第3話 未練、もしくは

 当初の予定として、食事会が行われた。

 しかし、当然お通夜状態である。全員が全員で何かしら気まずい。アリシアだけは違っていたが、単純に喋ろうとする気がない。

 場を盛り上げる必要がある父のマティアスだけが何とか話題を振っていたが、上手くいっていなかった。我関せずなアリシア、弟のディルは俯いて黙っており、ゼインにいたっては仏頂面だった。


 そもそもこの食事会の意図は顔見せである。確定ではないにしろ、それなりに高い確率で今後行われる婚約についての下準備である。しかしその当事者である二人の出会いは最悪といっていい。マティアスにとって後悔することは多々あれど、今それに浸っている余裕はない。使用人まで使い、何とか抗おうとするが、やはり上手くはいかなかった。


 ――このままでは。


 目的を見直す必要が出た。

 領主として領地を預かる者の責務というものがある。

 現状、領地は平和であるといっていい。が、確定とはとても言い難い不安定な状況でもあった。


 仲を深めようとしているゼインの家は、マティアスの治める領地から西にある地域を治める貴族で、マティアスとしてはここの友好関係だけは絶対に崩したくはないものだった。というのも、アリシアたちが住む領地の場所は、王国領からすると一番西側に位置している。王国に属する貴族であるアリシアの家であるが、ゼインの家は王国と微妙な関係である帝国に寄った家であり、王国からも外交を上手くやるように言われていて、マティアスはその舵取りを求められていた。


 また、領地の北側には山脈、東にはモンスターが蔓延る大森林があり、南側からしか王国の援助は期待出来ない状況にあった。つまり、今はつかの間の平穏を享受出来ているに過ぎない。


 そんなわけで場を盛り上げようとするマティアスだったが、この有り様である。

 頼みの綱はアリシアだった。特別優れた能力は持ち合わせていないが、親しい人間が多いアリシアなら上手く取り持つだろうと、マティアスは思っていた。だからこの状況は誤算だった。それでも何とかしようとするマティアスは間違いなく大人だったが、アリシアからするとそれを察した上でも協力する気が起きなかった。

 しばらく無言が続くと、機を察したアリシアが口を開いた。


「そろそろ私は部屋に戻ってもよろしいですか?」


 マティアスにとっては困る言葉だった。だがこれ以上引き伸ばしても良いことは無さそうなのも事実であり、返答に詰まった。

 そこでさらにゼインによる同意の言葉が続き、アリシアの父はこれ以上は無理であることを悟った。


「……そうしよう。各自、ゆっくり休んでくれ」


 部屋から人が去って、側近の執事だけが残るとアリシアの父は頭を抱えた。


「……どう思う?」


 老執事は気遣った声色で、


「難しい状況といえますが、しかしお嬢様には驚かされました」


 と言い、アリシアの行動を語った。あの出来事は、上から見ていた。


「それはそうだが、今回に関して言えば拗れただけだ」

「侮られるよりマシではないかと」

「そうか? これで向こうがアリシアに対して悪印象を覚えたかもしれんぞ。婚約者とする予定だったが、当人同士が上手くいかないのは困る。あの器量だから大丈夫だとは思いたいが」


 もし現状のまま進めば、政治的要請により当人同士の意思など関係なく婚姻は行われる。そうなれば子供も必要だ。だが、嫌い合ってしまえば出来るものも出来ないかもしれない。

 マティアスの懸念は多い。先が思いやられ、ため息が出た。


「しかし、向こうも武門の家です。剣を扱える者を妻に求めるかもしれませんよ」

「だとしても、自分より強いとあれば話は別だろう。いや、単純な強さでいえばアリシアは明らかに劣っていた。だというのに勝ったというのが収まりが悪い。恨んでなければいいのだが……」


 人は自分より下だと思う存在に負けると、腹を立てるものである。それも子供であれば無理もない。


「いや、待てよ――」


 マティアスは不審がった。

 今思えば何かがおかしかった。人と衝突するようなことがない娘が、客人相手にあのような真似をした。そしてその後もろくに喋ることがなく退出した。何かがおかしい。

 一拍置くとひらめいた。


「あいつ、全てを分かった上でやったのか?」


 自分で言っておきながら、信じられない思いだった。


「いや、だが……」


 館中の人間から好かれている様子を思えば、今回のことはおかしい。何か、腹が立つようなことがあったのだろうか。よく考えれば、その場にいなかったせいで、実際にどんな会話をしていたかが分からない。


「――もしや」


 あの時の状況は、ディルがいたぶられるような状況であった。弟のために怒った。それが一番それっぽい理由だろう。


「……だが、本当にそうか? 何か違うような気もする」




 ◇◆◇




 二泊もするとゼインたちは帰ることになった。その間マティアスは、あれこれとアリシアを引っ張り出そうとしたが、当のアリシアは病気だなんだと理由を付けて全て断ってしまった。元が病気がちだったため、強くも言えずにその意は通った。


――やっと帰った。


 アリシアはため息をついた。


(すぐに元気になってはさすがに露骨すぎるか)


 アリシアは部屋から出ずにずっと考え事をしていた。これからのことについて、ひたすら物思いに耽った。しかし自室でずっと考えていても、いい考えも思いつかず、やっぱり気晴らしに歩くことにした。

