それを墓となす

鍵崎佐吉

葬儀屋

 葬儀屋なんて言えば聞こえはいいが、結局俺たちの仕事は死体がゾンビになる前に処理することだった。魔王の呪いだか邪神の祟りだか知らないが、俺たちが生まれた頃にはそういう世の中になっていて、三日もすれば死人は皆動き出し見境なく生者を襲った。それを防ぐには火葬するのが一番だが、死体の数が多いとそうもいかない日もある。

 その日は油が切れたせいで死体の処理が遅れていて、俺もエドも仕事が雑になっていた。火が使えないときは死体の四肢を切り落として埋めるしかない。それでも万全とは言えないが、焼却炉もないこんな田舎町ではそうするしかないのだ。

 また一人処理を終えてエドが新しい死体を運んできたとき、肩に担いでいたその老婆の死体が不意に動き出しエドの右腕に噛みついた。しばらくは何が起こったか理解できなかったが、エドの叫び声を聞いた瞬間、目の前の化物をぶっ殺さないといけないんだと気づいた。俺はとっさに手にした斧を老婆の側頭部に叩き込み、彼女の頭部は真っ二つになる。それでもなおもがき続ける体を俺は必死に切り刻み、上半身の原型がなくなったあたりでようやくそいつの動きは止まった。息を切らして放心していた俺はエドのうめき声で現実に引き戻される。

「……はは、やっちまった。あの婆さん、話で聞いてたよりも早く死んでたらしい」

 エドの傷はそう深くはなかったが、ここには手当のできる医者などいない。俺は言い様のない不安を感じながらも、ただエドを励ますことしかできなかった。


 俺もエドも早くに親を亡くしたせいでまともな仕事には就けなかった。それでもどうにかやってこれたのはエドのおかげだ。あいつはいつでも前向きで、他の連中みたいに腐って悪事に手を染めたりはしなかった。だからこんな危険な汚れ仕事でも、二人でならやっていけると信じることができた。そんな過去の自分が今はどうしようもなく恨めしかった。

 エドはあくまで明るく振る舞っていたが、日を追うごとに傷の状態は悪化していた。紫に変色し大きく腫れあがった傷口は異臭を放ち、血と膿を垂れ流しながらどんどん広がっていく。そしてあれから五日が過ぎたその日、エドは俺にこう言った。

「これ、放っておくとまずい気がするんだよ。だからさ、お前が切り落としてくれないか」

 すぐには頷けなかった。だけどそれ以外に選択肢がないこと、そしてエドもそれをわかっていて、だからこそ俺にそう頼んでいるのだとわかっていた。

 二の腕を紐できつく縛って、台の上に乗せられた右肘に狙いを定める。躊躇えばエドを苦しめるだけだ。俺は覚悟を決めて思い切り斧を振り下ろした。何度も同じやり方で死体をバラしてきたから、その感触だけでエドの腕がもう腐りかけだということがわかってしまった。斧の刃にはインクのようにどす黒い粘りのある血がこびりついている。だが当の本人は叫び声をあげるわけでもなく、いつもと変わらぬ表情で俺に告げた。

「全然痛くなかったな。やっぱりお前に頼んで正解だった」

 その様子は少しも嘘をついているように見えなくて、かえって俺は悲しかった。


 片腕を失ってもエドは仕事を休もうとはしなかった。どんな事情があろうと働かなければ食っていけないし、変わり果てたエドの姿を見ても手を差し伸べてくれる奴は一人もいなかった。だからこそどんなことがあっても俺だけはエドのそばにいてやらないといけない。日常生活でも苦労することは増えたが、一番難儀したのは食事だった。利き腕を失ったせいで食器が上手く扱えなくなったのだ。とはいえ二人きりなのだから別にマナーに気を使う必要もない。最初は少し抵抗があったようだが、結局エドは左手で直接つかんで食事をするようになった。

「これじゃもうレストランには行けないな」

 そう言って笑うエドを見ているとどこか救われたような心地がした。


 そんなことで救われた気になってしまっていたんだ。


 ある日、正午を過ぎてもエドが起きてこなかったので様子を見に行くと、彼はうずくまって枕に血を吐いていた。てっきり肺患いかと思ったが、エドが言うには胸ではなくてもっと奥の方が苦しいらしい。だけど俺には医学の心得などないのでそれがどういう状況なのかわからない。とりあえずその日は寝ているように言ったが、翌日も、またその次の日になってもエドの体調は良くならなかった。そしてついにその体が水すら受け付けなくなった時、潰れかけた声で絞り出すようにエドは言った。

