長くて短い君と僕とのワンナイト
ナナシリア
長くて短い君と僕とのワンナイト
明日も学校で、明後日も学校で、明々後日とその次の日は塾があって、それが明けるとすぐに学校。
つまらないことの繰り返しで毎日が長く感じて、同じことの繰り返しで毎日が短く感じる。
眠い目を擦りながら単語帳を開き、わからなかった単語をノートに書き殴る。
いや寝たいし。
でも、毎日百単語覚えると決めた以上、それを放棄したくなくて、僕は眠気を追い払おうと――。
眠い。なかなか集中できない。
気分転換に夜の街を散歩するのも悪くない。僕はシャツも着替えずサンダルで家を出た。
この街は都会というわけではないから、この時間になると明かりはほとんど消えている。
夜の街はどこか解放的な気分になる。夏特有の重苦しくも清々しい空気を胸いっぱいに取り入れ、眠気を覚ます。
澄み切った視界の先に、美しい黒髪の少女がいた。
自分が言うのもなんだが、こんな真夜中に外を出歩くなんて珍しい。
彼女も同じことを思ったのか、こちらと目が合う。
ちょうど彼女がいた場所が公園だった。
僕は引き寄せられるようにそちらに向かった。
彼女の前に立って、彼女と目を合わせる。
それは、俺も見たことのある人だった。
同じ学校の、同学年。隣のクラスの人気者が、そこにはいた。石黒菫。
「白井くん、なんかつらそうな顔してるね?」
ごく自然に、まるで友達に話しかけるように彼女はそう言った。話したこともないのに。
僕がつらかったのは彼女の言うとおりだったから、彼女の言葉に耳を傾ける。
「話、聞こうか?」
「……たいしたことない、ありふれた話だよ。石黒さんが気にかけるほどのことじゃない」
「わたし、白井くんが心配だから。話したら楽になると思う」
彼女は学年での評判の通りに優しい人だった。
こういう人に惹かれるのは、僕みたいな平凡な人間の常だ。
僕は、仕方なくといった体を保ちながら話す。
彼女は、僕のありふれた話も深刻そうに聞いてくれた。
「白井くん、大変なんだね……」
「でも僕がこういう道を選んでしまったからやるしかない」
「そっか。白井くんは、強いよ」
それっきり、会話が途切れる。
照れくさくて、どうやって返すべきか考えつかなかった。
「ちょっとだけ、一緒に歩かない?」
彼女は僕に手を差し伸べて笑う。
「わかった」
石黒さんの手に触れるのは恐れ多くて、彼女の手を掴まずに立ち上がる。彼女は頬を膨らませた。
しかしすぐに切り替えて歩き始める。僕は彼女の後ろをついて歩いた。
「どこに向かっているの?」
「ちょっとだけ、都会に」
都会に行ってなにをするのか。彼女は遅くまで帰らなくても不都合はないのか。
疑問が尽きない中、時刻は二十二時を回った。
彼女は僕に時折話しかけながら、確実に公園から距離を取る。
「この辺だよ。そろそろ」
そこは、地元では有名な飲み屋街のはずれだった。高校生がこの時間帯にいるにはふさわしくない場所。
「はい、ここ」
飲み屋街の喧騒が遠く聞こえる。
「ここは――」
いったいどこなのかと周囲を見渡す。
「……ホテル?」
ホテルはホテルでも、旅行者用のホテルではなく――。
「白井くん、来たことある?」
「あるわけないでしょ。どういうつもりなの?」
強いて言うなら、カップル向けホテル。僕には無縁だと思っていたが、まさかこんな形で近寄ることになるとは。
「一応休憩用プランとかあるから」
「いや、それは休憩を想定してないでしょ」
「じゃあなにを想定してるのかな? かな?」
優しい人間だと思ったら、毒があるタイプだった。
それなら髪の毛を警告色に染めておいてくれよ、と毒づく。ああもう毒まみれだよ。
「石黒さんはこういう場所の常連なわけ?」
「んー……。まあ、人並みには」
僕の想像とは基準が違うみたいだった。
「無理にとは言わないから、白井くんが嫌ならさっきの公園まで戻ろう」
こういうところで出してくる微妙な優しさも、今となっては少し嘘くさい。
ただ僕のちょっとした感情一つで気を遣わせてしまうのは石黒さんに申し訳ないので、おとなしく受け入れる。
「まあ、いいよ。高校生もこういうところは入れるの?」
