第2話 呪われた死体 2
少し大きくなったメメは、仕事を終えた後、手作りの弓を手に森へ向かうようになった。
森は恐ろしい妖怪が住む場所だ。母にも、どうしても行かなくてはならない時以外は決して足を踏み入れるなと固く止められていた。それでもメメは森に向かわずにはおれなかった。それはメメが狩りを覚えたからだ。
森の奥まで入って行くのはさすがに恐ろしい。しかし森に棲む妖獣の皮を求める狩人や山の民が付けたと思われる足跡がある辺りまでなら大丈夫だなはずだ。そう思いつつ、メメは足を進めた。
やがて、メメはバサバサッという鳥の羽音を聞いた。次の瞬間、木々の梢の先に、青空に染みを付けたかのような真っ黒な鳥が羽を広げて動く様をその目に捕らえた。メメは素早く弓を鳥に向けて射た、鳥はあっという間に森の底へと墜落する。矢を放つ瞬間、最高潮まで達した空気が一気に弛緩する。そ直後、清涼な空気が体を吹き抜ける。何とも言い様の無い心地良さだった。
自分はいつも母と共に魂の抜けた死体ばかりを扱っている。しかし自分で作った矢が狙った獲物に当たり、生から死に向かって真っ逆さまに落ちるその時、メメの内部には火花のような興奮が起こった。
メメは自分の撃ち落とした獲物を拾おうと、叢を踏み分けて進んだ。メメは、その時何か異様な気配を感じ、ハッと息を呑んだ。体はその場に杭で打たれたかのように動かない一方、大量の汗が噴き出した。森の中は薄暗いとはいえ、木々の梢からいくらか光が差し込んでいて、目の良いメメには、むしろ明るすぎる外の世界よりもいろいろな物がはっきり見えるのだった。
そして今、メメの目は、視線の先に、自分と同じ背丈の生き物が背を向けて立っている姿をとらえていた。
(あれは動物じゃねえ……妖怪だ!)
妖怪を目にする事は珍しくない。森の中ならなおさらだ。メメは相手の正体を見極めようと目を凝らした。猿の精か? それならもっとけむくじゃらなはずだ。もしかしたらもっと邪悪な妖怪か?
その時、不意に相手は体をメメの方に向けた。メメはとっさに手にしている弓を構えていた。すると相手は
「ヒーーー!」
と叫びつつ両手を上げ、飛び上がると、走って森の奥へ消えた。メメはしばらくその場に立ち尽くしたまま、自分の心臓の鼓動の異様な速さを聞いていた。
数秒後、動悸が収まると同時にメメの胸にこんな思いが過った。
(あの動きはどう見ても人間だ。いや、そうじゃない、あれは妖人に殺されて妖怪になった人間だ……)
一瞬の緊張と恐怖が去った後、不意に哀れみの感情が込み上げた。
(あいつは永遠に、何かに怯えながら森の中をさまようのか……)
しかしそれも仕方が無いのだろう。あいつは生前、妖人から怨みを買うような何かをして殺されたのだ。そうに違いない……。
メメは以前、母と共に森の中に掘られた穴に放り込んだ男の死骸の、いくらか歪んだいやらしい顔つきを思い出した。同時に女の、貧しい妖人たちの中では珍しい程むっちりしたふくらはぎや妖艶な口元や顎の辺りも。なぜ女が男を殺す事になったか分からない。「女はあばずれだし男も悪党だ。二人共妖怪になって当然さ」と母のネビラは言った。メメは次々と沸き上がる思いを振り払うかのように、射落とした獲物を急いで自分の腰に付けた袋に押し込むと、今日の狩りを切り上げ、家へと急いだ。
持ち帰った獲物はたいがい夕食の足しになる。ネビラはいつもそれをうまく調理して出してくれるが、それでもメメが毎日のように森に行く事に対する不満を隠さなかった。ネビラはメメが森へ狩りになどに行くよりも学校に行く事を望んでいた。学校で「カサン語」というものを覚えて欲しいらしい。カサン語とは、自分達が喋るのとはまるっきり違う響きの、聞いてもさっぱり意味の分からない言葉だ。「カサン人」という、自分達とは違う、立派な服を着た肌の色が薄い金持ちの人達の使う言葉だ。しかしメメは一向にその気が起こらなかった。カサン語など覚えて何になるのか。弔いの文句を覚えれば仕事に使える。しかしカサン語を覚えたって、自分が偉いカサン人と話す事なんて無いのだから意味は無い。メメはそう考えていた。
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