トロム国の白き魔女⑦

 尖塔の螺旋状のレリーフは、十三夜の月に鋭利なナイフのように刺さっていた。


 満ちる直前の月は明るい。

 その分、影は暗く映し出されていた。


 龍の飛翔塔に入れるのは神龍族だけだ。

 イシュタルもこの建物を建設した時、神龍族が水に毒を入れるなど、想像すらできなかったことだろう。


 神龍族は精神構造上、人間に損害を与えるなんて考えないのだ。


 だが、サイファはそんな精神の造りも、神体の構造も、変えてしまうような毒があることを知っている。


 あの毒を浴びた瞬間、今まで感じたこともないような禍々しい感情が湧き上がってくるのを感じた。


 身を亡ぼすような負の感情。


 人間は多かれ少なかれ、最初から持っているという。


 このような感情を内面に抱え、それでもひたむきに生きるのが、人間とだと初めて実感した。

 彼らは強い力を持たない。

 強い力を持たされない意味も、サイファはその時に理解した。


 ソレイユのカードは白龍の神気をまとっている。

 恐らく、イシュタルの神気だろう。

 それを持つソレイユもこの塔に入れるはずだ。


 決して開かない扉のレリーフの前に立つ。白龍をかたどった彫刻が刻まれていた。

 どこの一族の所有か分かるように必ず刻まれているレリーフだった。


 サイファはソレイユを地面に着地させる。


 気を付けて運んではいたが、体を痛めては無いかと心配で、肩や腕を軽くたたきながら検分した。


「どこか、違和感を感じるところなどはないか?」

「うん、大丈夫。サイファは? 聞くだけ無駄かな? ねぇ、ここで運試し、ワンオラクルカードを引いて」


 ソレイユは笑いながらカードを切っている。

 普段はしないが、手品師のようにカードを三つに分けて、お手玉のように投げながら混ぜていた。


「ここテーブル無いからね。好きなところで半分に分けて、先頭に来たカードが、あんたのここでの運よ」


 サイファが選んだカードは『月』のカードだった。


「勝機は五分五分。相手は不安定。混沌とするのか、明るい兆しとなるのか、まだわからない。……気を引き締めて、一緒に頑張りましょうか」


 本当は、サイファはソレイユを何があっても守りたいと思っている。正直に言うと戦闘要員としては論外だが、それでも連れてきたのだ。


「邪魔だけはするなよ。危なくなったら隠れろ、気が散るからな」

「あら、このカードがあれば、結構役に立つのよ。回復とか治療とかできるんだから!」

「初耳だな。その時はよろしくな。占い師さん」

「運任せなのが玉にきず


 ソレイユは、ペロッと舌を出した。

 サイファは思わず笑みが溢れ、お陰で緊張がほぐれた。準備運動として、軽く体をほぐし、膝の屈伸をする。


「さあて、行きますか」


 サイファとソレイユは手を繋ぎ、レリーフに手を当てる。すると一瞬で塔の最上階に移動した。


 甘い香りが鼻を擽る。


 そこは空中庭園のように花が咲き乱れ、ティーテーブルが置かれていた。

 中心には大きな貯水槽があり、青い色の花がグラデーションを描く。


 神の御業みわざのため、手入れも不要。季節も問わない。


 その中で違和感のある赤い髪が風に靡いていた。

 それは流浪ろまの踊り子。

 手には黒い液体の入った瓶が握られている。


 サイファの気配に気付き、女はこちらを見た。


 間髪入れずに左手の毒の瓶を貯水槽に向かって投げ、次に瓶を割るために短剣を投げた。

 サイファは身を翻し、貯水槽の上へ飛び、ナイフを剣で弾く。

 瓶は割れぬまま水の中に沈んだ。


「なぜ、青龍がここに。イグアスが余計なことを口走ったのか」


 イグアスは剣技も強く、頭の回転も速いが、自信過剰な部分があり、なんでも真っ向から勝負しようとするところがある。

 だから、言わなければ良いことも黙ってはいられないのだ。


「アルベール達に大見得を切ったみたいだな。紅龍、なぜ毒などを入れようとしている。お前は神龍族ではないのか?」


 サイファは貯水槽の端に立ち、剣をタルフィに向けた。タルフィは扇を広げて顔を半分隠す。


「紅龍には属している。だが、わたしは自由だ。何故に無条件で人間を守る必要があるのだ?」


 神龍族は人間を守り、この世界の平和を維持する。それは、初代太陽神と生命の樹カウサイ・サチャが決めた。理由などは無い。


「のう、青龍よ。疑問に感じたことは無いのか? この世界に初代太陽神が降臨し、闇を退け、生命の樹カウサイ・サチャが生まれて、わずか五千年だ。この世界の理は正しいのかと、退けたのは本当に闇だったのかと」


