシアは思ったより余裕があることに気づいた。ふっと笑みがこぼれると、全身から力が抜けていった。


(あ、まずい――)


 薄れていく意識。でも何故かあまり心配が湧かなかった。多分、何とかなる。そう思った。

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