「うん、余裕」
彼女は手慣れた様子で受付を済ませ、あっという間に僕たちは部屋の中にいた。
さらっと宿泊料金にしていたのが気になるところではあるけど、たまたま僕は使い道のない大金が入った財布を持っていたので、なんとか払えそうだった。
「シャワー、浴びちゃう?」
「浴びない」
冗談めいた風に言った彼女にきっぱりと返す。
「泊まりで部屋取ったから、シャワー浴びたくなったら浴びていいよ」
それから僕たちは話をした。彼女は本当に休憩所として利用することになる覚悟でここを訪れたらしかった。
「だから、わたしは本当に白井くんに迷惑をかけたくないとは思ってるの」
「その気持ちは理解した。だけど、なぜラブホ?」
他にも選択肢はあったはずだ。特に、僕みたいな男子に対してこの場所を選ぶのは理解しがたい。
「迷惑をかけたくないとは思ってるけど、それ以上に白井くんとコミュニケーションを取りたいなって」
彼女の指す「コミュニケーション」が、一般に言う「コミュニケーション」とは別物だろうことは理解できた。しかしそれでも違和感は消えない。
「どうして?」
僕は他人から求められるような人間ではない。それはこれまでの人生からよくわかっている。
「本当はね、誰でもいいんだよ」
予想できたはずだが予想だにしていなかった事実を知る。
それは当然のことではあるけど、求められていたのは僕だというわけではないと知って少し悲しい気持ちになる。
「白井くん、もう寝ちゃお」
石黒さんの細い腕が僕の手をつかんでベッドに引っ張る。
想像以上に華奢なその体が、抵抗したら折れてしまいそうで、僕は大人しくベッドに倒れこんだ。
「わたしと、一緒に、さ」
普段の彼女からは考えられないような蠱惑的な笑みは、雪のような儚さをまとう。
彼女の吐息が熱い。
「明日も、学校はあるのに」
「大丈夫。そんなに時間はかからないから……」
さっきよりも一段と甘くなった声に溶けてしまいそうだ。
僕よりずっと大人な同級生の彼女に、身を任せる。
二人がここに入った後に、外では雨が降り始めたらしかった。
しとしとと降り注ぐ雨の音が冷たい。
熱い体は、抱き枕のようにやわらかかった。
浮上。
知らない空気が僕には新鮮だった。
はっと目を覚ます。
隣には誰もいなかった。昨夜あんなに近づいた彼女は、夢のように消えてしまった。
でも、夢じゃない。だって僕が、ここにいる。
ゆっくりと身体を起こす。昨日はあの後お風呂に入り損ねてしまった。
シャワーのお湯は、家のお湯より触り心地がよかった。こういうところにも力を入れているのか、と驚愕する。もしくは、ただの心の持ちようか。
机の上には二人分の宿泊代が置いてあって、そのお金は彼女の細い体のどこから湧いてるのかわからなかったが、ありがたく受け取っておく。
若干緊張しながら受付に行っても、誰も不審がることはなく、支払いが完了する。
僕はそこでようやく時計を見た。
今日も学校はあるのに、時刻はもうすでに一限の開始時刻を過ぎている。
「白井が遅刻なんて珍しいな。遅刻の時は連絡するように、次回は気を付けること」
二限の途中から授業に参加する。案外あっさりとした注意で僕は完全に日常に戻った。
二限目の数学は僕が来た頃にはすでに生徒の大半が夢の世界へ旅立っていて、三限目の体育は隣のクラスと合同だ。
「やっぱ石黒さん可愛いよなあ」
「お前またかよ」
遠くで男子が石黒さんについて話しているのが聞こえて、僕も気になって視線の先を見てみる。
彼女はこちらを見向きもせず、自分を取り囲む女子たちと、いつも通りの優しげな笑顔で会話していた。
その花のような笑顔を見ていると、昨夜見た儚げな笑顔がフラッシュバックして、僕は目を逸らす。
僕が彼女となにをしようが、彼女の立場とか表情が変わることはない。
一夜限りの関係とは、こういうことを言うのか、と実感する。
「白井、次だよ」
僕は目を瞑って、目を開いた。
長くて短い君と僕とのワンナイト ナナシリア @nanasi20090127
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