『雨の檻に囚われた貴方』

小田舵木

『雨の檻に囚われた貴方』

 天から降ってくる水滴。

 公園のベンチに腰掛けた貴方あなた

 この組み合わせからおおよそ出てこない情景があたしに見えたんだ。

 

 貴方は―檻に囚われている。

 落ちてくる水滴が筋になり。それは鉄格子と化した。

 貴方は囚われている。何で囚われているのかは分からない、何に囚われているのかは分からない。

 

 見えてしまった情景。

 これは私の脳が作り出した勝手なイメージなのか、はたまたメタファーなのか?

 あたしは問いたくなる。

「貴方は何に囚われているの?」この一言で状況がはっきりするかも知れないし、はぐらかされるかも知れない。

 

 だけど。あたしは知りたいんだ。貴方が何に囚われているのか。

 そして。出来ることならこの檻から出してあげたい。

 だって。あたしは貴方に側に居て欲しいから。

 

 貴方は。檻の中に居ることも知らずに天を仰いでいる。

 そして一言。「雨、降ってきちまったなあ」

 あたしはこたえる。「雨、降ってきちゃったね」

 

 貴方はベンチから立ち上がる。

 そしてあたしの方に近づいてくるけど。

 あたしの目には、依然として雨の檻が見えている。

 ああ、彼とあたしには彼岸の距離がある。

 別に冷たくされている訳ではない。だが。彼はあたしに1ミリだって近づいていない。心理的に。

 

                  ◆

 

 貴方とあたしは。

 友人以上、恋人未満の関係に収まっている。

 まったく。くすぐったい関係だ。

 そして。彼はあたしに。何も本心を見せていない。

 一応、友人以上の付き合いはしているけれど…あたしの女の勘が言っている。

 

 

 あたし達はティーンエイジャー、高校生で。

 凡そセクシャルな事はしていない。昔風に言うとプラトニックな関係だ。

 だが。よく行動は共にしている。

 傍からは付き合っている、と見なされているが、あたし達は付き合ってない。

 あたしは奥手だし、貴方は何を考えているのか分からない。

 

 そう。貴方の考えが私には読めない。

 そもそも。何で行動を共にするのかさえ分からない。

 貴方には悪友が数多あまた居て。彼等と過ごすほうが気楽なはずなのに、あたしに付いて回ってくる。

 もちろん。あたしは貴方に好意を寄せているから拒みはしない。むしろ積極的に受け入れる。

 

 しかし。行動の理由が見えてこない相手ってのは不気味だ。

 あたしは下心では貴方があたしに近づいて来ることを喜んでいるが。

 冷静なあたしは疑っているのだ。貴方の行動を。

 

「まったく。分からんなあ」とあたしはボヤく。教室の隅で。

「何が分からないんだよ?」あたしの前の席で漫画を読んでいた貴方は言う。

「ん?この世のすべてが分からん」あたしは適当に誤魔化ごまかす。

「そういうモノだろう、世界ってのは」

「そうやって。それっぽい統括出されても納得出来るかい」

「しかし。分かろうとすると、多大な労力がかかる」

「その通り。そしてあたしは大して頭は良くない」

「バカはバカなりに世界を見とけってな」

「あたしはバカには成りきれない。中途半端に聡いんだよ」

「そういうアホが一番面倒くさい」

「悪かったな」

「ま、深く考えんなや」

「へいへい」

 

 貴方は深く考えるな、と言うけれど。

 アホなあたしにはヴィジョンが見えちまった。

 何かに囚われる貴方。

 あたしは知りたい。その事実がパンドラの匣であろうとも。

 

                  ◆

 

 一度見えちまったヴィジョンってのは。しつこくあたしに付きまとう。

 ちょうど季節は梅雨で。よく雨が降る。

 その度に。

 雨の檻の中に囚われた貴方が見えてしまうのだ。傘を差していようと。

 

 傘を差した貴方には。

 あたしは近寄る事が出来ない。傘が邪魔なのだ。

 あたしはもっと。貴方の事が知りたい。

 知ってしまう事で何かあろうとも、あたしは知りたい。

 

 だが。依然として貴方はあたしと距離を取っている。

 表面上は親しくしてたって、貴方の『何か』が見えてこない。

 ああ、もどかしい。

 そして人間の知りたいって欲求の強さに驚く。

 