 その途中、


「――姉さん」


 屋敷の廊下を歩いていると、弟のディルに声をかけられた。


「何?」

「その、最近何もしてないって聞いたけど」

「うん?」


 ディルの目には、まとまっていない感情が映っていた。


「兵の人から、訓練をサボると腕が落ちるって教わったよ」


 アリシアの中で弟に対する好感度が下がった。

 何を望んでいるのか、何が言いたいのかは言葉から察せれる。だが、だからといって意を汲んであげる義務はない。せめて自分の口から言えと思った。


「何か言いたいことでも? 何もないならもう行くけど」

「……そろそろ父さんに怒られるかもしれない」

「そう」


 アリシアは視線を切って歩き出した。すると、そのアリシアを遮るようにしてディルは体を割り込ませた。


「――待って。訓練、いや勝負しようよ」

「嫌だけど、何で?」

「……勝負してないから」

「する理由がない」

「僕はあの人に勝てなかったけど、姉さんは勝てた。でも僕のほうが姉さんより強いはずだ。だから勝ち負けを決めよう」


 アリシアの目は冷たかった。


「減点」

「え?」

「私が催促するまで、自分の願いを私から言わせようと仕向けたこと。そしてもう一つ、それは自分が勝てるって確信してること」


 言葉に詰まったディル。だが最後の言葉が引っかかり、言葉を出せた。


「僕が勝てないって思ってるってこと?」


 否定すれば勝負だ。ディルはそう思った。

 だが、アリシアは付き合わずに、


「いや私が負けると思ってるよ。――じゃあね」


 と言って、手を振り付いてくるなと示すと、足を早めた。

 気分が悪くなった。やれば自分が不快な想いをするだけのものをやるわけがない。そんなものを持ちかけてくるなと思った。何より腹が立ったのは、自分しか得しないことを、サボりがどうたらや他人がどうとかで人を動かそうとしたことだった。自分が納得したいからと、頭を下げて頼めば良かったものを、もっともらしい理由を付けたのが一番気に入らない。


「でもこれじゃ何も変わらない」


 前世を思い返した。


 ――やけくそでもいい。何かやろう。


 このまま道具として死ぬなんてごめんだった。

 踊りでも歌でもなんでもいい。何か得意なことが見つかるかもしれない。そんな希望を抱いた。



 ◇◆◇



 後日。


「あの――」


 母親に頼むとすんなりと通った。アリシアの母は前々からアリシアが剣を持つことに対して、反対はしないまでも難色を示していた。出来れば女の子らしい趣味を持ってほしいと思っていた。そんなわけでアリシアの提案はたやすく通った。


「じゃあ、講師は私の方で手配しておくわ」


 アリシアは笑顔を作って見せた。周りの従者たちもそれを見て、ほっとしたように笑った。

 その日以降、歌や踊りなどを学び始めた。母に歌劇に連れて行かれた時には涙も流した。


(そういや映画は好きだったなぁ)


 時には吟遊詩人といったような者も招いて、詩や歌も聞いた。種類も、恋愛から冒険譚と、幅広かった。

 聴いた後は、いつもお茶しながら感想を言い合った。


「今日の人、結構良かったんじゃない?」

「声の大きさと勢いで誤魔化すタイプじゃなくて、しっかり聴かせてきて良かったです」

「……あなたがこういう趣味を持ってくれて嬉しいわ。こんなに可愛く生んだのに、あまり構ってくれなかったんだもの」

「構ってくれないって、普通逆じゃ」

「取り戻す気で補充してるわ――」


 ぎゅっと抱きしめられる。アリシアは気恥ずかしくて、顔を逸した。

 気づかないうちに集中力を使っているのか、楽しんだ後は眠くなる。まだ日は高いが、自室に戻ると睡眠を取ることにした。


 最近、よく見る夢があった。剣を振っている自分を見る夢。

 今に不満はないのに、どうしてこういう夢を見るのか分からなかった。未練があるのだろうか。何度も自問したけれど、結論は出せなかった。誰かに勝つ夢でもなく、ただ一人で剣を振っている自分を見ているだけのじれったい夢だった。

 起きると、窓からオレンジ色の日が差し込んでいた。


「夕方か」


 夜まで寝ていたような時間の経過を感じたが、案外時は経ってなかった。

 時間感覚のズレが治るまで寝台の上でぼんやりしていると、遠くで兵たちが訓練している音が聞こえてきた。

 何の訓練なのだろうかと考えると、不意に妙な感覚が生まれた。


 ――命を奪うために毎日訓練するなんて。


 どうかしてると思うも、嫌悪感までは湧かない。今のお嬢様暮らしも悪くない。本当にそう感じている。けれどこの感覚は未練なのだろうか。アリシアは判断が付かない。


(でもやったところでなぁ)


 才能は絶対だ。もしこの世で一番才能があって、一番強くなれるのなら喜んで毎日剣を振るうだろう。だとすれば、今の自分が剣を手に取らない理由なんて、『最強になれないから』だけだろう。英雄に憧れる少年の夢を持ち続けるには、世界や世間を認識してもなお、鈍いままでいられる精神が必要だと思えて仕方ない。


「やってらんねー」


 乾いた笑みが出た。

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