第4話 足掻き、そして義務

 二年が経ち、十二歳になった。

 部屋で休息を取るアリシアは、ベッドに腰掛けていた。


 ――色んなことを学んだ。


 講師にはよく褒められた。筋が良い、覚えが早い。そういったことをよく言われた。

 けれど素直には喜べなかった。

 人生経験が見た目通りではない。褒めるのも講師の仕事のうちだと知っていたし、まだ自分のレベルがお遊戯レベルであることも分かっていた。年齢からすると覚えが良いだけ。このまま続けたとしても、その道で生きている人間に届きそうにない。


(結局何やっても同じ)


 生まれの良さという特権を活かして、数多くのことを試してみたけれど駄目だった。その間、弟のディルは相変わらずその優秀さを発揮した。アリシアには、それが当てつけのようにすら感じた。

 結局、前と何も変わらない人生なのかもしれない。浅く広く身に着けただけ。いくらやっても本物にはなれない。何かをやる度に諦めと絶望が重なっていく。


(凡人の頑張りってのは、天才の価値を証明してあげることかもしれないな)


 自嘲していると扉が開かれ、飲み物を持ったマリがやってきた。


「――ねぇ、マリはどう思う?」


 唐突に聞いてみた。


「何がですか?」


 最近は悩みが口に出る。でもそのまま口に出すのははばかれて、遠回しに気づかれないようにしていた。


「世界を恨みたくなるような時はない?」

「ありませんよ。屋敷勤めでお嬢様のお世話を出来るのです。何の不満がありましょうか。私は幸せです」


 足るを知る。マリはそんな様子だった。現状に満足してはいけないと言い聞かせているアリシアにとっては、そうなってはいけないとこだわる必要があった。しかし誰かに当たるようなまねはしたくない。アリシアは喉まで上がってきた想いをぐっと飲み込んだ。


「……で、マリは何の用で来たの?」

「旦那様がお呼びでしたので」

「厄介事ね」

「そのような言い方は……」

「会う度、話す度、私の存在価値について話してる。直接言われなくても分かるよ。誰しも得意なことは一つくらいはあるって言うけれど、私の場合は容姿かな? 試しに顔に傷でもつけてみれば、他に見つかったりするかもね」

「――ご冗談を。それにお嬢様はお嬢様です。その役割に代わりはいません」


 お嬢様としての義務がある。そして恩恵は充分に受けている。


「自由ってのには値段が付けられないわけだ。そりゃ身分だけじゃ買えないね」

「……お嬢様?」


 訝しむマリに構わず、アリシアは自分の世界に入り込む。

 分からないことだらけだ。そもそも、自分らしく生きるなんて、どういうことか分からない。ワガママを言うことではないことは分かっているけれど、人の言うことを聞いて生き続けることが正しいとも思えない。


「――マリは苦言を呈します」


 マリはぐっと気合を入れた。諫言だ。マリにとって、出来た従者とはそういうことを行うものだと思っている。


「お嬢様は色んな願いごとを叶えられています。お嬢様はそろそろ我慢を知る時ではないでしょうか」


 アリシアは微笑んだ。


「マリは良い人なんだね」

「……少なくとも良き人間であろうとしてます。そして私は、お嬢様も良き人だと思ってます」

「私はそう思いたくない」

「なぜですか」

「他人にとっての良い人っていうのは都合の良い人って意味だと思ってるから」

「……やはりお嬢様は自制するべきです。皆、歳を追う事に理解していくものです。大人になるに遅すぎるということはありません」

「違うよ。大人を辞めることに、早すぎるのも遅すぎるのもないんだよ」


 アリシアは絶望を知っている。夢の中で見たことをもう一度繰り返すつもりはない。ただ抗っても拭えないのだ。

 マリは悲しそうに眉を寄せた。


「……マリには、お嬢様が何に悩んでいるかが分かりません」


 アリシアはその想いに答えられない。

 己の不安と恐怖を誰かと共有出来るとは思ってない。少なくとも良い人間には無理だろう。アリシアはもう自分のことを良い人間と思うことをとっくに辞めている。気がかりなのは、己の持っている答えが正しいとも思えないことだった。


「何でもいいから変わっていって欲しいんだよ」

「悪いことが起こってもですか?」


 変化とは良いことも悪いことも等しく起こしてしまう。当然今の世の中がずっと続くことはない。少しだけでも変化していく。一年前まで定期的に来ていたゼインとはもう半年以上会っていない。


(もっとも今やって来れば捕縛されるだろうけど)


 友好関係を築こうとしていたのも昔、今では立派な敵対関係。兵をぶつけ合う仲だ。別に特別な思いなどなかったが、今思えば、初めからそのつもりだっただろうことが分かった。初めて会った時、何故ゼインがあのような振る舞いをしていたのか。そしてそれを止める兵が何故向こう側にいなかったのか。あの傲慢さは教育が行き届いていなかったからではない。教育が行き届いたからこそだ。


(別に何ってわけでもないけどさ)


 あれは敵情視察に来ていた。はっきりしていることは、父、マティアスは出し抜かれたこと。攻めてこないものと思って防備を薄くした箇所をまんまと攻められた。マティアスはもう大忙しである。戦場に行くこともあれば、屋敷に戻って事務や政治もこなす。戦闘があれば、またそれ続けば、それだけ物資や兵士が損耗し、内政的ダメージが重なっていく。手っ取り早い解決方法は援助してもらうことだ。他領からの強い協力を得ようと、見目麗しい娘の絵が送られていた。