 あたしは。貴方の秘密を暴きたい。貴方が隠している事さえ愛したい。

 

                  ◆

 

 依然として距離が縮まらないまま。季節は巡る。

 あたし達は初めて夏を共に過ごす。

 うん。貴方と知り合ったのは高校に入ってからだから。

 

 初夏の道。貴方は何故か長袖のシャツを着たまま。

 あたしは暑いだろうに、と思うのだが。

 

「ね?暑くない訳?延々と長袖着てるけど」思わず口にしてしまった。

「あ?あー…ね。俺さ、日焼けし易い上に日焼けが重症化しがちなんだわ」

「女の子かよ」あたしは突っ込む。

 

 彼は妙に中性的なルックスをしている。

 思春期、第二次性徴を迎えた男ってのは男臭くなっていくものだが。

 彼は未だに少年と少女の間のような見た目なのだ。

 

「一応、男性器付いてるっての」

「ホントにぃ?」

「何なら掴んでくれて良い」

「それは―」止めておこう。あたしの何かが破裂してしまう。

「ジョークだよ」

「たいじょぶ、マジで取ってないから」

「ホントかね?エラい動揺してたぜ」

「…女の子にちんちん掴めって言ってさ。動揺されないって思ってんの?」

「いや。お前は女の子って感じしないもん」

「どーゆー意味だよ」

「なんつうか…悪友?」

「ま。あたし、女っぽくはないからな」あたしはベリーショートの髪型で。妙に男性的な顔立ちをしている。うん。いまだに男だと勘違いされる。

「髪伸ばせよな」

「面倒くさいんだよ、夏は暑いし」

「もったいない」

「なんなら、アンタが伸ばせば良いじゃない」

「俺が伸ばしたら、マジでそっちになっちまう」

「それも一興―」と言ったところで。彼の顔が妙に曇る。「拙いこと言ったかな?」あたしはフォローを入れる。

「…いや。別に大丈夫」

「なら良いんだけど」

 

                  ◆

 

 夏ってのはどうしてこうも暑いのか。

 あたしはエアコンの効いた教室から青く澄んだ空を眺めながら思う。

 

 前の席の貴方は。未だに長袖を着ていて。何ならそのまま夏休みに突入しそうな勢いだ。

 

「な。夏休みどーするよ?」前の席の貴方が振り返って言う。

「ん?あたしゃ夏期講習で潰れるよ」

「クソ真面目なこって」

「しょーがないだろ、大学の付属校落ちちまったんだから」

「お前が頭が良いのは意外だよ」

「悪かったな、見た目に合わん感じで」

「まあまあ。夏期講習が終わったら暇だろ?どっか行かね?」

「んーじゃ、プール行くか?」あたしは提案する。水着姿で貴方をヤッてしまおうという下心アリで。

「…俺、カナヅチなんよ」

「マジでか」 

「マジマジ。水に浮かねえの」そう言えば。コイツはプールの授業を全て見学している。体調が悪いとかで。

「だけど水辺で戯れるくらい出来るだろ?」

「いや。水辺がNG」

「大概だなあ」

「ま、勘弁してくれや」

「んなら。夏祭りにでも行くか」

「それなら大歓迎だ」

「うっし。夏期講習さっさと片付けるか」

「頑張れ」

 

                  ◆

 

 夏休みに突入して。

 あたしはしばらく貴方の事を忘れていた。

 しょうがないじゃないか。クソ厳しい進学塾の夏期講習をこなしていたんだから。

 だが。そんなクソ行事もあっという間に終わり。

 

 今日は夏祭りだ。

 夕方だってのに賑わってやがる。

 あたしは浴衣姿だ。親が何故か押入れの奥から出してきやがったのだ。妙な笑顔で。

「そんなんじゃないっつーの」ってあたしは親に言ったけど。

「そんなんでしょうが」母親は聞く耳持たなかったね。

 

「う〜い待たせたな。って浴衣かい」やってきた貴方は相変わらずの長袖姿。

「浴衣だよ。親に着せられちまった」

「馬子にも衣装とはよく言ったモノだ」

「馬子とはなんだね」

「お前は浴衣って柄じゃない」

「まあね。それは自分でも分かってら」

「ま、そんな姿してるんじゃ楽しむっきゃねーわな」

「だべ、さ、行くぞ祭りに」

 