 サイファは口の端を挙げて笑った。くだらないことを言っている。


「人間を守ることに疑問は無い。但し、生命の樹カウサイ・サチャは関係無い」


 サイファの背後で貯水槽に落ちた毒の瓶が、水面に浮かび上がってくる。


 タルフィはサイファの視線を巧みに引き付け、扇の下でナイフを構えた。

 指に挟んだナイフの冷たさを感じる。


 あの水は大勢の人間が飲む。迷いはあるが、タルフィはアスダルを信じていた。

 彼の行く道に追従することに躊躇いは無い。


 青龍と正面から対決するには相当な犠牲が必要だろう。自分が無事でいられる保証は無かった。


 だが、アスダルはタルフィに生きて帰ってくるように命じたのだ。

 それに、そもそも危険は伴わない役目のはずだった。


「プラムちゃんと広場で踊っていた踊り子さんでしょう? なぜ毒なんて入れるの? プラムちゃんだって、その水飲むのよ」


 タルフィはサイファの後ろに居たソレイユを認識した。

 プラムは暗黒竜の血族のため、この水を飲んでも死にはしない。

 しかし、プラムにはこの事を知られたくなかった。

 医師でもあるプラムは心を痛めるだろう。それに、この娘はプラムの友達だ。


「なんで、あんたがここに?」


 タルフィは思わず舌打ちをする。ソレイユを殺したらプラムが悲しむ。しかし、醜い姿を知られるのよりはずっといいはず。いつか、親子三人で暮らしたかった。そのためには、息の根を止めるしかない。


 タルフィは、一度飛び上がり柱を蹴って反動を付け、ソレイユの前へ出る。鋭い刃が付いている扇を振り上げた。


 ソレイユは、自分に向かってくるタルフィに危険を感じ、無意識に一枚カードを引いた。引いたカードは『裁判の女神』だった。


 ソレイユは黄金色の光に包まれた。

 光が溶解したとき、ソレイユは鎧を着て、細身の剣を持っていた。


 ソレイユは自分で無くなったように体が動き、扇を剣で弾き返した。


 咄嗟に反応する動きは、妙に体に馴染むような気がする。タロットカードは腰の皮袋に収まっていた。


「それは、……女神ルフレの軍装。お前は何者だ?」


 タルフィの背後から聞こえる、サイファの怒りの叫びは、振動し空気を揺らす。

 サイファがタルフィに向かって槍を突き上げる。タルフィはぎりぎりで身を翻し交わした。

 タルフィはサイファの逆鱗を逆撫でした。怒りはゾッとするような冷たさで、辺りを支配する。

 キリキリと気温が下がり、吐く息が白くなった。当然、そこかしこに霜が降りる。

 タルフィの頭の中に危険警報が鳴り響いた。


 サイファはソレイユを背に庇い、タルフィに怒りを向ける。

 タルフィは瞬時に頭を切り替えた。

 ここは逃げるしかない。

 戦うことは命を無意味に投げ出すことだ。


 攻撃するふりをしながら、扇の下にはナイフを隠し持った。

 サイファを睨みながら、ナイフで瓶を狙える場所に移動する。


 毒の瓶を壊してから逃げれば、そちらの対応が先になり、タルフィを追っては来れないだろう。

 あくまでも、ルフレの軍装をした娘が狙いだと感じさせればいいのだ。


 タルフィは足を踏み鳴らし派手な動きで貯水槽の縁をサイファに向かい進む。

 サイファは短槍を構えた。

 タルフィは後ろに飛びながら、貯水槽の瓶にナイフを叩きこんだ。


 ナイフは瓶の首の部分に当たり粉々に砕ける。

 光を反射する破片。

 粘度の高い黒い液体が、水に油を入れたように沈みながら円を描く。

 ゆらりと右回りに広がった。


 サイファの驚く顔。スローモーションのように壊れた破片に手を伸ばす。


 しかし、―――――もう、遅い。瓶は割れた。


 タルフィは柱と柱の間から空中に飛び込んだ。なるべく速やかに離れる。追ってきたら命が無い。しかし、この場所では高度が足りない。神体になれないので距離はそう伸びない。


 だが、西に向かえば、アスダルが居るはずだ。

 タルフィは、斜め一直線に落下しながらできるだけ飛距離を伸ばした。


 続く

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