 アリシアは嫌でも思い知らされた。この世は結局のところ力だ。あらゆるところに力関係があり、必要に応じて、もしくは必要に応じなくても力が行使される。従わされる側に必要なのは努力でも忍耐でもなく、諦念である。なるほど上の立場に立つ者は、下の立場のために犠牲になるものだ。普段は緩やかにとはいえ逆なのだから、受け入れなければならないだろう。

 だがアリシアは気に入らない。


 ――抗った結果がこれか。


 風が吹けば揺れ、雨が降れば濡れる。草木と何が違うのか。子どもだといえばそれで済むかもしれないが、だとしたら大人とは何だろうか。義務とは、人を人ではなくするものであろうか。

 力強く、扉が開かれた。


「――お嬢様っ!」


 女の兵。名前までは憶えていないが、見覚えはあった。どこでだったのか考えていたら、その兵の顔が強張っていることに気づいた。


「何?」

「早く来るようにとのことです」

「どうして?」

「王都からの客人です。お役目があるとのことです」


(そういえば、マリが言っていたな)


 呼ばれていたことを思い出した。それはさておき、何故わざわざ自分が呼ばれるのか。考えると不快になった。


「ああ、そう。分かった」


 アリシアの淡白な反応に、女の兵はムッとした表情を表に出した。


「お家の一大事ですよ。どうしてそのような態度を――」

「――お前の役目はそれ? 言いたいことがあるなら、お前の為にここで一時間くらい聞いてあげようか?」

「なっ」


 義務を遂行している者は、他人もそうでなければ義務を果たしていないと腹を立てることがある。アリシアの言葉は、そんな兵の不満を感じ取ってしまった不快さが表に出てしまった結果だった。

 屋敷に仕える兵としてはそこまで言われてしまえば、言い返す言葉を持てない。


「……案内します」


 アリシアはお嬢様である。そう育っている。基本的に寛容ではあるが、増長を許すほど甘くもない。義務や職務に忠実なのは結構ではあるが、出過ぎてはいけない。身分がそれを許さないし、許してもいけない。


 執務室に着くと、いかにも偉そうな将のような兵が、対等といった様子で父と握手していた。身分なら領主の父の方が上ではあるが、この状況であれば中央の軍の将と比較した場合、上下があやふやになった。下手に出るのも間違いだが、上から物を言うわけにもいかない。

 マティアスはそんな微妙な舵取りをしなければならない。


「援軍感謝する。あいつら、どれだけ追い払ってもしつこく周囲を飛び回る蝿のようなやつでしてな」


 巧拙はともかく、冗談ほどコミニュケーションに効果的なものも少ない。この場でも笑いが起きた。図体もあって野太く力強い笑い声だった。


「であれば、虫のように踏み潰してやるのがいいでしょうな」


 アリシアは前世で培ったものとして、対人における緩衝能力が高かった。人の表情や動作から、感情や思考を読み取っていく。


 ――こいつは。


 アリシアは援軍として来た将が、純粋な味方ではないことを悟った。とはいえ敵ではない。だが、助けに来た者としては適切ではない何かを感じ取った。そこには保身の類いではなく栄達の類いが含まれており、味方ではない者が栄達を醸し出しているという不穏さに警戒心を抱いた。


 ――でも。


 妙な考えが湧き出た。


(この家が存続したところで、私にとってどれだけの利益になるだろうか)


 そこまで考えたところで、アリシアは目を見開き、己を恥じた。


(なんと利己的な考えだろう)


 信じられなかった。思うことだけで罪だろう。人として大事な何かが欠けているとしか思えない。親孝行がどうとかではない。遠回しに家族や家臣の死と、己の自由を天秤にかけた。自分が人でなしにしか思えなかった。


(大体一人で生きていける力なんてないのに、……いや違う、そうじゃない)


 考えているうちに、父たちの話に区切りがついたようで、間を埋めるように注目がアリシアに向いた。


「――そちらのお嬢さんは、娘さんでしょうか?」

「ええ。――ほら挨拶しなさい」


 アリシアは習った礼儀作法を機械的に行った。


「初めまして――」


 場が少し和む。


「――これはこれは、随分と可愛らしい娘さんをお持ちで」

「いやいや。好き勝手やるから手がかかってしょうがない」

「ははは。大人しいだけではない方が良いという者も最近では増えておりますよ」

「しかしお転婆で困ることばかりでしてな」


 アリシアは、この家で一番我が儘に生きているのはお前だろうと言いたくなるのをこらえて笑みを保った。日本式スマイルだ。サービス業を経験すると嫌でも身につく。建前と本音を使いこなしてみせた。

 ぐっと減った気力を考えるとすぐさまこの場を去りたくなった。

 アリシアは殊勝な雰囲気を出しながら、


「――それでは習い事があるので失礼します」


 そう言って部屋から去った。『好き勝手やる』とその口で言った以上は、その通りにやらせてもらう。顔を見せて話のネタになるだけが役目だ。去っても問題はない。

 マティアスたちとしても、アリシアに特段用があるわけでもないので引き止めなかった。


「いやぁ、年頃の娘は難しくてなぁ」

「それも魅力でありましょう」


 話のネタもいなくなり、元の話に戻ることになった。

 アリシアは自室に戻る間、感情を殺すことに努めていた。


(偉くならないといけない)


 必要なのは力だ。人を従わせるのも、反抗するのも、力がいる。理屈でも正義でもない。


(でも、どうやって)


 それさえ分かればいいのにと。

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