 あたしと貴方は。

 茜色の夕方の中、祭りを堪能する。

 いやあ。浴衣ってのは歩き辛い。

 隣のアホはスタスタ歩いていきやがるから必死こいて着いていったさ。

 

 そんな風に祭りを楽しんでいたんだが。

 急に雨が降ってきやがって。

 ああ、夕立だなあ、とか思ったけど。

 あたしも貴方も傘を持っていなくて。

 結局ずぶ濡れになっちまった。

 

「やられちまったな」と雨に濡れた貴方は言う。

「これ、濡らして良いやつだっけな…」あたしは浴衣が気になってしゃあない。

まずいんじゃねえの?」

「和服って普段着ないから扱いが分からんよな」

「一応、何かしらはしといた方が良いかも」

「…幸い。ウチ近いし、寄ってくか」

「そうしとけ、そうしとけ」

 

 そんな訳であたし達は。

 あたしの家に退避することにした。

 

                 ◆

 

 しっかし。家に初めて男を連れ込む事になっちまった…のだが。

 ああ、玄関にしっかり居やがったね。あの母親が。

「あーアンタやっぱり浴衣びちょびちょにして…んで?隣の彼がそうな訳?」

「少し黙っててよ」

「…はいはい。ま。着替えてシャワー浴びなさいよ。隣の君も」

「…お邪魔しますね〜」なんて貴方は言って。

 

 あたしはとりあえずシャワーを浴びる。

 その間、貴方はウチのリビングに。今頃母親の質問攻めにでも遭っているのだろう。

 あたしはさっさとシャワーを浴びて。貴方に順番をパスする。

 

「いや。俺は良いから。着替えねぇし。今の季節なら外で乾かせる」

「いーの。ウチでシャワー浴びていきなさいな」母がそう貴方に言う。

「…でしたら。お世話になります」そう言って、彼はウチの浴室に消えて行った。

 

「で?何処までいってるのさ」リビングに残ったあたしと母の会話の始まり。

「付き合ってすらねーよ」

「この奥手め」

「親がそそのかすなよ」

「いい子じゃない、彼。ちょっと話したけど、いい感じの受け答えだったわ」

「何を話したんだか」

「世間話」

「まったく。おせっかいババァめ」

「おばちゃんは若いもんの恋路を見守る義務がある訳さ」

「親でしょーが」

「親だからこそ尚更。いい子と付き合って欲しい訳」

「あっそ」

「そ…あ、しまった。浴室にバスタオルの換え置いてなかったわ」

「…持ってく」

「覗くなよお?」

「覗かないよ」

 

 あたしはバスタオルを持って、浴室へ。

 問題があったとすれば、タイミング。

 そう。シャワーから上がった彼と鉢合わせをしてしまい。

 そして。あたしは知ることになる。

 彼の秘密を。

 

                  ◆

 

「―見られちまったか」彼は振り向きながらそう言って。

「見ちゃいました」とあたしは茫然自失気味で応える。

 

 彼の背中から両腕にかけて。無数の傷痕があった。

 ありとあらゆる種類の傷跡。切り傷、打撲痕、火傷痕、凍傷痕、締め痕…

 ああ。見てはいけないモノを見てしまった。

 同時に。彼が見えてこなかった理由も分かった。彼は大きな秘密を隠していたのだ。

 

「見られたからには…しゃあない」

「…しゃあないで済む話?」

「一応は済むのかねえ」

「一応はって言い方が引っかかる」

「ま、色々ある訳さ」

「そう。ま、このタオルで体拭いて」

「おう」

 

 あたしはタオルを渡して。浴室を後にする。

 

                  ◆

 

 夕立で冷えた公園。

 そのブランコにあたしと貴方は座る。

 

