第3話

小さな寝息が聞こえる。ミルフィーユ邸から馬車に揺られて数時間、ヴェール様は眠ってしまった。

無理もない。いくら自分たちで準備したこととはいえ、今日一日でいろいろなことが起こりすぎた。


今日は私たちの人生が大きく変わった日だった。

家も何も捨て、お互いだけがそばにある。きっとヴェール様は私のことを信頼して、ここまでついてきてくれていたのだろう。

私も彼女を想い行動してきたが実は二つ、実は彼女に言ってなかったことがある。


ひとつはずっとずっと前から、彼女のことを好きだったこと。


本当は入学式のあの日、あなたを見て一目惚れしました。絹のような艶やかな黒髪にスッと通った鼻は絵画の中の女神みたいで、どうやら本人は気にしているらしいつんと上向きの唇も高貴な雰囲気と相まって高嶺の花としての美しさを際立たせている。

その姿は今まで見た誰よりも美しくて他の何よりも欲しくなった。


どうにかしてヴェール様とお近づきになって私だけのものにしたい。そう願ったけど、身分の差も、性別も、何よりあの王子の存在も、すべてが邪魔だった。


あの王子に近づいたのも本当は私から。

ヴェール様のことを少しでも聞き出そうとタイミングを見計らって何度も話しかけた。最初こそ不審がられたが諦めず何度も繰り返したらうまいこと絆されてくれた。

今思えば学園の中とはいえただの子爵令嬢の私が王族に話しかけるなんてなかなかリスキーなことだが、むしろその無遠慮さが彼には新鮮に映って刺さったらしい。


王子からヴェール様の家についても聞いた。

娘を道具としか見ていない両親の元、王妃教育にほとんどの時間を割いてきたヴェール様は育ちのいい上品な方だけど、言い換えれば箱入り娘だ。

王子を捨てて二人で逃げましょう、そう囁くと笑ってしまうほどすんなりと乗ってきた。


まあそうなるよう仕向けたのは私だけれど。

可哀そうに、あの頃彼女は一目見て分かるほど弱りきっていた。大好きな婚約者の浮気による悲しみ、家での立場がなくなることへの不安、恋人を奪った女への怒り、負の感情に支配されていた。だからいつもピリピリしていて、私が少しちょっかいを出せばすぐに怒り出して、時には頬をはたかれることもあた。それを見た人々はいかにヴェール・プラリネが恐ろしい女であるかを口々に広め、遠巻きにし、そうして簡単に彼女は孤立した。


そんな彼女の孤独に私はつけこんだ。

周囲から距離を置かれている彼女に一人声をかけ続け、私だけがそばにいると言い聞かせた。孤立していたことも、家族の話も同情を引くためだけに用意した嘘。

自分と同じ一人ぼっちの可哀そうな少女、そんな幻想を私に抱き


あくまで二人で、ということを強調した。他の人は見捨てたけど私だけはあなたを必要としていると伝わるように。


そんなことしたらあなたの立場が無くなるのは目に見えているのに。あなたが断れないとわかっていて、あなたの退路を断つためわざとこうしました。

ごめんなさい、あなたのその純粋さに、弱った心につけこんだ私を許して。


それともう一つ。最後に殿下に言われた言葉。

ヴェール様には結婚を申し込まれたと言ったが、あれは真っ赤な嘘である。

本当は私についてなどほとんど話していない。


「ヴェールにしばらくしたら戻ってくるよう伝えてくれないか。城で弟たちの教師として雇うから。」


それが彼の言葉、最後までヴェール様のことを気にかけていた。

彼はずっとヴェール様のことを嫌っているわけではなかった。


はじめ、彼からしきりに声をかけられるようになった時はこのまま王子を私に惚れさせてヴェール様との縁を切らせればいいじゃない!

そう思っていたけど、そう上手くは行かなかった。


他の女性に目移りしていても、ヴェール様のことを忘れたりはしていなかったのである。

いくら私が愛を伝えたところで、口ではこちらの言葉に応えつつも本気になっていないことは目を見れば明らかだった。


そこで別の策を思いついた。

私を好きになってもらわなくてもいい、周りがそう勘違いしさえすれば良い。


だから噂が出回ったときも真っ先に否定していたがその分私が肯定して回った。そうしたら殿下のそれは照れ隠しだとみなされてむしろ逆効果となり、余計に悪化していった。

批判を無視してそのまま二人の結婚を強行していたら王家への不信感も高まっていただろうし、何よりヴェール様自身も苦しい立場に置かれることになるだろう。

しかしどうすればこの状況が収まるのかが分からない。


ヴェール様本人にも冷たく当たられるようになったうえ、増えていく私からの告げ口と婚約者の悪評に殿下もまた心を追い詰められているようだった。

どうすればいいんだ、そう嘆く姿を何度も目にした。


殿下にそっと近づき、囁く。

ヴェール様を試してみては?


その言葉に動揺し、なんてことを口にするんだと怒る殿下に卒業パーティーでの婚約破棄について説明する。


「その場になればきっとヴェール様は素直に謝罪されるから、それを貴方が受け入れるという一連を見せれば彼女への悪評も改善されるはずですわ。証人は多い方がいいですから、人が集まるところの方がいいでしょう。」


この為にヴェール様が私に嫌がらせをしてくると、殿下に度々虚偽の告げ口をしつつも、


「でもそれは殿下を想っているからこそですわ。」


と彼女が殿下を一途に愛していることを伝え続けた。


だから今日の大広間で、彼女が頭を下げたりせずに罪を受け入れてひどく動揺しただろう。

あの場で反省した様子を見せれば有耶無耶にできたかもしれないのに、悪びれもせず開き直ってはもはやヴェール・プラリネに情状酌量の余地は無い。その悪女を許すなという機運が高まり自分から言い出した手前もう後には退けず、他にヴェール様を守る方法をあの時間で模索し、婚約者という立場は難しいとしても彼女を城へ呼び戻しやり直そうとしたみたい。


私が見るに、確かに殿下は浮気な人だけど、それでも本当にヴェール様のことは特別だったんだと思う。


これが本当に厄介だった。


それでも彼だって、悪いところはあった。

本当に幼いころから一緒にいるせいでヴェール様が隣にいて当然だと思っているところがあり、だから何をしようとどうせヴェール様は自分のもとに帰ってくるだろう、そんな傲慢さが会話の節々から透けて見えていた。


忌々しい男。

私が三年かけてやっと手に入れたものを最初から与えられていたくせにその有難みを全く理解せずいい加減に扱うんだから。

でもお生憎様、その気持ちは肝心のヴェール様本人には伝わっていなかったみたいね。


目の前で眠る愛しい人の頭をそっと撫でるとくすぐったいのか少し身じろいだ。いつものツンとすました姿とは違って飾らない様子につい微笑ましさを感じると同時に、きっとこんなところ見れるのはもうこの先私しかいないんだという仄暗い優越感が湧いてくる。


寝ぼけたヴェール様が口にした


「本当に好きだったのに…。」


という言葉を聞き、きっと私がいなかったらそのまま二人は卒業後結婚し、幸せに暮らしていただろうと思う。


でも罪悪感などない。

本当は結ばれるはずだった二人を私が引き裂き、ヴェール様を連れ去った。

こんなに気分のいいことはない。


月のない夜に、初恋を連れて私は全ての罪から逃げ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月のない夜、私たちは逃げ出した @sanma_love

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画