逃避行未満
惣山沙樹
逃避行未満
今となっては俺とお前の関係に名前をつけたくないけれど、不便だから呼び名を与えるとしたら「幼馴染」でまあ間違いはないのだろう。
いくつかの町が合併してできた関西のクソ田舎には子供が少なく、同い年で家も近かった俺たちは当然のように登下校を共にしていた。
名は体を表わすとか何とか言うが、俺たちの場合はちぐはぐで、お前は
お前との一番印象的な記憶を辿るとしたらやはり小学四年生の時だ。お前が俺の家に来ていて一緒にバイオハザードをやっていて、飽きたから放り投げて床に寝転んでいたんだ。うだるような暑さだった。お前が唐突に言った。
「賢人、あのさぁ、やってみたいことあるんやけど」
「何?」
「キス」
「はぁ?」
確かに暑いが頭が沸くほどか? 俺は悪い冗談だろうと決めつけてそのまま仰向けになっていた。そしたらお前がのしかかってきやがって無理やり唇を奪われた。
「……アホなん?」
「うん、アホ」
不思議と悪い気はしなかったのはつまりはそういうことだろうか。その夜俺は自分のものをいじくりまわして精通を経験した。
だが、それだけだった。お前は翌日もいつも通りに通学路で待っていたし、普通に授業を受けて普通に給食を食べて普通に下校した。
当時俺はすでに酒屋を継がされることはわかっていたし、学校のお勉強なんて算数ができれば何とかなると思っていたし、お前が読んでいたような宮沢賢治や中原中也にはまるで興味がなかった。
そしてお前はどんどん勉強ができるようになっていった。ついには東京の名の通った大学に合格して卒業後は霞が関。うちの集落はお前の話題で持ちきりだった。
お前からの連絡はクソ田舎に帰ってくる時だけだった。常に連絡をとっていたいだなんて言えるはずがなかった。俺は早く嫁を貰えだの孫の顔を見せろだの両親にも祖父母にもうるさく言われていたし、男同士の未来なんてその時とっくに諦めていた。
それは九月に入ったばかりでまだ蒸し暑い日。風情もなければ感傷も無い季節にお前は死んだ。住んでいたマンションの十九階から飛び降りたのだと聞いている。
困ったのが、お前に特段勤務中おかしな様子もなく通院しておらず薬も飲んでおらず、それなのに自殺して遺書を俺だけに残しやがったことで、葬式の時にお前の母親から渡されて早く内容を読んで欲しいと急かされたことだ。
「友達でいてくれてありがとう、って書いてありました。それだけです」
咄嗟にそう言えたんだから大したもんだろ。ただの酒屋が即興で作ったにしては上手いと思うから褒めてくれ。
本当はこうだ。
「愛してた。賢人を連れてどこか遠くに行きたかった。それはできないし、きっと賢人も望んでいないだろうから、この気持ちだけ伝えて死ぬ」
思えばあの時がおかしかった。盆だから帰ってきたとお前と酒飲んで庭で花火してタバコ吸って、ほろ酔い気分でバケツの中の花火のカスを見つめていた時だよ。
「なあ賢人、ちょっと目ぇ閉じて?」
「あぁん? うん」
俺は素直に目を閉じた。すると、右腕に鋭い痛みが走った。
「あ……あっつぅ……!」
お前さ、タバコ押し付けてきたんだよな。根性焼きだ。
「何やねん、いきなり何やねん疾風! 何するねん!」
「ごめん、嫌やったよな、ごめん」
「お前さぁ、いっつも何考えとるんかわからへんねん! ちゃんと説明せぇ!」
「これは、その、うん……ごめん」
さすがに腹が立ったからお前のこと追い出して、とりあえず洗面所行って水をあて続けて、疲れたし諦めたしで寝たけど、あれがお前と会った最後の日になったんだよな。
こうなった今ならわかるよ。なんとなくな。うん。
お前さ、一度でも俺の気持ち確認してくれたことあったか。それは俺もなんだけど。代わりに右腕に残った丸い痕はこの先何年かかっても消えそうにないし、つまりはそういう方法をお前が望んだっていうことなんだよな。
どっかの映画みたいに、拳銃ぶっぱなしながら強盗して金巻き上げて警官殺しながら車で逃げればよかったんじゃないのか。最後はハチの巣にされて終わり。そっちの方が派手だ。
相変わらずクソ田舎にはクソな親戚とクソな隣人とクソな客しかいないけど、俺はこのままここで暮らしていくよ。今はお前が自殺したことで集落は騒然としているけれど、じきに噂も止むだろうし、お前の存在もいつか忘れ去られていく。
あんな遺書とあんな痕まで残したくらいなんだから、俺に覚えていてほしいんだろ。大丈夫だよ。命日になったら、お前の墓にストゼロぶっかけに行くし、線香の代わりにマルボロ吸ってやる。そういうことでいいだろ。
逃避行未満 惣山沙樹 @saki-souyama
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