トロム国の白き魔女⑪

割れた瓶から流れ出た黒い毒は、幾重にも円を描いて広がり、今まさに水に溶けようとしていた。サイファは手を伸ばすが、今さらどうしようもない。

伸ばした手を握り、歯噛みをした。


「サイファ。落ち着いて! その貯水槽の水を凍らすことはできないの?」


まずは時間を稼げればいい。

サイファは毒が流れ出していない事を確かめてから貯水槽の水を凍らせた。


「ソレイユが居てくれて良かった。水源の泉が溢れないうちに解決しなくてはな」

「少しでも役に立てたならうれしい。イシュタルみたいにサイファは水を浄化できないの?」

「できない。水の浄化ができるとしたら、イシュタルの他はアマルだけだ」


浄化、分析、結界などの特殊な魔法は、使える者が限られる。

イシュタルは水自体を浄化でき、アマルは光を使ってすべてものもを浄化する。


「そっか。そういえば、この甲冑! 女神ルフレの軍装なんだって。誰だか知っている?」


サイファも女神ルフレには会ったことが無い。

サイファとアマルは同時に生まれた。

アマルはルフレがこの世界から消えるときに、最期の力で逆鱗より生み出された。

だから、この軍装も初めて見たものだ。


「紅龍の女が言っていたのか? 女神ルフレは、簡単に言うとアマルの母親だ。アマルを生み出してから、消えた」


ソレイユは頬に人差し指を当てながら考えていた。それはソレイユが考え込むときの癖だった。


「ねぇ、サイファ。あたしに浄化できちゃったりしないかな? アマルのお母さんの軍装を着れちゃってるもの」


試してみる価値はあるかもな、とサイファは指を鳴らした。


貯水槽の横にあるティーテーブルに、ソレイユの占いテント用のビロードのテーブルクロスが掛けられている。


「助かる。何もないとシャッフルするの大変だから!」

「さぁ、鬼ができる蛇が出るか。試してみよう!」

「鬼も蛇もでないわよ。占いだもの。当たるも八卦、当たらぬも八卦でしょ」


ソレイユはウィンクしてテーブルに着く。そして瞳を閉じて呼吸を深くした。


この街を守りたい。苦しむ人を出したくはない。

まだ子供であるが故の、純粋な気持ちだった。


カードは交差する。過去と未来を。

奏でるようにビロードの上を舞う。

そして、万里を見渡し理を捕らえた。

シャッフルの終わりは自然にわかる、澄んだ光を感じるから。


サイファの世界では生命の樹カウサイ・サチャが理を決めている。なら、生命の樹カウサイ・サチャに聞いてみるのが一番良いだろう。ソレイユは、『生命の樹』のスプレッドを展開した。


頂きに一枚、『王冠』を置く、それは『目標』のカード。

茂る葉として西と東に交互に一枚。それは、『知恵』と『理解』。

さらに広がる葉は、『慈愛』と『峻厳しゅんげん』。

幹と終りの葉は、それぞれ、『美』と『勝利』と『栄光』。

地に根を下ろすためにあと2枚、『基礎』と『王国』を置く。



『王冠』は、目的を示す最初のカード【白龍の3】。

『智慧』は、エネルギーの状態を示す【翠龍の7】逆位置。

『理解』は、越えねばならぬ試練【紅龍の6】逆位置。

『慈愛』は、武器となるもの【太陽】。

峻厳しゅんげん』は、越えねばならぬ高い障害【紅の聖女】逆位置。

『美』は、達成が必要【世界】。

『勝利』は情熱が導く者【魔導士】。

『栄光』は、その人物が自信がない事【紅龍のクイーン】。

『基礎』は、本能的な潜在意識【月】。

『王国』は、築き上げた現状と結果【白の乙女】の正位置。


カードの展開が終わった時、目前で奇蹟が起きる。

初めて逢うのに一目でわかった。

この空間が作り出した幻。

オアシスの乙女イシュタルが残留思念として形作られた。

透明感のある玲瓏な声。浄化の歌が響く。


氷は解け、水となり、黒は透明に変わる。心が震えるほどの美しい歌声。


「―――聖なる姫は心から歌う。陽の光の暖かさ、水のせせらぎ、風の心地よさ。闇は優しく我をつつみ、火は凍える者を救う。そして、大地は水を浄化する。私は姫を助けたい―――」


青い花びらが風に煽られ空中を舞う。

イグアスに似ていて非なる者。

本質が異なる者。


それは、風に攫われるように、心が洗われるような微笑だけを残して消えていった。

後に残るのは、水が流れる音だけ。


サイファとソレイユは、その光景を肩を寄せ合い見つめていた。

ソレイユを逃がし、アマルを助けた人。

彼女を探さなくてはならない。


オアシスの乙女の願いを叶えたい。


「ねえ、サイファ。イシュタルの願いで生れた双子の白龍はどこにいるの?」


サイファはソレイユを見つめた。

初めて聞くことだった。

インティ・オパールは世界を見通す力を持つ。

双子の白龍はイシュタルの願いで生れたとしたら、イグアスが神の座に相応しくないと、イシュタルが判断したことになる。


「北の大陸のフロー厶という国で、翠玉の巫女フィオナに守られている。まだ、白龍神としての能力は開花していない」


ソレイユは遠くを見つめる。


「イグアスは神の資格を完全に失った。アレナに白龍神が戻れば全てが元に戻るでしょう」


それは、ソレイユの声であっても、ソレイユでは無かった。


続く

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