トロム国の白き魔女⑫

 給水塔の外から火の精霊が飛び込んできた。その勢いのまま、くるくるとサイファの周りをまわる。

 精霊の切羽詰まった声が、サイファの脳に直接響いた。


(大変、プラム、危ない。黒毒竜に襲われている)


 小さな精霊は涙目で必死にサイファの腕を引っ張る。


「……ソレイユ、行くぞ」


 二人は手を繋ぎ、空中庭園から夜空にダイブする。イシュタルの給水塔は高さがあり、まるで星空に飛び込むようだった。


 ソレイユはこの高さから落ちるのは初めての経験だったが、サイファと一緒なら怖くない。


 トロム国の結界が戻り、黒毒竜に纏わりつくような七色の光が見える。

 その光は黒い鱗に反応すると、落雷の電流のようにパチパチと弾けた。

 黒毒竜は火傷をするように苦しいらしく、身を捩りながら逃げ惑っている。


 そんな暗黒竜を切り倒しながら、走る二人の男が居た。

 サイファは感心したように口笛を吹く。


「あの二人。イグアスを退けたみたいだ。凄いな」


 そして、さらに西側には大きな紅の魔法陣が見える。あれは、紅龍の女だとサイファは認識した。逃げるときに黒毒竜に遭遇してしまったのだろう。

 ただ、それにしては大袈裟おおげさな魔法だとも考えていた。


 殆どの黒毒竜は結界の外に逃げ出そうと暴れているが、プラムの周りの恐竜達は、興奮状態で涎をたらし、目が血走っている。合計三匹だ。

 餌と苦しさを天秤にかけて食欲が勝ったのだろう。


 サイファは、ソレイユの腰をしっかり抱え、方向転換のために体を翻し、プラムの横に降下した。ソレイユをそっと下ろす。


 プラムは魔力が尽きてしまったようで、燃えていない矢を黒毒竜に向かって放っていた。

 黒毒竜からしてみれば、魔力のこもっていない矢は、楊枝が刺さっているような状況で、かえって怒りを誘っているようだった。


 プラムが矢を射れば射るほど、黒毒竜が興奮して暴れる。毒をまき散らし、周りの草花が焼けただれていた。


 プラムは毒に耐性があるようで、服の裾が溶けてはいるが、本人に大きな火傷や怪我はない。サイファはやっと少し安心できた。


「プラム大丈夫か? 良くがんばった。もう大丈夫だ」

「へへっ、精霊さんの鳥籠開けるのに、魔力を一杯使っちゃってピンチだった」

魔炎銃まえんがんか。良い武器だ。ソレイユ、プラムを頼む。毒に気を付けろ」


 サイファが短剣を取り出すと、金属が植物のつるのように伸び、大振りの剣に変わった。

 サイファは低く体勢を保つとバネのように高く飛んだ。

 一撃で黒毒竜の首を跳ね飛ばす。そのまま、続けて二匹の黒毒竜を斬りつけた。腹から二つに割れ、黒い血液が流れる。


「サイファ、すごいね!」

「ああ。この武具は、竜が特別によく斬れる。竜殺しの剣だからな」

「えっ、こわっ。わたしも斬れちゃうの?」

「ああ。他の剣よりはな。他に神龍の異能にも耐性がある。攻撃魔法も相殺できる。俺には攻撃してくるなよ」

「する訳ないじゃん。馬鹿じゃないの」

「冗談だ。それより、紅龍の踊り子にあったのか? その武器はどうした」

「あ、会ってないよ。これは、魔法陣から出てきた」

「プラムが出したのか?」

「ええ、まぁ、そう……、とっさの事で、よく覚えてないや」

「俺は、踊り子を捕まえに行く。そのうち、おじさんたちがここへ来るから、ソレイユと二人で先に城に帰ってて」

「え、駄目。ま、待って、」


 プラムの訴えはサイファの耳には届かなかった。サイファは西に向かって走り出し、一瞬のうちに闇に消えてる。


 取り残されたプラムは、ソレイユに縋りつくようにして座り込んだ。足が震え腰が砕けていた。


「そーちゃん。助けに行かなくちゃ。お母さんかもしれない」

「プラムちゃん。大丈夫? うん、多分そうだよ。あの人、悪い事させられているの。だけど、その事、プラムちゃんに知られるの嫌そうだった」


 ソレイユは腰の革製のポーチからカードを取り出した。カードの中から癒し効果のある「節制」のカードを取り出す。心を込めてプラムを回復したいと念じた。このカードは時と場合によっては願いを叶えてくれる。

 プラムの周りを白い風が包んだ。発光して服と髪が風に靡く。プラムは体が軽くなるのを感じた。

完全では無いが走れる程度に体が回復する。


「あたしは、早く走れないからここで待っている。プラムちゃん、行ってサイファを止めてきなよ」

「うん」


 プラムを見送ったソレイユはみんなの無事を祈り、カードを胸に抱く。






 タルフィは両手を下ろし魔法陣を解いた。辺りに七色の結界を感じる。黒毒竜の大半の気配が消えたことを悟った。


 この結界は六種類の自然の気と白魔法でできている。人間界でここまで強靭な結界が張れるのは、おそらくトロム女王だけだ。

 無事に難局を乗り越え、精霊を取り戻したのだ。イグアスもどうなっているのか今はわからなかった。そして、全ての力を使い切ってしまった自分の運命さえも、どうなるのかわからない。

 アスダルからの指令はすべて失敗に終わった。


「プラムが無事だから、言及点でしょう」


 ざざ、風の音が鳴り、タルフィの頭上に剣が振り下ろされた。タルフィは咄嗟に扇で剣を弾く。体が反応したのだ。扇が目の前で無残に壊れ、崩れ落ちる。

 瞳の隅に青い残像。それを追った。


「サイファ!」


「なぜ、俺の名前を知っていた。あれだけの魔法を使える存在を、俺が知らないわけはない。紅龍、お前は何者だ」


 タルフィはサイファをなぜ知っているのか、自分でも分らなかった。

 自分の過去を考えると、いろいろな場面が真っ黒に塗られている映像が頭を過る。


「わたしは、誰?」


 サイファがタルフィに剣を向ける。武器も失い、魔法力も尽きたタルフィは諦めたように膝をつく。タルフィは何も話すことはできないのだ。

 プラムの事もアスダルの事も。

 ならば、ここで殺されるのが一番だ。最期に願うのはプラムの幸せだった。


 タルフィは断罪のために瞳を閉じる。


 続く

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