死神の歌
rainy
第1話 呪われた死体 1
少年メメが母親と共に葬儀の仕事を終えて帰宅した頃、一日中村を凄まじい熱で覆った太陽は既に落ちかけていた。
朝、メメが家を出る際、口数の少ない母のネビラはメメに一言こう言った。
「今日の仕事はちょいとやっかいだよ」
実際のところ、やっかいの度合いは「ちょいと」などというものではなかった。家に着くなり、メメは疲れの余り床にへたりこんでしまった。心と体の両方に、何か重い物がずしりとのしかかったかのようだった。
その日、メメと母のネビラはまだ夜も明けないうちにスンバ村の自分達の家を出て隣村のモンスに向かったのだった。
親子が荷台を引いて進む間、すれ違う人々は皆目をそむけて通り過ぎた。中には地面に唾を吐き、
「葬儀屋か! 汚らわしい物を見た! 今日はついてねえ!」
と露骨に口にする者もいた。方舟型の変わった荷台を、死体を運ぶための物だという事を周りの人々は知っていた。母が荷台を引き、メメが後ろから押す。その間、メメは人々の冷たい視線を感じつつ、ひたすら荷台を押す自分の真っ黒な長い腕と脚ばかりを見詰めていた。地平線から顔を出した太陽はたちまちのうちに少年の身体を鞭打つかのような熱線を送り始めた。
メメが母と共にたどり着いたのは、自分達の住む地域ではまず見られないような立派な建物だった。こんな大きな白い木の板の壁家でおぞましい事件が起こったとは、にわかに信じられなかった。高床式のその家の梯子段を、メメは母の後に続いて上がった。広々とした部屋の真ん中に、二つの死体が転がっている。その死体の下に、赤黒い血がまるで敷物のように広がっていた。
「死体の妖怪」は既に煙のように纏わりついていた。赤色と紫色が入り混じった毒々しい気味の悪い色だった。そんな不気味な「死体の妖怪」を、メメはこれまで見た事が無かった。少年の足は竦んだ。母と共に葬儀の仕事をして既に幾百の死体を目にしてきたメメだったが、これ程忌まわしい死体は初めてだった。
部屋の中には、死んだ二人以外誰もいなかった。皆がこの死体に纏わりついた妖怪を恐れて逃げ出したのだろう。ネビラとメメがその死体を運び去った後、恐らくこの穢れた家は二度と使われる事無く焼き払われる事だろう。
「妖人に殺された人は恐ろしい妖怪になる。いつ牙を剥いて襲ってくるか分からない」昔から人々はそう言い伝えてきた。だから自分達「妖人」は世間から忌み嫌われるのだ。二つの死体のうち女の方は、ネビラとメメ親子と同じ「穢れた妖人」である。妖人とは、妖怪と常日頃関わりながら生きている者だ。これ程恐ろしい死体を扱える者がモンス村にはおらず、スンバ村からわざわざネビラが出向く事となったのだ。ネビラは部屋の入り口で、短い呪文を二度唱えた。まるで空気を断ち切るような、勢いのある太く鋭い声だった。すると赤紫色の不気味な妖怪は、サッと死体から離れ部屋の四隅に散った。ネビラはメメの方を振り返り、
「手袋をはめな」
と言った。メメは母に言われる前に腰に付けた袋から草を編んで作った手袋を取り出していた。メメがそれをはめている間、ネビラが迷いのない足取りで部屋の中に入って行く。メメはその後に続きながら、自分の母が人に出来ない事を出来るがゆえに、息子である自分もそれを覚えなければならない事をいくらか呪う気持ちになった。
ネビラは死体のそばに跪いて息子の方を振り返り、
「よく見て覚えるんだよ」
と言うと真っ黒な布を取り出してまず男の死体の顔をすっぽり覆い、頭を持ち上げて自分の膝の上に乗せ、頭の後ろで布の端を縛った。次に男の体をうつ伏せに転がし、両腕を後ろに回して両手首をきつくロープで結んだ。殺したのは女で殺されたのは男。しかしその様子は、殺された男もまた犯罪者として取り押さえられたかのようだった。そのような不運に見舞われる事そのものが罪であるかのように。
次に女の死体にも同じ事をする。それが終わると、ネビラが死体の頭側に立って脇の下を持ち、メメが足を持って外に引きずり出し、梯子段を引きずって下ろし、荷台に乗せる。次に女の死体も。死体はどちらもひどく重かった。メメの身体からは、地面に水たまりが出来るのではという程汗が溢れ出た。二人の死体を荷台に乗せた後、メメはようやく母に対し口をきく事が出来た。
「どうして殺したりしたんだろう」
「男が女にいたずらしたのさ」
「それだけで?」
「たちの悪いいたずらさ」
「男を殺したのは女だろ。女を殺したのは?」
「この家のもんさ」
「その人たち、捕まったりしねえの?」
「捕まらないさ。だって自分の主人を殺されたんだからね。報復だから、正しい事なのさ、彼らにとちゃあね」
「…………」
メメは何とも重苦しい気持ちを抱いたまま、母と共に荷台を引いた。
荷台は人里を抜けると、森へと続く一本道を進んで行く。メメはその時、胸に浮かんだ疑問を口にした。
「『魂送りの儀式』はしねえの?」
メメこはれまでどの死体に対しても、母と共に必ず川の傍で「魂送りの儀式」を行ってきた。それをする事によって、死者の魂はこの世とあの世を隔てる川を渡って光り輝く「安らぎの世界」にたどり着く。
「そんな事しても意味ねえ。二人の魂は妖怪になって森の中に閉じ込められて、永遠に外に出られねえ」
メメはその言葉を聞くなりギョッと体を震わせた。母と息子は、森の入り口から少し入り込んだその場所にたどり着いた。森の中に入ってそう進んでいないのに、急に辺りが暗くなり、寒気が全身を覆った。
「気を引き締めるんだ。森は悪い妖怪が集まってる所だ。魂を取られないように」
メメは母の言葉を聞きつつ、言葉を発する事も出来なかった。口を開けば悪い妖気を吸い込んでしまいそうだ。ザク、ザクと草を踏みしめる母の足取りだけが頼りだった。
「ここだよ」
ネビラが荷車を止めた少し先には、地中に掘られた穴が黒々と見えた。後は無我夢中だった、母と共に荷台の死体を下ろして穴に放り込む間、メメは目をきつく閉じていた。死体から手を離した瞬間、メメは走ってその場を離れて荷台に戻り、その縁につかまった。しばらくしてうっすら目を開く。母のネビラが穴の中にシャベルで土を放り込んでいる背中が見えた。黒い鳥が頭上でギャアギャアと不気味な声を立てて鳴いている。少年メメは、自分が人に殺されるような恨みを買ったり罪を犯すような事は思いもよらなかった。しかしこのような暗い森に自分が永遠に閉じ込められる事を想像せずにはられなかった。想像は絶え間なく沸く一方で、体は石のように動かなかった。
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