「で?」あたしは促す。もう、パンドラの匣は開いてしまったのだ。否応なしに知るしかないのだ、彼の秘密を。

「ん。まあさ。ウチ複雑な家庭でしてね」

「…離婚?」

「そそ。ま、原因は―元オフクロの虐待なんだけどさ」

「体中の傷…お母さんに?」

「そ。愛情表現が歪んだヒトだったんだな」

「お父さんは気づかなかったの?」

「あるポイントまではな」

「…言えなかったのね?」

「言えなかったね。殴られたりする俺が悪いって思ってた」

「バカだなあ」

「ってもよ?産みの親だからな」

「愛してたの?」

「俺はね。オフクロが好きだった」

「お母さんは?」

「どうなんだろうな?今はもう知る由もない」

「…」あたしは言葉を失う。何を言ってあげれば良いか分からない。

「ま、いきなりこんな事知ったって―何も言えないよな」貴方は寂しそうな顔でブランコを漕ぐ。

「簡単な言葉で形容したくないから」

「ん。安い同情なんかされるよりは、そういうリアクションの方がマシだ」

「そ」あたしはブランコを漕いでみる。彼のブランコにリズムを合わせたい…言葉に出来なくたって、あたしは側に居るのだと。


「…」

「…」

 

 二人共無言のまま、ブランコを漕ぐ。

 あたしたちのブランコは微妙にリズムがズレて共振しない。

 それはある種のメタファーでもある。

 貴方は―

 ああ、それを想うと。妙に切ない。あたしは彼を分かってあげたい。どんな形であれ。それが惚れちゃったって事だと思う。

 

「ついでだから。全部話してしまおうかな」

 

 彼はふとそんな事を言う。

 全部?どういう意味だ?彼の秘密は一つではないのか?

 

「全部、ねえ。あたしはそれを知る資格があるのかな?」

「資格なんて関係ない。俺は話して楽になってしまいたい」

「…貴方は―囚われている」

「そうだ。俺は囚われている」

「貴方は何で囚われているの?」これは聞かなくてもいい事だと思う。知ってはいけない。知ってしまったら…貴方とあたしの関係は終わるかも知れない。

 

「俺は。母親という生き物に囚われている」

「…」 

「今の母親。継母ままはは。俺はアイツに―」ああ、聞きたくない。嫌な予感が駆け巡る。産みの母親の虐待は前座に過ぎなかったのだ。貴方はそれよりも大きな何かを抱えてる。それに囚われている。

「…アイツに?」あたしは知りたくないと思いながらも。同時に知りたいと思っている。知って…知って?どうしたいのだろう?ああ、人間の知りたいという欲求は罪だ。

 

「――性的に虐待されている」彼は言い放つ。

「…」

「しかも。それを受け入れている」

「…」ああ、聞かなきゃあ良かった…

「何でだろうな。俺はさ、どんな形であれ、母親に愛されたいらしい。それが歪んだ形であれ」

「…それを。何であたしに言ったの?」

「お前には知って欲しかった。俺がどんな人間なのかを」

「でも、貴方は理解されるつもりはない」

「…そうだ」

「ある種の拒絶だよ、それは」

「だな。お前を遠ざけたいのかも知れない…このままだと愛してしまいそうだから」

「こんなタイミングで告白しないでよ!!」あたしは半泣きで叫ぶ。

「こんなタイミングじゃなきゃ言えなかった」

「永遠に黙っていてくれれば。あたしは貴方を愛せたのに」

「やっぱ。拒絶されるよな」

「そりゃそうだよ」


 あたしと彼のブランコは。

 一拍ズレたタイミングで揺れ続ける。

 これもまたメタファー。

 あたしと貴方は。永遠に理解しあえない。そして共振することもない。

 彼は檻に囚われたまま。あたしは彼を檻から出すことは叶わなかった。

 ああ。さよなら。もう。貴方とは…

 

                  ◆

 

 あんな事があって。

 あたしと貴方は永遠に分かたれる事になった。

 

 新学期になると。前の席の貴方は消えていた。

 退学したらしい。理由は…分からない。

 そして。何処に消えたのかも知らない。

 

 あれから。もう10年も経つ。

 あたしは大学を出て、社会人になって、恋人だって居る。

 だけど。雨の日になると…何時だって思い出してしまうのだ。

 雨の檻の中に居た貴方を。その中で死んだ目をしていた貴方を。

 ああ、あたしは。今更後悔しているのだ。彼を拒絶した事を。

 でも、もう、あたしの眼の前で降る雨の中に。あの檻はない。

 貴方が囚われていた雨の檻は何処かに消えていった。


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『雨の檻に囚われた貴方』 小田舵木 @odakajiki

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