「これ以上お前に迷惑かけたくないからさ、もう終わらせてほしいんだ」

 そんなこと了承できるはずがない。絶対に嫌だと喚く俺をあやすようにエドは囁いたのだった。

「ごめんな。お前と一緒にいれて、よかったよ」




 ふと気づいたらエドはベッドに半身を起こして窓の外を眺めていた。

「もう大丈夫なのか?」

 そう問いかけると柔らかい微笑みを返してくれた。そう、俺とエドはずっと一緒だった。今更あいつを見捨てて一人で生きるなんてできるはずがない。だからこれでいい、これでこれからも二人一緒にいられる。耳障りなハエを何匹か叩き潰してから俺はエドに呼びかける。

「腹減ってるだろ? 少し早いけど飯にしようか」

 さすがに病み上がりなせいもあってかエドはあまり食事を口にしなかった。だけど俺はまた二人で一緒に食卓を囲めただけで満足だった。食欲もそのうち戻ってくるだろう。俺がエドの食べ残した濁ったスープを片付けていると、あいつはさっそく外に出て死体を運び始めた。そういうところは変わらないんだなと感心しつつ、俺も早速仕事に取りかかることにした。そこにはいつもと変わらない日常があった。


 それから何日かして気づいたのだが、どうも死体に不自然な損壊が目立つようになっていた。カラスにでもついばまれたのかと思ってしばらく観察していたのだが、なんとその犯人はエドだった。あまり遠くに行ってしまわないように夜のうちは家にいれていたのだが、俺が寝静まった後にこっそり抜け出して死体を漁っていたらしい。どうしたものかと思ったが、しかし落ち着いて考えてみれば特に不都合があるわけでもない。むしろエドが直接死体を処理してくれるならその分だけ仕事は楽になる。

「気に入ったなら好きなだけ食っていいぞ」

 試しにそう言ってみたらエドは一日で大人の死体を丸々一つ処理してくれた。そしてどういう仕組みかはわからないが、エドは一切排泄をしなくなり食った分だけ大きくなっているようだった。日々少しずつ崩れ落ちていく部分もあるが、定期的に運ばれてくる死体を与え続けた結果、その体は大樹の苗のように着実に成長していった。


 またある日俺が仕事を始めようと外に出ると、見覚えのない死体が一つ転がっていた。どうも村の者ではないようだったが、こんな場所に行き倒れがいるのもおかしな話だ。そしてよく見てみればその首には何かに噛みつかれたような跡がある。まさかと思って確かめてみればその傷跡はエドの歯形と同じだった。いったい何を考え何を求めているのか、今のエドの表情からは読み取ることができない。だが俺はいつだってエドの味方だ。あいつのやりたいこと、望むものは全部叶えてやりたかった。たとえそれが空虚な自己満足でしかないのだとしても。

「迷惑なんて気にするな。お前のやりたいようにすればいい」

 そう一声かけるとエドはのそのそと村の方へと歩いて行った。


 村の連中も俺たちの異変には薄々気づいてはいただろうが、その全容が明らかになった時には全て手遅れだった。怒号と悲鳴、そして断末魔の叫びが過ぎ去り彼らはその歪な墓の一部になった。エドはたった一晩で倍ほどの大きさになり、失った右腕の代わりに斧のような形状の巨大な触手を生やしていた。人も、死体も、家畜も、全部叩き壊すように解体して片っ端から食らいつくす。その姿にはもうエドの面影など少しも残っていない。

 あの日、エドは死んだのだ。腐りかけの体は残っていても、心はとっくに死んでいた。それでも俺は一緒にいたかった。だからどれだけ変わり果てようとも、俺だけはこいつがエドだったことを覚えていてやらないといけない。それがあの日俺が背負った罪だった。かつてエドだったそれは血走った眼で俺を一瞥したが、どういうわけか俺だけは殺そうとしなかった。




 まともな人間を見たのはいったいいつ以来だろうか。冒険者風のその男は剣を抜きつつ、冷たい視線で俺を正面から射抜く。どういう事情かは知らないが、俺を殺しに来たのは間違いなさそうだった。

「このあたりで旅人を襲ってる死霊術師ってのはあんただな?」

 それを聞いて俺は思わず笑ってしまった。親もいない、学もない、貧しい農村生まれのこの俺がそんな御大層なものであるはずがない。

「冗談はよせ。俺たちはただの葬儀屋だよ」

 生者の気配を察知したのか、さっそくあいつは飛び起きて地鳴りのような雄叫びをあげる。

「そうだな。今日の飯はこいつでいいか」

 そうやってまたいつもと変わらない日常が続いていくのだった。

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